邪馬台国時代の軍事的長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 16:06 UTC 版)
『魏志倭人伝』は、邪馬台国に属する北九州の対馬国、一支国、奴国、および不弥国の副官に「卑奴母離」(ヒナモリ)がいたことを伝えている。これらの国々は邪馬台国の外国交易ルートに位置し、外敵や賊に対する守りを固めるために置かれた男子の軍事的長の称号と考えられる。 魏志倭人伝の卑奴母離は、奈良時代以後の夷守(ヒナモリ)と同じ言葉と見られるが、上代特殊仮名遣で夷守の「モ」は甲類であるのに対し、卑奴母離の「モ」は乙類であり発音が少し違う。可能性としては、卑奴母離の方が魏志倭人伝の誤記であるとか、或いは夷守の「モ」が弥生時代は乙類の発音で、奈良時代までに甲類の発音に変化した事も考えられる。卑奴母離と夷守が別の意味の言葉である可能性も残る。「モ」の甲類と乙類の区別は古事記には残っているが、『日本書紀』では使い分けはなくなっている(乙類の発音はある)。「モ」乙類は奈良時代でも既に消滅しかけていた。
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