同タイトルの別企画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 02:56 UTC 版)
「いつかギラギラする日」の記事における「同タイトルの別企画」の解説
この「いつかギラギラする日」というタイトルは、本来は全く内容の異なる内容の作品だった。 「仁義なき戦いシリーズ」によって、いわゆる「実録路線」が幕を開けた直後の1973年1月、東映社長の岡田茂(当時)により『実録・共産党』の企画が立ち上がる。「山谷の労働者にも分かる映画を作れ」をモットーとする岡田社長は、「坊主と政治はあかん」が口癖で、どちらも註文がうるさいためで、この二つをテーマをした映画を東映の企画会議でプロデューサーがプレゼンすると即座に却下した。ところが『仁義なき戦い』で「実録路線」という鉱脈を得たこと、1972年12月の衆議院総選挙で日本共産党が大都市圏で票を集め38議席を獲得、自民、社会に次ぐ第三党に躍進したこと、東宝が1973年に池田大作原作の『人間革命』を創価学会の大量動員でヒットさせたのを見て、同じように組織的動員が見込めるのは共産党ではないかと思い付き、企画部長の渡邊達人に「共産党の実録はどうや」と研究を指示、笠原和夫に共産党を題材にした脚本を書かせた。岡田は戦前の共産党ならアクション映画になると見込んでいた。しかし笠原は『あゝ決戦航空隊』にかかりきりで脚本が進まないため、被差別問題を綿密に調査するなど調べものに定評のある野波静雄を共作者に指名した。ドラマになるネタが意外になく脚本は難航し、『丹野セツ―革命運動に生きる』(1969年、丹野セツ述、山代巴・牧瀬菊枝編、勁草書房)を切り口にようやく脚本が進み、1974年夏に製作が決定、9月にクランクインし、シルバーウィーク公開と告知もされ、「渡辺政之輔と丹野セツの夫婦愛をそれにまつわる数々の事件を実録ものとして描く。渡辺政之輔役に菅原文太が決定、丹野セツ役は吉永小百合、栗原小巻に断られ、川口晶が最有力。日本共産党及び赤旗に動員面における協力を求めたが、いずれもドラマの主人公の思想が現在の日本共産党とは異なるとして協力を拒否された。笠原の脚本が遅れていることから場合によっては封切りを来年まわしにすることも検討中」などと報道された。笠原の脚本が丹野セツを中心とした共産党残虐史のような非常に暗い内容で、当時の社会情勢から共産党の映画が受け入れられる環境にあるかどうか、『山口組三代目』などとは本質的に違う問題もあり、岡田社長も二の足を踏み、いろいろ問題があると判断され延期された。「丹野セツ役は吉永小百合で決まり、共産党関係者の組織動員を見込んだものの、渡辺政之輔の描き方などを巡って共産党側と意見が割れ、窓口となる東映京都撮影所の労働組合の共産党員の委員長の了解が得られずに企画倒れとなった」とする文献も複数ある。山城新伍は、おおかた宮本顕治共産党委員長(当時)からのクレームかと思い、(山城は、『独占!男の時間』は、宮本の影響で打ち切られたことに対し宮本と日本共産党を恨んでいた。)岡田社長に「どうして止めるのか?」と聞いたら「代々木(共産党本部)が思ったよりキップ(前売り券)買わんのや」と言われたと話している。この笠原による脚本は、笠原と深作が相次いで没した直後の『映画芸術』2003年春号にて両名の追悼企画として初めて公刊された他、扶桑社刊『en-taxi』誌2005年秋号にも付録として収録された。 その後1976年、川口晶が社外秘である『実録・共産党』の脚本を入手し、当時昵懇だった角川春樹に「どうしても丹野セツ役をやりたい」と頼み込み、深作と笠原に角川が接近する。『犬神家の一族』に続く角川映画の第2弾として1977年に公開予定と発表もされていた。角川は『俺たちに明日はない』や『明日に向って撃て!』のような映画にして欲しいと笠原に注文を出し、笠原は神波史男の助けを借り、ニューシネマに寄せる作業を行う。笠原がノベライズして小説版も出し、東映が下請けで制作して東映洋画系での上映予定で、主演候補として川口晶や川谷拓三の名前も挙がっていた。角川は『実録・共産党』はやりたいが亀戸事件を省き、明るく出来ないかなどと深作に提案した。角川からの要求が次第に多くなり、笠原は亀戸事件をなくすのでは単なるアクション映画になると抵抗し紛糾し降板した。 笠原が降板した後、深作が神波史男に声を掛け、後を継いだ神波は「どうにもならん」と、高見順の『いやな感じ』を元にした大正時代のアナーキストを描く話を提案する。この時点で、日本共産党の実録作品という本来の路線は消失した。またタイトルをどうするんだという話になり、角川春樹が内容的には全く無関係の河野典生の小説『いつか、ギラギラする日々』のタイトルを気に入っていて、ウチの本だから構わない、「日々」を「日」にして『いつか、ギラギラする日』と命名した(河野の短編集『いつか、ギラギラする日々』の中に『いつか、ギラギラする日』がある)。しかしこの企画は角川映画が森村誠一と横溝正史を売り出す方針をとることになり消滅することになる。神波による脚本は、神波没後の追悼誌『映画芸術増刊 この悔しさに生きてゆくべし』(2012年12月)に初収録された。この時期の『いつか、ギラギラする日』は、丹野セツ=川口晶、渡辺政之輔=渡哲也、徳田球一=加藤武、九津見房子=岩下志麻、渡辺テフ=田中絹代、丹野一郎=東野英治郎など、オールスターキャストが組まれていたという。
※この「同タイトルの別企画」の解説は、「いつかギラギラする日」の解説の一部です。
「同タイトルの別企画」を含む「いつかギラギラする日」の記事については、「いつかギラギラする日」の概要を参照ください。
- 同タイトルの別企画のページへのリンク