十月事件とその後
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三月事件に関係した血盟団のメンバーは十月事件にも深く関与した。 1931年 (昭和6年) 8月26日、外苑の日本青年館において郷詩会との名で会合が持たれた。この会合には、桜会の急進派、血盟団事件と五・一五事件の関係者はほぼ全員が参加している。 郷詩会の会合は、血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件の主要関係者が一堂に会した会合として有名だが、実態としては、西田税をまとめ役として選出したことと連絡網が出来た程度で、それ以外には、単に自己紹介をし互いに語り合っただけの会合だった。 郷詩会は、クーデターを実行するとは言ったもののその計画は全く白紙だった。 急進派だった血盟団のメンバーや橘孝三郎らは会合に失望した。井上は、三月事件以来の陸軍・大川のクーデター計画に乗っかることを考えており、藤井斉に、大川と接触して情報を探るように命じる一方で、西田にも陸軍への働きかけを頼んだ。 その後、藤井経由で大川のクーデター計画 (すぐ後に起こる十月事件とは異なる計画) の情報が入ってきたが、満州で中国人をそそのかして日本人の売薬商を2,3人殺させる謀略を起こし、その事件をあおって国際問題にまで発展させて、その混乱に乗じてクーデターを起こそうというもので、貧乏人を殺して権力を握ろうとする大川の手口に怒った井上は、大川とは手を切ることにした。ただ、これまでと同様、手を切ったと言っても一時的なものに過ぎず、この年の年末には、再度、大川に接近するため西田税と接触をはかる。 一方、西田は陸軍将校の菅波三郎、野田又雄、末松太平らを経由して、クーデター計画 (十月事件のこと) の推進者に接触、最終的には9月上旬に橋本欣五郎と面会し、血盟団もクーデター計画に参加することが了承、合意された。 十月事件の計画では、久木田と四元が牧野伸顕、田倉と田中が西園寺公望、池袋と小沼が一木喜徳郎、古内が鈴木貫太郎を暗殺する予定だった。しかし、要人暗殺実行の直前になって、橋本欣五郎一派が暗殺は陸軍が担当すると伝えてきた。特に長勇は、海軍将校組と血盟団を足手まといな存在と考え、陸軍のみでのクーデター実行に拘泥した。 このような計画の一方的な変更を、井上は10月11日頃に、西田税と菅波から聞かされた。井上はすぐに、京都に送った田中と田倉に対して、西園寺暗殺計画を中止するよう連絡し、その後、四元を京都に向かわせ、二人を連れ帰るように手配した。 同時に、井上は何とか陸軍と合同してテロを実行し、クーデター計画に一枚かもうとしたが、橋本一派の計画は一向につかめなかった。当初の計画では、10月20日の午前一時に政財界の要人を襲撃し、通信機関を占拠、戒厳令を施行、新内閣 (首相兼陸相に荒木貞夫、蔵相に大川周明、内相に橋本欣五郎、外相に建川美次、海相に小林省三郎、警視総監に長勇) を樹立する手はずだったが、15日から16日にかけて計画の内容が陸軍首脳部に漏れ、17日に橋本一派の中心人物が拘束された。これでクーデター計画はあっけなく崩壊した (十月事件)。 そもそも、計画段階からクーデター実行グループ内で感情的な対立が渦巻いていた。クーデター計画の段階で既に井上一派は橋本一派に不信感を持っていた。また、橋本一派も井上らに対して同様に不信感を抱いていた。井上たちが橋本一派に不信感を持った一番の理由は、クーデター成功の暁には橋本一派によって政権を作り、論功行賞を行うことを事前に取り決めていたことにあった。井上一派は、これを不純な精神に基づいた行動と考え、クーデター実行後、橋本一派を襲撃して論功行賞の実施をさせないようにしようと考えていたが、クーデター計画が未遂に終わったため、襲撃は実行されなかった。 十月事件以降、井上や血盟団のメンバーは西田を信用しなくなった。後の五・一五事件時に西田が川崎に拳銃で狙撃された原因はこの時に生まれた。また、陸軍とは距離を置き、血盟団独自でのテロ路線に走るきっかけになった。 十月事件失敗の後、血盟団は陸軍や西田から離脱し独自にテロ計画を実行することを決めた (ただし、井上の決心は常に揺らいでおり、独自にテロ計画を実行しようとしながら、結局は西田や大川との共闘に頼ろうとし続けた)。 この後、小沼は母親が危篤との連絡により、一時大洗に戻った (間もなく、母親は回復)。一方、田倉は京都に戻り大学生活を再開、京都帝大の国家主義団体・猶興学会(ゆうこうがっかい)に入会して、同志の勧誘を始めた。ここで田倉が目をつけたのが星子毅である。田倉は星子を井上に引き合わせることを決め、1931年12月中旬に京都から星子を連れて上京、四元、古内らや井上に会わせた。井上は、星子を血盟団に入れることは時期尚早と考え、星子自身もこの段階で血盟団のテロ計画に参加するつもりもなかったが、結局は、星子をテロ計画に参加させることになった。 年末になると、井上の耳に、大川が再度クーデターを起こすという噂が入ってきた。井上は、その話の詳細を探ろうとして、12月29日に権藤の家で開かれた忘年会に参加した。忘年会には、西田の他、陸海軍の青年将校も参加しており、血盟団の古内、四元、池袋、久木田も参加した。しかし、肝心のクーデターに関する情報は得られなかった。翌日の30日には、西田から、もう一度宴会を開きたいとの話があり、再度血盟団のメンバーと西田、青年将校が集まった。ただ、西田の意図が何だったのかは不明である。 この時の宴会では、双方が互いに不信感を抱く結果に終わった。西田は、酔った井上が路上でテロについて大声で話したことを不謹慎だと問題視し、運動から除名することを決断、一方、血盟団のメンバーは、荒木貞夫による合法的革新に期待した西田や陸軍青年将校が、クーデター計画をつぶそうとしていると感じ、西田と袂を分かつことにした。
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