在家行者に説かれる場合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 14:29 UTC 版)
「ゾクチェン」の記事における「在家行者に説かれる場合」の解説
チベット仏教ではゲルク派のツォンカパ以降、ニンマ派においても出家の僧院化や実質的な専門化が進み、一般の在家がゾクチェンの本格的な修行をすることはない。であるから、伝統では在家行者(ンガッパ)とは還俗した僧侶や、寺に入って修行をしない在家のトゥルク(転生者)や、一部の専門家を指していう。かつてのチベット社会では一般の在家の場合には文盲率も高く、「大蔵経」を読む機会も稀なので、ゾクチェンを学ぶといっても具体的な内容を伴わなかった。ここでは、修行を半ばにして還俗した僧侶やトゥルク、外国人が特例としてゾクチェンを学ぶ場合を意味している。ただし外国人の場合には、最初に寺院内で集団生活をする出家僧となる意志があるかないかを尋ね、一生涯その流派や、金剛阿闍梨としての伝統の正しい資格と戒律を有する師個人に仕えるつもりがあるかどうかについて、本人の自覚と同意とに加え、その指導者の判断が「面授口訣」を重視する密教においては、在家がゾクチェンを教わるための修行内容の重要な鍵となる。 最初に仏教についての教えと、観音や菩薩などの柔和尊の灌頂やテキストを2・3種類授かり、その際に密教に必要な諸戒律である三帰依戒・在家の五戒・八斎戒・十善戒・菩提心戒・菩薩戒に加えて、基礎の三昧耶戒である十四根本堕・八支粗罪戒等を授かる。これらの諸戒を授からなければ正式な密教の教えを聞くことはできないので、その上で『前行』の教えが始まり、『前行』のうち、前段となる「共通の加行」である種々の「訓戒」や「四転心法」を教わり具体的な伝授に備える。ここで大切なのは、仏教の諸戒律は「心地の戒」なので、それらをいかに良く理解し、その上で「四転心法」をいかに深く行じるかということにある。また、「四転心法」は、それだけで悟りの見解を得て、加えて「無常観」と「出離」の理解を得ることができるので、在家にとっては根本の修行の一つとなる。 この後、『前行』の後半となる密教の瞑想や所作からなる「特別な加行」と呼ばれる「礼拝加行」、「曼荼羅供養法」、「金剛薩埵法」、「グルヨーガ」の四加行や、別行立ての「チュウ」や「ポワ」を合わせた六加行を教わるが、正式な伝授の際にはそれぞれ灌頂を伴い、特に「金剛薩埵法」の場合の灌頂の本尊はニンマ派では必ずヤブユム(父母尊)でなければならないので、正式な伝授であるかどうかが授かる側にも分かるようになっている。この「前行」の密教の行法は、在家用のテキストは出家のテキストに比べると、約半分の長さにも満たないのほとんどであるが、各十万回を終了するのには約6ヶ月かかる。更にまた、「金剛薩埵法」は実際には回数に限りはなく、「グルヨーガ」は生涯にわたって続けることになる。これらを終了した時点で、師の判断により護法尊や守護尊(イダム:プルパ金剛や馬頭観音)法を授かり、十分な修行が重ねられた時点で、諸尊やゾクチェンための「プジャ」(供養の法要)の伝授と、「ゾクチェン」の詳細な講義と「導き入れ」が行なわれる。この後、本人が希望するならば、ゾクチェンの「阿字観」の手ほどきから、例えば「ヤンティ」や、ナーローパ伝「マハームドラー」の部分的な教えや、「ナーローの六法」の教えの中から選んで、夢見(ミラム)や光明(ウーセル)等の、本来はゾクチェンに付随する補助的な教えを「ゾクチェン」として教える。受ける側がその資格(さらなる戒律と灌頂・修行)を伴わない伝授であるため伝統ではそれ以上のことが教えられず、出家に伝える本行の「ゾクチェン」の代替の法であるので、これは「在家のゾクチェン」と呼ばれる。 伝統には良い面がたくさんあるが、マイナス面として閉鎖的であることも事実である。チベット仏教においても同様で、表面的にはオープンであっても、知った上で質問しなければ実質的な返答も正しい教えも受けることは難しい。外国人や日本人は西洋的な学習方法になれているので、知らずに質問して知ろうとするため、伝統的なスタイルにおいてはカルチャー・ギャップ以上の壁に遭遇する。ゾクチェンについてもこの例に漏れず、師から教えを受けたつもりで何も教わっていないことがしばしばあるので、仏教である前に自分自身の謙虚な精進がものをいう。 なお、『ドゥジョム・テルサル』に限って言うならば、アメリカに在住していたチャンドゥ・トゥルク・リンポチェのように、出家の「チュウ」である「ゾクチェンのチュウ」を伝授する場合もある。また、日本で一般に虹の身体を得ることで知られる「ジャルー(漢訳:虹光身)」の瞑想法は、三根本法の本尊「ツォキェー・ドルジェ」と、「蓮華生大師八大変化法」(グル・ツェンゲー)の第一の化身である「ツォキェー・ドルジェ(漢訳:不死金剛)」の瞑想法である『不死の瑜伽』のことであり、共にゾクチェンに付随する教えの一つであって、ゾクチェンそのものではない。
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