和歌山地区・海南地区
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「日本製鉄和歌山製鉄所」の記事における「和歌山地区・海南地区」の解説
1942年(昭和17年)に、「(旧)住友金属工業和歌山製鉄所」として操業開始。第一高炉が完成した1961年(昭和36年)に鉄鋼一貫体制が確立して現在に至っている。鹿島製鉄所が完成するまで、同社の主力製鉄所として機能し、2年ごとに高炉を新設して生産量を拡大してきた。ピーク時の1970年(昭和45年)には高炉5基で約920万トンを生産し、和歌山市経済の象徴であった。旧住金の関連会社は3万人もの社員を抱えており、和歌山市は全国有数の企業城下町(こちらも参照)と言われた。(ちなみに1960年の和歌山市の人口は28万5155人) 1970年以降、鹿島製鉄所(1968年操業開始、年産約800万トン)への生産集約や需要低迷により断続的に減産が行われた。その結果、1990年代以降は高炉2基体制となり、生産量も1998年には約270万トンまで落ち込んだ。この時期には高炉などの設備の老朽化が進み、設備投資が行われなければ合理化による高炉閉鎖の可能性もあった(旧新日本製鐵は堺製鐵所等で高炉廃止を行っている)。 この状況下で、中国の経済成長などによる鉄鋼需要の大幅な増加を受けて高炉を新設し、老朽化した高炉を停止するスクラップ・アンド・ビルドの方針が打ち出され、2000年代以降新高炉の建設が続けて行われた(詳細は後述)。これらの経緯を経て、現在も旧住金側の主力製鉄所として機能している。
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1942年 - 操業開始。 1961年3月 -第一高炉火入れ 鉄鋼一貫体制が確立。 1963年4月 - 第二高炉火入れ。 1965年4月 - 第三高炉火入れ。 1967年3月 - 第四高炉火入れ。 1969年2月 - 第五高炉火入れ。 1969年12月 - 粗鋼年産920万トン体制。 1983年3月 - 第一高炉解体。鹿島製鉄所へ大量配転。 1988年6月 - 海南鋼管製造所と統合。 1990年9月 - 高炉2基体制化(第四・第五高炉)。 1992年12月 - 日本ステンレス(株)(現:日鉄ステンレス)と合併。 1997年2月 - 新シームレス操業開始。 1998年 - 粗鋼年産270万トンまで低下。 1999年7月 - 新製綱工場操業開始。 1999年7月 - 溶接管事業を分離→住友鋼管(現:日鉄鋼管)へ。 1999年7月 - 溶融亜鉛めっきライン2基の内1基を分離→関包スチールと合弁でケイエスガルバ設立。 2003年11月 - 上工程を分社化し、住金鋼鉄和歌山(後の日鉄住金鋼鉄和歌山)を設立。 2004年12月 - グラウンドをオークワへ売却→ガーデンパーク和歌山店へ。 2009年7月 - 新第1高炉完成、7月17日火入れ。粗鋼年産450万トン体制。それにともない第4高炉吹き止め(7月11日) 2012年10月 - 新日鐵住金が発足。 2014年4月 - 堺製鐵所と統合。 2018年4月 - 新日鐵住金が日鉄住金鋼鉄和歌山を吸収合併。 2019年2月 - 新第2高炉、2月15日火入れ。粗鋼年産500万トン体制。それに伴い、第5高炉吹き止め。
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