和算家が計算した3.14
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 10:05 UTC 版)
江戸初期、1600年代前半頃から、円を対象とした和算的研究である「円理」が始まる。その最初のテーマの一つが円周率を数学的に計算する努力であり、1663年に日本で初めて村松茂清が『算爼(さんそ)』において「円の内接多角形の周の長さを計算する方法」で3.14…という値を算出した。『算爼』では円に内接する正8角形から角数を順次2倍していき、内接215 = 32768角形の周の長さで、 3.1415 9264 8777 6988 6924 8 と小数点以下21桁まで算出している。これは実際の値と小数第7位まで一致している。その後1680年代に入ると、円周率の値を3.16とする数学書はなくなり、3.14に統一された。1681年頃には関孝和が内接217角形の計算を工夫し、小数第16位まで現代の値と同じ数値を算出した。この計算値は関の死後1712年に刊行された『括要算法』に記されている。 日本の和算家に特徴的なのは、1663年に3.14が初めて導き出されても、その後1673年までの10年間に円周率の値を3.14とした算数書のいずれもが、先行者の円周率をそのまま引き継ぐことをせず、それぞれ独自の値を提出していたことである。この背景には当時の遺題継承運動に「他人の算法をうけつぐ」と共に「自己の算法を誇る」という性格があったためだという。そのため古い3.16の値が疑われてから、遺題継承の際に必ずといってよいほど円周率の値が変えられている。しかしながら江戸時代の3大和算書『塵劫記』『改算記』『算法闕疑抄』の増補改訂版では1680年代には3.14に統一された。
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