大阪市内のバス事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 07:14 UTC 版)
「市営モンロー主義」の記事における「大阪市内のバス事業」の解説
バス事業については、1924年に市バスに先行して大阪乗合自動車(青バス)が運行を開始し、これに遅れて1927年より運行が開始された市バス(銀バス)および既設の市電各線との間で極端な競争状態が発生した。しかし、1939年11月に陸上交通事業調整法に基づき大阪市電気局がこれを統合したため、市内のバス事業は阪神国道自動車(現在の阪神バス)の市内乗り入れ路線を除き、ほとんど大阪市営バスで一元化された。 戦後、市バス路線が郊外にも延長し、また1955年の市域拡張に伴い従来阪急バスや近鉄バスのサービスエリアであった地域、に新たに市バス路線を開設したため、その代償として阪急バスや近鉄バスの梅田乗り入れや京阪バスの天満橋乗り入れと民営各社の乗り入れが認められた。このほか、1952年には市内中心部の内本町にバスセンターを設け、民営各社が郊外からの乗入路線を設置した。 ただし、1970年には交通渋滞と地下鉄路線網の発達によりバスセンターへの乗り入れメリットが薄れたため、民営各社は再び都心部の乗り入れを取りやめている。この結果、南海電鉄バス(現:南海バス)は1989年に大阪市内の乗り入れから一度完全撤退した。阪神電鉄バス(現:阪神バス)も古くからの梅田乗り入れを止め、野田阪神前まで後退している。京阪バスも内本町バスセンターへの乗り入れを中止して最遠が京橋までとなった。 そのため現在、大阪市内に路線を持つ民営の一般バス路線は、市域編入前から路線網を持っていた北部(淀川の流域)の阪急バスと東部・南部の近鉄バスが一定規模運行しているのを除けば、京阪バスの9A号経路摂南大学 - 守口市駅 - JR吹田駅間や守口南部線の一部区間、阪神バスの北大阪線および大阪ローカル線、北港観光バスが運行する住吉区・東住吉区の一部、南港や舞洲、中之島地区、南海バスが運行する南港や天保山地区など、2011年の市営モンロー主義の事実上の消滅以降に開設・延長された路線を含めても小規模に留まっている。 バス事業も、2018年4月より大阪シティバスに移管された。
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