君津地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/25 09:06 UTC 版)
「新日鐵住金君津製鐵所」の記事における「君津地区」の解説
最寄駅は君津駅であり、社宅の多い地域を経由して君津製鐵所までの路線バスが運行されている。特に、八重原地区(君津市)、大和田地区(君津市)、畑沢地区(木更津市)には関連会社などの社宅が多い。これらの社宅を連絡して運行される君津市内循環線は比較的本数が多いが、各社宅からの直行通勤バスも運行されている。2007年11月30日までは清見台団地(木更津市)からの通勤路線として清見製鐵線が運行されていたが利用者の減少により廃止された。 JR内房線君津駅よりタクシーで10分。路線バスでは北口から君津市内循環線「A循環・B循環」、南口から周西線「君津製鐵所行き」(日東交通)で君津製鐵所下車。 JR内房線木更津駅よりタクシー。路線バスでは西口から潮見線「イオンモール木更津経由 君津製鐵所行き」(日東交通)で君津製鐵所下車。 東京駅八重洲口前から東京湾アクアライン高速バス(京成バス・日東交通)、君津製鐵所下車。 羽田空港から東京湾アクアライン高速バス(京浜急行バス・日東交通)で約60分、君津製鐵所下車。 館山自動車道木更津南インターチェンジから国道16号経由で約5分。
※この「君津地区」の解説は、「新日鐵住金君津製鐵所」の解説の一部です。
「君津地区」を含む「新日鐵住金君津製鐵所」の記事については、「新日鐵住金君津製鐵所」の概要を参照ください。
君津地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 14:04 UTC 版)
「日本製鉄東日本製鉄所」の記事における「君津地区」の解説
木更津港に面する千葉県君津市君津1番地に君津地区はあり、君津地区の敷地面積は約1173万m2(東京ドーム約220個分)で、工場の大半は君津市内にあるが、一部が隣の木更津市に及んでいる。 高炉を2基有し、2018年度の年間粗鋼生産量は802万トンである。
※この「君津地区」の解説は、「日本製鉄東日本製鉄所」の解説の一部です。
「君津地区」を含む「日本製鉄東日本製鉄所」の記事については、「日本製鉄東日本製鉄所」の概要を参照ください。
君津地区(東京)(閉鎖)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 14:04 UTC 版)
「日本製鉄東日本製鉄所」の記事における「君津地区(東京)(閉鎖)」の解説
1935年(昭和10年)に日本特殊鋼管東京工場として創設された。主にシームレス鋼管を製造する。製造所は新河岸川に面し、隣接して日本金属板橋工場がある。製造品の材料は、君津地区から艀で運搬し、専用の船着場と荷役設備を持っていた。2020年(令和2年)5月に小径シームレス鋼管工場を休止し、日本製鉄関西製鉄所和歌山地区海南地区生産を集約して閉鎖された。東京都板橋区舟渡の土地は、2021年6月30日に日鉄興和不動産に売却され、日本製鉄はこれにより750億円程度を特別利益に計上する見込みである。
※この「君津地区(東京)(閉鎖)」の解説は、「日本製鉄東日本製鉄所」の解説の一部です。
「君津地区(東京)(閉鎖)」を含む「日本製鉄東日本製鉄所」の記事については、「日本製鉄東日本製鉄所」の概要を参照ください。
君津地区(君津)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 14:04 UTC 版)
「日本製鉄東日本製鉄所」の記事における「君津地区(君津)」の解説
1960年(昭和35年)1月 - 木更津・君津地区の立地調査実施。 1960年(昭和35年)11月 - 君津町(当時)への進出を正式発表。 1961年(昭和36年)8月 - 君津漁協との間の補償協定に調印。 1962年(昭和37年)1月 - 第一期埋立工事開始。 1965年(昭和40年)2月 - 八幡製鐵君津製鐵所として発足。 1965年(昭和40年)4月 - 冷延工場のみで操業開始。 1968年(昭和43年)11月 - 第1高炉竣工、火入れ。銑鋼一貫体制が確立。 1969年(昭和44年)10月 - 第2高炉竣工、火入れ。 1970年(昭和45年)3月31日 - 新日本製鐵発足に伴い、同社の君津製鐵所となる。 1971年(昭和46年)9月 - 第3高炉竣工、火入れ。 1975年(昭和50年)10月 - 第2高炉吹き止め。第4高炉竣工、火入れ。 1976年(昭和51年)2月 - 第1高炉吹き止め。 1982年(昭和57年)2月 - 第3高炉吹き止め。第2高炉第二次操業開始、火入れ。 1986年(昭和61年)4月17日 - 第3高炉第二次操業開始、火入れ。 1988年(昭和63年)7月4日 - 第4高炉第二次操業開始、火入れ。 1994年(平成6年)11月7日 - 第2高炉第三次操業開始、火入れ。 1995年(平成7年)9月 - 天皇(現・上皇)来訪。 2001年(平成13年)1月19日 - 第3高炉吹き止め。 2001年(平成13年)5月19日 - 第3高炉第三次操業開始、火入れ。 2003年(平成15年)2月9日 - 第4高炉吹き止め。 2003年(平成15年)5月8日 - 第4高炉三次操業開始、火入れ。 2007年(平成19年)7月1日 - 新日鐵化学君津製造所を統合、コークスの製造を開始。 2009年(平成21年)11月9日 - 管理センターを君津市君津から木更津市築地へ移転。 2012年(平成24年)10月1日 - 新日本製鐵が住友金属工業を吸収合併し、新日鐵住金君津製鐵所となる。 2014年(平成26年)4月 - 東京製造所と統合。 2019年(平成31年)4月1日 - 新日鐵住金が日本製鉄に社名変更し、日本製鉄君津製鉄所となる。 2020年(令和2年)4月 - 日本製鉄の組織統合により、日本製鉄東日本製鉄所君津地区(君津)となった。
※この「君津地区(君津)」の解説は、「日本製鉄東日本製鉄所」の解説の一部です。
「君津地区(君津)」を含む「日本製鉄東日本製鉄所」の記事については、「日本製鉄東日本製鉄所」の概要を参照ください。
君津地区(東京)(閉鎖)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 14:04 UTC 版)
「日本製鉄東日本製鉄所」の記事における「君津地区(東京)(閉鎖)」の解説
1935年(昭和10年) - 日本特殊鋼管戸田工場(東京工場)として発足。 1968年(昭和43年) - 八幡製鐵と合併し、同社の東京製造所となる。 1970年(昭和45年) - 八幡製鐵と富士製鐵が合併し、新日本製鐵が発足。同社の東京製造所となる。 2012年(平成24年) - 新日本製鐵が住友金属工業を吸収合併し、新日鐵住金東京製造所となる。 2014年(平成26年) - 新日鐵住金君津製鐵所と統合し、君津製鐵所・東京地区となる。 2020年(令和2年)4月 - 日本製鉄の組織統合により、日本製鉄東日本製鉄所君津地区(東京)となった。 2020年(令和2年)5月 - 小径シームレス鋼管工場を休止し、日本製鉄関西製鉄所和歌山地区海南地区に7産を集約して閉鎖された。
※この「君津地区(東京)(閉鎖)」の解説は、「日本製鉄東日本製鉄所」の解説の一部です。
「君津地区(東京)(閉鎖)」を含む「日本製鉄東日本製鉄所」の記事については、「日本製鉄東日本製鉄所」の概要を参照ください。
君津地区(君津)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 14:04 UTC 版)
「日本製鉄東日本製鉄所」の記事における「君津地区(君津)」の解説
最寄駅は君津駅であり、社宅の多い地域を経由して君津製鐵所までの路線バスが運行されている。特に、八重原地区(君津市)、大和田地区(君津市)、畑沢地区(木更津市)には関連会社などの社宅が多い。これらの社宅を連絡して運行される君津市内循環線は比較的本数が多いが、各社宅からの直行通勤バスも運行されている。2007年11月30日までは清見台団地(木更津市)からの通勤路線として清見製鐵線が運行されていたが利用者の減少により廃止された。 JR内房線君津駅よりタクシーで10分。路線バスでは北口から君津市内循環線「A循環・B循環」、南口から周西線「君津製鐵所行き」(日東交通)で君津製鐵所下車。 JR内房線木更津駅よりタクシー。路線バスでは西口から潮見線「イオンモール木更津経由 君津製鐵所行き」(日東交通)で君津製鐵所下車。 東京駅八重洲口前から東京湾アクアライン高速バス(京成バス・日東交通)、君津製鐵所下車。 羽田空港から東京湾アクアライン高速バス(京浜急行バス・日東交通)で約60分、君津製鐵所下車。 館山自動車道木更津南インターチェンジから国道16号経由で約5分。
※この「君津地区(君津)」の解説は、「日本製鉄東日本製鉄所」の解説の一部です。
「君津地区(君津)」を含む「日本製鉄東日本製鉄所」の記事については、「日本製鉄東日本製鉄所」の概要を参照ください。
君津地区(東京)(閉鎖)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 14:04 UTC 版)
「日本製鉄東日本製鉄所」の記事における「君津地区(東京)(閉鎖)」の解説
※この「君津地区(東京)(閉鎖)」の解説は、「日本製鉄東日本製鉄所」の解説の一部です。
「君津地区(東京)(閉鎖)」を含む「日本製鉄東日本製鉄所」の記事については、「日本製鉄東日本製鉄所」の概要を参照ください。
- 君津地区のページへのリンク