初期水墨画とは? わかりやすく解説

初期水墨画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 03:27 UTC 版)

水墨画」の記事における「初期水墨画」の解説

中国における水墨画表現は唐時代末から、五代~宋時代初め9世紀末~10世紀)にかけて発達した中国水墨画写実表現追求から自発的に始まったのであるのに対し日本水墨画中国画受容から始まったのである日本における水墨画受容制作いつ頃始まったかは必ずしも明確ではない。すでに12世紀末頃の詫磨派仏画水墨画風の筆法見られるが、本格的な水墨画作品現れるのは13世紀末頃で、中国での水墨画発祥からは4世紀近く経ていた。 日本における水墨画技法中国から流入したが、必ずしも中国における主流様式だけが受容されたわけではなく、また独自の道徳観文化観とも相まって中国水墨画とは異なる道をたどることとなった13世紀末から14世紀頃までの日本水墨画美術史では「初期水墨画」と呼んでいる。水墨画この頃盛んになった要因としては、日本中国の間で禅僧往来盛んになり、宋・元の新様式絵画日本もたらされたことが挙げられる13世紀になり、無学祖元蘭渓道隆らの中国禅僧相次いで来日した。彼らは絵画含め宋・元の文物文化日本もたらした鎌倉にある円覚寺仏日庵所蔵品目録である「仏日庵公物目録」(ぶつにちあんくもつもくろく)は、元応2年1320年)に作成され目録貞治2年1363年)頃に改訂したのであるが、これを見ると、当時円覚寺には多数中国画所蔵されていたことが分かる日本の初期水墨画は、絵仏師禅僧中心となって制作始められた。師資相承師匠から弟子仏法伝える)を重視する禅宗では、師匠の法を嗣いだことを証明するために弟子与え頂相ちんぞう禅僧肖像)や禅宗始祖達磨はじめとする祖師像などの絵画作品需要があった。この時期制作され水墨画画題としては、上述頂相祖師像のほか、道釈画道教および仏教関連人物画)、四君子、竹、を指す)などが主なものである。なお、水墨画禅宗教義とには直接の関係はなく、水墨画禅宗様建築様式などと同様、外来新し文化として受容されたものと思われる鎌倉時代絵巻物表現された画中画を見ると、当時禅宗以外の寺院障子絵などにも水墨画用いられていたことが分かる14世紀代表的な水墨画家としては、可翁黙庵鉄舟徳済などが挙げられる可翁については作品に「可翁」の印が残るのみで伝記不明だが、元に渡航した禅僧可翁宗然同人とする説が有力である。黙庵元に渡り同地没した禅僧である。鉄舟徳済夢窓疎石弟子禅僧で、やはり元に渡航している。 代表作 達磨図山梨向嶽寺国宝) - 達磨の衣などに彩色があるが、水墨画筆法描かれている。絵の上部に蘭渓道隆の賛があることから、蘭渓没した1278年制作年代下限である。 蘭渓道隆像神奈川建長寺国宝) - 着彩画であるが、中国画同様の筆法描かれている。この時代頂相代表作である。絵の上部に文永8年1271年)の蘭渓自身の賛がある。 可翁寒山図(長野サンリツ服部美術館国宝) - 寒山中国唐代浙江省にある天台山国清寺住んでいたという伝説的な隠者で、拾得とともに水墨画の好画題とされる

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