帯方界とは? わかりやすく解説

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帯方郡

(帯方界 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/13 16:59 UTC 版)

帯方郡(たいほう-ぐん)は、204年から313年の109年間、古代中国によって朝鮮半島の中西部に置かれた郡である[1]楽浪郡の南半を割いた数県(代では7県〈『晋書地理志』〉)と、東の、南の、南端の(半島南端)がこれに属す。後漢から西晋の時代にかけ、郡の経営や羈縻支配を通じて韓・倭という東夷地域へ中国の文化や技術を持ち込んだほか、直轄となった魏朝以降には華北の中国文化の窓口としても重要な役割を果たした。郡の長が太守であり、その配下の官吏と軍団の在する郡役所が郡治である。帯方郡治は、楽浪郡治(平壌)の南方にあったことは確かだが、詳しい位置については諸説ある(後述)。


  1. ^ 実際には北帯方にせよ南帯方にせよ前後漢魏晋の時代に存在したことはない。
  2. ^ 北帯方とは実は百済滅亡後に唐が設置した帯方州(全羅南道羅州市)と古代の帯方郡を混同したものであって、史実ではない。三品彰英『三国遺事考証〈上〉』塙書房、1975年1月1日。 
  3. ^ 南帯方とは実は1309年に設置された高麗時代の帯方郡(全羅北道南原市)と古代の帯方郡とを混同したものであって、史実ではない。三品彰英『三国遺事考証〈上〉』塙書房、1975年1月1日。 


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