和算研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 00:52 UTC 版)
和算が存亡の危機に立たされるようになると、和算が忘れさられるのを恐れて和算史研究が起こった。遠藤利貞は、1877年(明治10年)に東京数学会社が設立された年より和算史研究を始め、20年かけて1896年(明治29年)、『大日本数学史』を出版する。これを受けて菊池大麓は和算取調所を設け、荻原禎助、岡本則録、三上義夫(前ふたりは元々和算家である)などがこれに努めた。1911年(明治44年)に東北大学が設置されると林鶴一もまた和算書の収集研究を行い、没後『和算研究集録』としてまとめられた。 藤原松三郎もまた、林鶴一の没を受けて晩年和算史研究に努めた。1940年(昭和15年)には、紀元2600年記念事業『明治前日本科学史』の企画の中で『明治前日本数学史』の編纂が藤原松三郎の手によって行われ、藤原の没後、ようやく1954年(昭和29年)にこれが出版された。 藤原松三郎著『日本数学史要』によると、最後の和算家および和算書とみられるのは東北の熊谷藤吉とその著『和算開式法』であるという。この書は藤原松三郎が序文を担い、1946年(昭和21年)和算の最後を飾った。 現代でも和算研究の灯火は消えず、例えば一関市博物館では毎年、和算の問題を出して解法を募っている。
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