十月劇場解散後
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1995年、TheatreGroup"OCT/PASS"(以下"OCT/PASS"と略記)を結成する。新しい劇団では「現代浮世草紙集」や「PlayKenji」といったシリーズものなど、多い年には年間5本以上の戯曲を執筆、上演した。1998年12月、取材のため、香港とハワイへ初の海外旅行をする。 2002年にはノートPCを購入し、いつどこでも書けるような体勢にした。2003年には「劇都仙台」演劇プロデュース公演のプロデューサーを務める。 2006年8月より劇団ウェブサイトで「石川裕人劇作日記 時々好調」の掲載を始める(2012年9月まで)。 2007年4月、肝細胞癌のために入院して手術を受ける。 2010年11月に初の脚本集『時の葦舟』が刊行される。また、「精華演劇祭2010 SPRING/SUMMER」に参加した。 2011年3月の東日本大震災には大きな衝撃を受ける。同年11月より、「宮城県復興支援ブログ ココロ♡プレス」(宮城県震災復興・企画部震災復興推進課)にnew-T(石川裕人)のペンネームで執筆した(2012年10月13日掲載分まで)。 2012年8月、「方丈の海」を上演、これが最後の戯曲作品となる。演劇ジャーナリストの横澤信夫は 「震災から十年が過ぎた三陸の架空の港町を舞台に、被災地に生きる人々のさまざまな思いがぶつかり合って展開され、厚みを感じさせるドラマだった」と評した。 同年9月23日、 ブログ「石川裕人劇作日記 時々好調」に「休筆。明日からしばらくの間、『劇作日記』をお休みします。再開は10月中旬になると思います。それではみなさま、お元気で。」と記し、これが絶筆となる。 2012年10月11日、肝細胞癌により死去(満59歳)。墓は自宅に近い宮城県名取市の吉祥寺(曹洞宗)にある。 横澤信夫は、「生涯百本を超える戯曲を書き、地元の演劇界では常に先頭を切って走り続けたリーダーだった。深く哀悼の意を表したい。」とのコメントを『宮城県芸術年鑑』に記した。
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