十月事件とその後とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 十月事件とその後の意味・解説 

十月事件とその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:36 UTC 版)

血盟団事件」の記事における「十月事件とその後」の解説

三月事件関係した血盟団メンバー十月事件にも深く関与した1931年 (昭和6年) 8月26日外苑日本青年館において郷詩会との名で会合持たれた。この会合には、桜会急進派血盟団事件五・一五事件関係者はほぼ全員参加している。 郷詩会の会合は、血盟団事件五・一五事件二・二六事件主要関係者一堂会した会合として有名だが、実態としては、西田税まとめ役として選出したことと連絡網出来た程度で、それ以外には、単に自己紹介をし互いに語り合っただけの会合だった。 郷詩会は、クーデター実行するとは言ったもののその計画は全く白紙だった。 急進派だった血盟団メンバー橘孝三郎らは会合失望した井上は、三月事件以来陸軍大川クーデター計画乗っかることを考えており、藤井斉に、大川接触して情報を探るように命じ一方で西田にも陸軍へ働きかけ頼んだその後藤井経由大川クーデター計画 (すぐ後に起こる十月事件とは異な計画) の情報入ってきたが、満州中国人そそのかして日本人売薬商を2,3人殺させる謀略起こしその事件をあおって国際問題にまで発展させて、その混乱乗じてクーデター起こそうというもので、貧乏人殺して権力握ろうとする大川の手口に怒った井上は、大川とは手を切ることにした。ただ、これまでと同様、手を切ったと言っても一時的なもの過ぎずこの年年末には、再度大川接近するため西田税接触をはかる。 一方西田陸軍将校三郎野田又雄末松太平らを経由してクーデター計画 (十月事件のこと) の推進者接触最終的に9月上旬橋本欣五郎面会し血盟団クーデター計画参加することが了承合意された。 十月事件計画では、久木田四元牧野伸顕田倉田中西園寺公望池袋小沼一木喜徳郎古内鈴木貫太郎暗殺する予定だった。しかし、要人暗殺実行直前になって橋本欣五郎一派暗殺陸軍担当する伝えてきた。特に長勇は、海軍将校組と血盟団足手まとい存在考え陸軍のみでのクーデター実行拘泥した。 このような計画一方的な変更を、井上10月11日頃に、西田税波から聞かされた。井上はすぐに、京都送った田中田倉に対して西園寺暗殺計画中止するよう連絡しその後四元京都に向かわせ、二人連れ帰るように手配した同時に井上は何とか陸軍合同しテロ実行しクーデター計画一枚かもうとしたが、橋本一派の計画一向につかめなかった。当初の計画では、10月20日午前一時政財界要人襲撃し通信機関占拠戒厳令施行新内閣 (首相陸相荒木貞夫蔵相大川周明内相橋本欣五郎外相建川美次海相小林省三郎警視総監長勇) を樹立する手はずだったが、15日から16日にかけて計画の内容陸軍首脳部漏れ17日橋本一派の中心人物拘束された。これでクーデター計画あっけなく崩壊した (十月事件)。 そもそも計画段階からクーデター実行グループ内で感情的な対立渦巻いていた。クーデター計画段階で既に井上一派橋本一派に不信感持っていた。また、橋本一派も井上に対して同様に不信感抱いていた。井上たちが橋本一派に不信感持った一番の理由は、クーデター成功暁には橋本一派によって政権作り論功行賞を行うことを事前に取り決めていたことにあった井上一派は、これを不純な精神基づいた行動考えクーデター実行後、橋本一派を襲撃し論功行賞実施させないようにしようと考えていたが、クーデター計画未遂終わったため、襲撃実行されなかった。 十月事件以降井上血盟団メンバー西田信用しなくなった。後の五・一五事件時に西田川崎拳銃狙撃され原因はこの時に生まれたまた、陸軍とは距離を置き、血盟団独自でのテロ路線に走るきっかけになった十月事件失敗の後、血盟団陸軍西田から離脱し独自にテロ計画実行することを決めた (ただし、井上決心は常に揺らいでおり、独自にテロ計画実行しようしながら結局は西田大川との共闘頼ろうとし続けた)。 この後小沼母親危篤との連絡により、一時大洗戻った (間もなく母親回復)。一方田倉京都戻り大学生活再開京都帝大国家主義団体・猶興学会(ゆうこうがっかい)に入会して同志勧誘始めた。ここで田倉が目をつけたのが星子毅である。田倉星子井上引き合わせることを決め1931年12月中旬京都から星子連れて上京四元古内らや井上会わせた井上は、星子血盟団入れることは時期尚早考え星子自身この段階で血盟団テロ計画参加するつもりもなかったが、結局は星子テロ計画参加させることになった年末になると、井上の耳に、大川再度クーデター起こすという噂が入ってきた。井上は、その話の詳細探ろうとして、12月29日権藤の家で開かれた忘年会参加した忘年会には、西田の他、陸海軍青年将校参加しており、血盟団古内四元池袋久木田参加した。しかし、肝心クーデターに関する情報得られなかった。翌日30日には、西田から、もう一度宴会開きたいとの話があり、再度血盟団メンバー西田青年将校集まった。ただ、西田意図何だったのかは不明である。 この時の宴会では、双方互いに不信感を抱く結果終わった西田は、酔った井上路上テロについて大声話したことを不謹慎だ問題視し運動から除名することを決断一方血盟団メンバーは、荒木貞夫による合法的革新期待した西田陸軍青年将校が、クーデター計画つぶそうとしていると感じ西田袂を分かつことにした。

※この「十月事件とその後」の解説は、「血盟団事件」の解説の一部です。
「十月事件とその後」を含む「血盟団事件」の記事については、「血盟団事件」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「十月事件とその後」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「十月事件とその後」の関連用語

十月事件とその後のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



十月事件とその後のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの血盟団事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS