圓丈以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 10:56 UTC 版)
昭和40年代後半~平成初期 1970年代後半から80年代。新作落語に対する圧力者であった久保田・安藤師弟が相次いでこの世を去って10年以上過ぎたが、新作落語は古典落語の形式を踏襲したり、現代を舞台に置きながらも「背広を着た熊さん八っあん」と揶揄されたように古典落語の枠組みから出ない形式のもので、創作活動もマンネリズムに陥っていた。 それを打破すべく、斬新な感覚で創作する落語家たちが現れる。先駆けとなったのは、1980年(昭和55年)の三遊亭圓丈作「パニック・イン・落語界」であった。大阪の吉本興業が東京に進出して落語協会、芸術協会を破壊していくというナンセンスなストーリーであるが、奇抜な発想と機知に富んだ内容で寄席ファンに驚きをもって迎えられた。 以後圓丈は「実験落語(渋谷ジァン・ジァン)」「応用落語(池袋文芸坐ル・ピリエ)」「落語21(プーク人形劇場)」「無限落語」「落語にゅ」「落語ぬう」「実験落語neo」と新作落語会を開き続け、柳家小ゑん・夢月亭清麿などとともに活動、「パパラギ」「いたちの留吉」「グリコ少年」「肥辰一代記」などの傑作を発表する。 大阪にいた桂三枝(現・6代目桂文枝)は、圓丈の影響を受けなどの創作落語を積極的に発表、1983年に(昭和58年)に「ゴルフ夜明け前」で文化庁芸術祭大賞を受賞。「ぼやき酒屋」「妻の旅行」などは、東京の落語家も寄席で演じるスタンダードな演目となった。 この時代の他の新作落語としては、川柳川柳「ガーコン(歌で綴る太平洋戦史)」「ジャズ息子」、5代目鈴々舎馬風「会長への道」などが生まれ、大阪では6代目笑福亭松鶴「後引き酒」、2代目桂枝雀「茶漬えんま」等一連の創作活動がさかんとなる。 平成中期~ 2004年(平成16年)、三遊亭圓丈の影響を受けた春風亭昇太、柳家喬太郎、三遊亭白鳥、林家彦いち、講談の3代目神田山陽らが創作落語の研究サークル「SWA」(創作話芸アソシエーション)を結成、東京のみならず大阪でも公演し、次世代の創作落語の中心として注目を集めた。2011年(平成23年)活動休止、2019年(令和元年)活動再開。 SWAメンバーの中では、三遊亭白鳥が浪曲を元にした続き物「任侠流山動物園」や「落語の仮面(ガラスの仮面のパロディ)」で寄席定席の興行を行い、また古典落語を改作、女性落語家や古典のみを演じている落語家に演じさせる会を行うなどの積極的な試みが多い。 また、古典や新作に演劇的な演出を加えて口演する立川志の輔、映画(洋画)の落語化を手がける立川志らく、ブレーンの藤井青銅と共に全国のご当地落語の創作や洋服・椅子での語りを試みる柳家花緑、三谷幸喜「笑の大学」を落語化した柳家さん生など、集団的な新作落語の動きとは別に、独演会で独自の新作落語を口演する落語家も増えてきた。 若手真打や二つ目にも、新作落語を演じる落語家が多く出現している。 落語協会では2012年(平成24年)に林家きく麿・三遊亭天どん・古今亭志ん五(2代目)・古今亭駒次(現・古今亭駒治)・三遊亭粋歌(現・弁財亭和泉)・三遊亭めぐろ(現・三遊亭れん生)・柳家花いちによる新作落語ネタ下ろしの会「新作落語せめ達磨」がスタート。 落語芸術協会では瀧川鯉朝、桂枝太郎(3代目)、春風亭鯉枝、笑福亭羽光(「ペラペラ王国」で渋谷らくご創作大賞とNHK新人落語大賞を受賞)、瀧川鯉八、春風亭昇々などが新作派として評価されている。 落語立川流では、「芝浜」→「シャブ浜」、「紺屋高尾」→「ジーンズ屋ようこたん」など古典落語を題名も含め大胆に改作した立川談笑、談笑の弟子で著書「現在落語論」で古典・新作落語について論じ独自の新作を作る立川吉笑、立川笑二、立川寸志などがいる。 2017年(平成29年)、創作話芸ユニット「ソーゾーシー」が活動開始。メンバーは瀧川鯉八・春風亭昇々・立川吉笑・玉川太福(浪曲)+玉川みね子(曲師)。Webを使った広報活動や落語会でのネタおろしを積極的に行い、クラウドファンディングによる全国ツアーを複数回成功させている。
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