邪馬台国=甘木・朝倉説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 21:21 UTC 版)
では邪馬台国=高天原は九州のどこと考えられるか。安本は以下のような理由からそれを福岡県の甘木・朝倉地方(現在の朝倉市一帯)であるとしている。 朝倉地方には「甘木」をはじめとして「天」に関係する地名が多く見られる、安川(夜須川)がある、香山(かぐやま)がある、岩屋・岩戸があるなど日本神話に現れる地名が集中的に残っている。 朝倉地方を中心とした北九州地方の地名と大和地方を中心とした畿内の地名に驚くほどの酷似があり、発音がほとんど一致しているだけでなく相対的な位置関係もほとんど同じである。これはアメリカなどイギリスからの移民が行なわれた国々にイギリスと同じ地名があるのと同じで、この地にあった勢力が畿内に移る時に地名も一緒に移ったものと考えられる。これは後述の邪馬台国東遷説につながる考えであるが、この考え方も安本の独創ではなく鏡味完二が指摘しているものであり、また折口信夫も日本の地名に同じものが多いのは偶然ではなく民団の移動とともに地名も持ち運ばれたからであるとする説を述べているとしている。 朝倉地方には考古学的な遺跡が多く、佐賀県の吉野ヶ里遺跡に匹敵するかそれ以上ともいわれる平塚川添遺跡も発掘されている。安本は邪馬台国の政治の中心地は朝倉地方にあったが国としては筑紫平野一帯に広がった諸国の連合で吉野ヶ里遺跡もそれに含まれるとみている(実際吉野ヶ里と朝倉地方とは20有余kmの距離しかなく共に筑後川の北岸で途中はまったくの平野であり地勢的には同一である。)。 朝倉地方は古来より村落が多い地帯であり、朝倉街道という地名が残っているように九州の交通の要所であった(現在の朝倉地方には大分自動車道が通っており、甘木インターチェンジから東へ行けば大分方面へ抜ける。また西へ行けば九州を南北に走る九州自動車道と交わる鳥栖ジャンクションが近く、それを越えて長崎自動車道に入った最初のインターチェンジが吉野ヶ里遺跡に近い東脊振インターチェンジである。大宰府も近い。)。
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邪馬台国甘木・朝倉説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 04:07 UTC 版)
安本美典が唱える説で、甘木・朝倉地方を中心とした周辺地域の地名と奈良・大和地方を中心とした周辺地域の地名の酷似から、邪馬台国の中心は甘木・朝倉にあり後に奈良・大和地方に移って大和朝廷になったとする説。この説にちなんで5月には甘木公園で花の邪馬台国まつりが開催されている。
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