邪馬壹国の産物・交通
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:52 UTC 版)
古田武彦の主張については邪馬壹国説を参照 魏志倭人伝によれば邪馬台国は、木材のクスノキ(櫲樟、柟)や鉱物の丹(ニ)の産地であり帯方郡と貿易をしていたが、仏像や造船に使用されるクスノキは主に九州に分布し、また大分県の玖珠郡 (クスは久須、球珠とも表記する)の地名は、クスノキに由来すると思われる。 また丹は、仏像の鍍金や船底の防腐剤として使われた鉱物で水銀の材料であるが、豊日別・豊国跡の大分市には丹生神社があり丹の産地であったことが伺え、また港湾貿易の地として貴船神社も多い。 また、卑弥呼や天照大神と同一人物かは不明であるが、イザナギ・イザナミが生んだワダツミの娘で神武天皇の祖母であり、祖母山信仰の祭神でもある豊玉姫、またその妹とされる玉依姫の2名の国津神(くにつかみ)は、九州の日向国にいたとされており、双方が天津神(あまつかみ)と結婚している。さらに、のちの日本書紀の神武東征の逸話によれば、神武天皇は日向国から出立し、豊国の宇佐でウサツヒコ建立の一柱騰宮(あしひとつ あがりのみや)に滞在してから、近畿へ渡航して辰砂の鉱脈調査を行っている。 また、記紀によればイザナギ・イザナミの最初の国産みが淡路島であるが、淡路島には日本で最古の鉄器製造所であるとされる五斗長垣内遺跡があり、関西の平野部から離れた島に作られていることを考えると、造営者は少なくとも、大阪平野部の部族ではなかったことが考えられる。 なお、鉄器以前の青銅器製造所は、弥生時代中期~後期に、九州北部または伊都国にあったことが判明している。 また王朝の首都とされる大宰府には日田街道が通じており、この日田街道は、日田から久留米、中津、熊本、別府にそれぞれ街道が伸びており、さらに別府では筑紫国跡の福岡県東岸から日向国跡の宮崎県を繋ぐ日向街道に接続している。したがって、伊都国の一大率と同じく、為政者側は陸路でも相当広い範囲を移動することができた。 福岡県の船原古墳では2013年までに、古墳時代後期の馬具が、金銅製品鉄製品を合わせて200点以上発見されている
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