国際共同開発の模索
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「F-2 (航空機)」の記事における「国際共同開発の模索」の解説
1986年(昭和61年)12月には、「国内開発」「現有機の転用」「外国機の導入」の三択のうち「国内開発」を「開発」と改め、「アメリカとの共同開発」をこれに含めることとなった。年が明けた1987年(昭和62年)、栗原祐幸防衛庁長官(第3次中曽根内閣)はFS-X選定にあたって下記の三原則を示した。注意すべきは第2項目で、軍事的な相互運用性(インターオペラビリティ)を確保できることとの注釈がついていた。 防衛上の技術・専門的見地から、日本の防衛にとって最善のものを選定する。 日米防衛協力体制の重要性を踏まえる。 内外の防衛産業の影響を排除する。 1987年(昭和62年)4月11日よりアメリカ国防総省の調査チームが来日、三菱重工業名古屋航空機製作所、三菱電機鎌倉製作所を視察、防衛庁で日本側と意見交換を行った。この時、三菱重工は調査チームを招いて、自らが描いた「FS-X」の説明を行った。国防総省側は、日本政府がどの程度出資を行い、どのような戦闘機を生み出そうとしているのかを総合的に判断するための派遣であった。一方の三菱は「FS-X」を生み出す力が備わっていることを印象付けるために、この調査団の査察を受け入れた。 この際、三菱側が明かしたFS-Xに盛り込もうと構想していた最先端技術は、主に以下の通りである。 主翼を新素材の一体成形で製造する技術(炭素系複合材) 最新鋭のレーダー技術(フェイズド・アレイ・レーダー) ステルス性 CCV技術 この中で、特に調査団を驚かせたのは新素材技術である。従来のように鉄板を張り合わせるのではないため、ボルトや留め具を必要としない。また、理想的な形に成形するのが容易であり、鉄より強くアルミニウムより軽いことから機体の大幅な軽量化、航続距離の延長、ミサイル搭載数の増加が望める。 また、独自開発したフェイズド・アレイ・レーダーの披露も行われた。三菱側の技術者は、同時に複数の目標を捉えられるその性能から「とんぼの眼」と呼んでいた。査察を終えた調査チームは、技術力そのものよりも到達目標の高さに注目した。査察チームの一人は「『ニューゼロファイター』だ。日本は新たなゼロファイターを創り出そうとしている」と、漏らしたという。当時は素子アンテナとして利用されるガリウムヒ素化合物半導体や同結晶の大半を日本メーカーが供給していた。 その後、調査チームは「日本は官民一体となって国産FS-Xを目指しているが、研究開発コストは莫大なものとなる。また、部分的に優れた技術を有しているが、総じてアメリカの戦闘機が持つ技術水準には及ばない」との報告書をまとめた。この報告結果から、「高度な技術と開発への熱意は認めるが高額な航空機開発への見通しが甘く、費用対効果の点で疑問がある。F-16もしくはF/A-18の改造開発、それで要求性能を満たせない場合はF-14もしくはF-15の購入が適当である」との所感を表明した。この当時の日本のFS-X開発予算の見積りは1650億円(昭和六十年度価格)であった。実際には倍額となったが、アメリカは自国の実績から独自に6000億円が必要との見積りを立てていたため、「日本が独自に開発した場合、FS-Xが予算超過で頓挫する」ことを懸念した。知日派、親日派であっても、コストパフォーマンスの点から米国製導入を薦めた理由である。 6月28日、東京都内のホテルで行われた栗原祐幸防衛庁長官とキャスパー・ワインバーガー国防長官の会談では日本側より「日米共同開発で新しくFS-Xを開発したい」、アメリカ側より「米国の戦闘機を日米共同で開発してはどうか」との意見が交わされ、日本単独の開発を示す「国内開発」は事実上の終焉を迎えた。これは日本のFS-X開発の容認であると同時に、アメリカ製戦闘機の輸入またはライセンス生産要求の終焉でもあった。
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