和算の発展に関わった人物
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毛利重能 吉田光由 今村知商 - 『竪亥録(じゅがいろく)』(1639年(寛永16年))。測量や求積に関係する公式集。漢文で専門家向けに書かれた。弓型の孤と弦の関係に関する近似公式が見られる。 沢口一之 田中由真 - 京都の和算家。筆算による多変数代数。小さなサイズの行列式と終結式。関孝和と独立。魔方陣、数学遊戯の研究。『算法明解』(1679年(延宝7年))『算学紛解』(1690年(元禄3年)頃) 井関知辰 - 大阪の和算家。行列式、終結式の理論。関と独立。『算法発揮』1690年(元禄3年) 鎌田俊清 - 大阪の和算家。円の内接及び外接多角形の周の計算から、円周率の上限と下限を評価。さらに、arcsin, sin などの無限級数展開を『宅間流円理』(1722年(享保7年))で発表。これは建部と並んで日本初の無限級数展開。『円理秘術』。 関孝和 荒木村英 - 関流初伝。関孝和の死後、その遺稿を整理し『括要算法』を編集した。数学上、目立った業績はなく、『括要算法』に誤字が多いのも荒木の実力不足ゆえ、とも。 建部賢弘 礒村吉徳 - 寛文元年(1662年)「算法闕疑抄」を刊行、珠算でなしうる算学を集大成した。天和三年(1683年)頃、円周率を3.1416まで求めていた事で知られる。 中根元圭 - 和算家。『律原発揮』(1692年(元禄5年))において1オクターブを12乗根に開き十二平均律を作る方法を発表した。また、暦学に詳しく、建部とともに吉宗に西洋暦法の導入、漢訳西洋天文学書の輸入の必要性を訴えた。数学のみならず、諸学に造詣が深かった。京都出身で、数学は初め田中由真に学んだが、後に建部の門下に入っている。 久留島義太(? - 1757年(宝暦7年)) - 詰将棋の作者としても有名。 松永良弼 - 無限級数、特に和算で最初の二重級数。建部によって本格的に開始された円理の研究を本格化した。その著作に多く友人の久留島の業績を紹介。関流二伝。 山路主住 - 関流三伝。関流の制度を整え、弟子を養成。 安島直円 - 関流四伝。円理の革新をおこした。他にも対数の研究や変商術の発明など独創が多い。 会田安明 - 関流藤田貞資との論争が有名。最上流をたて、主に東北で勢力を得た。 藤田貞資(1734年(享保19年) - 1807年(文化4年)) - 優れた教育者で和算の普及に大いに貢献。不要に複雑な問題を避け、系統的で一般的な解法を重んじた。『精要算法』(1781年(天明元年))。会田安明との論戦でも有名。関流四伝。 和田寧(1787年(天明7年) - 1840年(天保11年)) - 円理表(様々な関数の [0,1] 区間の定積分の結果を表にしたもの)完成者として名高い。また、安島の二重級数の理論を一般化。これらにより、複雑な求積問題がたやすく解かれるようになった。微分のフェルマーの方法も発表し、極値問題に応用している。播州三日月藩土から増上寺の寺侍となったが、素行不良のゆえに追放され、数学、書道の教授と易で生計を立てる。浪費がはなはだしく、死後に妻子は路頭に迷ったという。しかし、その独創性は著しく、当時の和算の大家の多くが和田の円理表を見るために入門している。 武田真元 法導寺善(1820年(文政3年) - 1868年(明治元年)) - 幕末に活躍。当時、互いに接する多数の円の半径の関係を求める問題が広く扱われた。これを簡単化するため、算変法を導入し、円の一つを直線に変換することで計算を簡略化した。これは現在の反転に相当する。そのほか、図形の重心問題やサイクロイドに関係した問題を扱う。 内田五観 有馬頼徸 - 筑後久留米藩主。 鏡光照
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