国際共同開発へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 02:29 UTC 版)
欧州エアバス構想は欧州のメーカーが開発経験のない大型旅客機であり開発費も高額になると見込まれた。当時欧州の航空機メーカーは、米国のボーイングやダグラスに販売機数で大きな差をつけられており、1社単独では巨額の開発費を賄うことは困難視され、現実策として複数メーカーでの共同開発が模索された。 1966年7月にエアバス計画の担当企業としてイギリス政府がホーカー・シドレーを、フランス政府がシュドを指名し、これにドイツのエアバス検討グループが加わり共同プロジェクトとしてヨーロピアン・エアバスを開発することに合意した。同年10月15日にプロジェクト参加企業はそれぞれの政府に対して計画への助成申請を行ったほか、機体仕様のとりまとめも進行して1967年2月に初期仕様書が発行された。 その後、ヨーロピアン・エアバスは、より広い旅客機市場に対応できるよう最大離陸重量が120トンに引き上げられ機体サイズが300席級に大型化した。この機体案はエアバス (Airbus) の"A"と座席数の"300"を組み合わせてA-300と呼ばれるようになった(当初、ハイフンを含む表記が用いられたが、のちにハイフンなしのA300となっている。)。1966年7月にボーイングが正式開発を決定していた747との共通性を重視するよう仕様が変更され、胴体直径は747とほぼ同じ6.4メートル、搭載できる貨物コンテナや床面地上高も747と同じとされた。また、航空会社はエンジンについても747と同じプラット・アンド・ホイットニー(以下、P&W)社のJT9Dを装備するよう要請していた。 しかし、イギリスは自国のロールス・ロイス(以下、R-R)が計画していた新エンジン「RB207」の採用を強硬に主張し、英仏独政府間の調整により、機体の取りまとめをフランスが担当するかわりとしてエンジンはR-R製RB207双発のみとなった。1967年9月4日には西ドイツにおけるエアバス事業の受け皿として、MBBとVFWの合弁によりドイチェ・エアバス社が設立された。こうして着々と準備が進められ、1967年9月26日に英仏独3か国政府で以下のようなA-300プロジェクトの了解覚書が取り交わされた。 機体開発費は推定総額1.4億ポンドで分担は英仏が各37.5パーセント、独が25パーセント。 エンジン開発費は推定総額6千万ポンドで分担は英75パーセント、独仏が各12.5パーセント。 機体設計はシュドが主導してホーカー・シドレーとドイチェ・エアバスが協力する。 エンジン設計はR-Rが主導し、仏のスネクマと独のMTUが協力する。 装備品は欧州内のみから調達。 販売のための共同会社を設立。 1968年7月31日までに英国欧州航空、エールフランス、ルフトハンザ航空から計75機の受注が得られたら実機開発に着手。 仮日程として初飛行は1971年3月、型式証明は1972年11月、初就航を1973年春とする。
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