市営モンロー主義とは? わかりやすく解説

市営モンロー主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 04:55 UTC 版)

市営モンロー主義(しえいモンローしゅぎ)とは、一定地域の交通などの各種社会サービスについて、民間資本の参入を認めない市や国などの思想・態度の俗称。1950年代~1970年代には「市内交通市営主義」とも呼ばれた。


  1. ^ 1960年(昭和35年)刊行の京阪社史『鉄路五十年』では「市内交通の自営主義」という表現が見られる (P.375) 。
  2. ^ 第二次世界大戦中には市域の外縁部に存在した阪堺電鉄の買収も実施されている。
  3. ^ 例えば、当初市内中心部の高麗橋を起点とする予定であった京阪電気鉄道(高麗橋-天満橋-五条間特許を1906年8月に取得)に対して、当時大阪市電気局が計画中(1905年計画立案。ただし議会の紛糾で可決は翌1906年の6月と遅れ、特許申請も京阪より後となった)の市電第3期線がこれと競合していた。このため京阪に対し自局計画線と重複する区間の特許返納とその代償としての同区間並びに高麗橋-梅田間への京阪車両の市電乗り入れ許可を提案し、京阪の特許返納と自局線の建設に成功している。しかも、京阪が提案に合意し当該区間の特許を返納した後、乗り入れ実施直前になって京阪側としては実現不能な条件(乗り入れ車両の寸法規制)を追加して乗り入れを断念させている。この方針転換についてはその後の市内運賃均一化との関連が指摘されているが、京阪側が当初の契約条件に従って13m級車両を新製して揃え終わった段階で10m級以上の大型車の乗り入れを認めない、としたこの追加条件そのものについては、明らかに私鉄車両の乗り入れ排除が目的であったと見なされている[誰?]
  4. ^ 国鉄が大阪地区で電車による高頻度運転を行うのは1930年代になってからで、首都圏に比べるとかなり遅れた。市域内を走る城東線でさえ1933年までは非電化・単線だった。
  5. ^ この経緯から、大阪市営地下鉄は当時の地方鉄道法に基づく「鉄道」ではなく、道路上を走る路面電車と同じ軌道法に基づく「軌道」として、都市計画道路整備事業とセットで実施することを前提とした路線特許が取得されている。
  6. ^ 大阪市が帝国鉄道協会および土木学会に委託して実施された高速鉄道網調査の答申[4][5]やその後の大阪市高速度交通機関協議会での高速鉄道路線選定要件[6]でも挙げられた。
  7. ^ 『大阪市内外高速鐵道調査會報告書』では、私鉄各社線との直通の必要性が指摘されており、市営地下鉄が国鉄と同じ1067mm軌間ではなく南海・大鉄(現在の近鉄南大阪線)以外の関西大手私鉄各社が採用していた1435mm軌間を採用する論拠の一つとなった。しかし、大阪市が1925年9月に作成した計画原案である『大阪市高速度交通機關計畫説明書』では全く触れられず、『大阪市高速度交通機關計畫理由書』では、将来的に現在の大阪環状線に相当する環状線を市営地下鉄として建設する必要性が示唆され、1 - 4号線と呼称された具体的な路線計画の策定段階では完全に無視される結果となった。
  8. ^ 『大阪市高速度交通機關計畫理由書』の「計畫ノ大要」では『全市ニ亘ル高速度交通ノ枢軸ヲ定メントスルモノナリ』、と市営地下鉄のみで市内高速度交通機関網を整備する方針を宣言している。
  9. ^ 計画当初、1号線の当初開業区間では計画通り12両分の施設が用意されたが、その後の建設区間では過大な建設費が問題とされ、最大8両に短縮された。その結果、後の輸送力増強(10両編成化など)に当たっては、地上設備の手直しはほぼ不要だった。
  10. ^ 御堂筋線は御堂筋の車線幅の東側約半分を用いて意図的に配置を片寄せて建設されており、大正時代の計画段階で既に「急行線」として残る半分の用地を用いて複々線化し、後日輸送力の倍増が実施可能となるよう計画されていた。
  11. ^ 建設にあたっては、起債条件として内務省および大阪府より失業者の雇用が要求されたため、機械化を避けて極力失業者による手作業で工事が行われた。つまり、アメリカのニューディール政策と同様、この地下鉄建設工事には、失業者救済事業としての一面が備わっていた。
  12. ^ 起債や、沿線からの受益者負担原則に基づいた課税(これにより総予算の約1/4が賄われた)などで調達された。
  13. ^ 16m級車両の最大4両(当初)での運行を前提に計画され、さまざまな拡張工事を経た現在も最大6両編成に留まり、混雑救済のために20m級車両による10両編成での運行を前提とする半蔵門線を建設することを強いられた。
  14. ^ 一部が地下鉄2号線(現在の谷町線。当時は未開業)と競合するものであった
  15. ^ なお、旧新京阪線の梅田乗り入れは京阪神急行電鉄への戦時合併で阪急京都本線となった後に、十三駅経由で実現している。
  16. ^ これに対し、近鉄難波線は都市交通審議会の答申を受けて、名古屋線改軌計画が進み名阪間直通の目処が立った1959年に、乗り入れ先となる阪神西大阪線(後の阪神なんば線)と前後して路線免許を取得している。
  17. ^ なお、千日前線は開業以来ミニ地下鉄である長堀鶴見緑地線と同程度の経常収支率で推移しており、路線運行によって得られる収入は路線長が約2倍の御堂筋線と比較して1/10にも満たない。しかも、既設線の下を交差するなど難工事が連続したことから巨額の建設費の出費を強いられており、市営地下鉄事業全体でみた場合、同線は交通局財政に非常に大きな負担となり続けている。
  18. ^ 他に直流750Vの第三軌条方式での集電方式を採用しているのは札幌市営地下鉄横浜市営地下鉄のみである。
  19. ^ 第三軌条の無通電区間の間隔にかかる制約から運行される車両の車体長と集電靴を取り付けられる電動車の台車中心間距離について制約が生じ、この制約と使用電圧が障害となる郊外電鉄各社車両の地下鉄線直通乗り入れは事実上不可能となった。また、市営地下鉄の第三軌条各線の車両定規(車両限界)は、車体長は17m級と短いが車体幅が当時の関西私鉄で最大の新京阪鉄道乙号車両定規とほぼ同等の最大2,890mmで、トンネル断面の都合上最大高さを抑えて屋根を極力扁平とし、折り畳んだパンタグラフのための空間の分だけ中央部が飛び出した、他に例のない特殊な断面である。この特殊な車両定規を採用する大阪市営地下鉄の各施設は、仮に私鉄各社から小断面車体を備えた車両が乗り入れた場合、乗降に当たって問題となった可能性が高い。なお、新京阪のP-6形は車体幅9フィート2インチ≒2.79mとして設計されている。
  20. ^ しかも堺筋線の場合も当初両端で接続する南海と阪急の2社から直通乗り入れ運転の要望があったものを、両社の軌間と電圧の相違などといった技術的な制約もあって、当時の大阪陸運局長の裁定を経て、阪急一社に絞って乗り入れ実施としている。また、乗り入れ先が阪急になったのは、1970年に大阪万博を控えていたことも一因である。
  21. ^ 現在の水準では運賃が1人1キロ当たりおおむね大手私鉄各社の平均値の約2倍に設定されている。
  22. ^ これには1日の平均輸送人員が120万人を超える御堂筋線が大きく寄与しており、それ以外は第2位の谷町線でさえ1日の平均輸送人員が50万人規模で輸送密度も御堂筋線の1/2に満たない。
  23. ^ 営業キロを基準に比較した場合、1961年から1970年にかけての10年間には47.5kmの路線が市内中心部を主体に整備されているのに対し、1971年から2000年にかけての30年間には、ニュートラムやミニ地下鉄である長堀鶴見緑地線を合わせて58kmの路線が、戦後の第3次市域拡張(1955年)で大阪市に編入された旧郡部を中心とした市域外縁の郊外区間を主体に整備されており、1960年代の地下鉄整備状況は急ピッチかつ緊急性の高いものであった。
  24. ^ これらの乗り入れ線については戦後、1950年頃から悪化する輸送事情を睨んで京阪をはじめとする各社が免許あるいは特許の申請を繰り返すようになっていた。
  25. ^ これは橋下が当時代表を務めていた大阪維新の会の政策でもあったが、2015年にこの構想は住民投票の結果、僅差で否決され、一度は廃案となった。しかし同年秋に再度見直した上で構想を再度実行することを2015年の大阪市長選挙で表明したが、これも僅差で否決となっている。
  26. ^ 大阪市交通局の民営化構想自体は關淳一大阪市長時代の2007年にも検討されたものの、2008年の平松邦夫への市長交代で棚上げとなっていた。
  27. ^ これは大阪府が市の意見を聴取せずに認可したものであった。
  28. ^ 市バスは1931年9月には青バスに対抗して特別割引回数券を発行するなどの施策を講じた。もっともこの影響で1931年度以降、市電はしばらく収支が赤字に転落することとなった。
  29. ^ 完全統合は翌1940年6月1日に実施。
  30. ^ 豊中駅住道駅など。
  31. ^ もっとも、この際にもバス会社各社が当初要望した、利便性の高い本町四丁目へのバスセンター設置とこれに伴う御堂筋乗り入れを市は拒否し、代替案として内本町へのバスセンター設置を提示している。最終的には内本町をメイン、本町四丁目にサブのターミナルが設置されている。
  32. ^ 2007年4月より、大阪市営バス井高野営業所の管理受託をしている。また、2010年1月より21年ぶりに大阪市内への南海バスの一般路線バス乗り入れが復活している
  33. ^ 京橋への乗入れは2008年に廃止された
  34. ^ 阪北線(梅田 - 豊中・箕面・園田、箕面・柴原阪大前駅 - 新大阪駅)、吹田線と吹田摂津線の相川駅〜江口橋周辺、梅田周辺の循環線である「うめぐるバス」など。加島線(梅田 - 加島駅前 - 神崎橋、市バス→シティバス97号系統に並行)も運行していたが2020年7月に廃止。
  35. ^ 警察病院線(上本町 - 桃谷)、赤十字病院線(上本町 - 同病院)、上本町あべの橋線(上本町 - あべの橋)の全区間、加美線(布施 - 平野区加美地区)の約半分の区間など。かつては梅田の他(鶴見・住道方面など)、天満橋や出戸などにも発着していた。
  36. ^ いずれも廃線となった路面電車である、阪神北大阪線阪神国道線の代替。2000年代以降衰退が著しく、2013年10月現在大阪ローカル線は市内乗り入れが1日1往復のみになっており、北大阪線も天六乗り入れ便数が大幅に減らされている。
  37. ^ 住之江匠町線、Jグリーン堺線、堺南港線
  38. ^ 通常、地下鉄建設では地上を走る路面電車やバスの路線統廃合などが問題となり、特に複数の事業者が関係する場合、その折衝に長期間を要することになる。この点で、市営一元化政策を採っていた大阪市の場合は路線統廃合で発生する乗務員の配置転換の問題を除けばそういった利害調整の必要性がほぼ皆無であり、計画即着工とすることで短期間での路線網整備が実現した。
  39. ^ 未曾有の乗客数となった万国博観客輸送は、特に大きな問題が発生することもないまま会期終了の日を迎えたが、この成功に対する30系の貢献は非常に大きなものであった。
  40. ^ 前者は日本におけるVVVF制御による三相交流誘導電動機を採用した車両開発の促進に大きな貢献をなし、後者も鉄車輪式リニアモーター駆動の実用化に大きく貢献した。なお、大阪市交通局によるVVVF制御器の開発経緯については大阪市交通局20系電車の項を参照のこと。
  41. ^ 乗り換え回数が原則2回まで、などの制約がある。しかし、前述の規定により、う回定期であっても出発駅・到着駅を経由表示に関わらず最短経路で乗降することが可能である。
  42. ^ ゾーンバス制度は2002年1月のダイヤ改正で廃止されたが、バス同士の乗り継ぎ制度は現在でも継続されている。
  1. ^ 枝久保達也 (2020年6月27日). “JR山手線の壁? 東京都心部まで行けない私鉄その理由 大阪と異なる環状路線の内側事情”. 乗りものニュース. 2020年6月27日閲覧。
  2. ^ 辰巳博 著、福田静二 編『大阪市電が走った街 今昔』JTB、2000年、17頁
  3. ^ 大阪市交通局『大阪市交通局百年史(本編)』、2005年、69-71頁
  4. ^ 『大阪市内外高速鐵道調査會報告書』
  5. ^ 『大阪市内外高速鐵道調査會報告書附圖』1924年
  6. ^ 『大阪市高速度交通機關計畫理由書』1925年12月
  7. ^ 竹田辰夫「『大阪市高速鉄道設計要覧』に寄せて」『鉄道史料』74号、鉄道史資料保存会、1994年、20-34頁
  8. ^ 森口誠之『鉄道未成線を歩く No.4大阪市交通局編』
  9. ^ “大阪市営地下鉄が公営初の民営化、18年4月 市議会が可決”. 日本経済新聞. (2017年3月28日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASHC27H9V_Y7A320C1000000/ 2017年3月28日閲覧。 
  10. ^ “大阪地下鉄 最古の公営地下鉄に幕 1日民営化”. 毎日新聞. (2018年4月1日). https://mainichi.jp/articles/20180401/k00/00m/040/130000c 2018年4月1日閲覧。 


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