絹本墨画白衣観音図〈良全筆/〉
主名称: | 絹本墨画白衣観音図〈良全筆/〉 |
指定番号: | 1303 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1954.03.20(昭和29.03.20) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | 乾峯士曇の賛がある |
員数: | 1幅 |
時代区分: | 南北朝 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 南北朝時代の作品。 |
絹本墨画白衣観音図〈明兆筆/〉
主名称: | 絹本墨画白衣観音図〈明兆筆/〉 |
指定番号: | 1459 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1959.06.27(昭和34.06.27) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | |
員数: | 1幅 |
時代区分: | 室町 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 室町時代の作品。 |
絹本墨画白衣観音図
主名称: | 絹本墨画白衣観音図 |
指定番号: | 1819 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1981.06.09(昭和56.06.09) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | 約翁徳倹の賛がある |
員数: | 1幅 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | わが国における初期水墨画の中で道釈画の占める位置は大きく、白衣観音図の遺例は少なくない。その中にあって本図には図上に蘭溪道隆の法嗣で建長・建仁・南禅を歴任した約翁徳倹の著賛がみられ、彼の歿した元応二年(一三二〇)以前の制作になることが明らかであり、類品中、最も先行する作例としてその価値は高い。構図は、水中に突出した岩上に趺坐する観音を中心として、左端に瀑布、下辺左隅に合掌礼拝する善財童子、背後に竹林を配するというように、多くの素材を集めた観賞性の高いもので、かつ、描写も大変優れている。 |
絹本墨画白衣観音図〈正悟筆/〉
主名称: | 絹本墨画白衣観音図〈正悟筆/〉 |
指定番号: | 1894 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1990.06.29(平成2.06.29) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | 雲外雲岫の賛がある |
員数: | 1幅 |
時代区分: | 元 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 白衣観音は密教の一尊に数えられ、すでに唐代には盛んにえがかれていた。儀軌には白蓮華中にあって髻、冠を白衣で覆い、左手で開敷蓮華を持つ、とある。これが水墨画によってえがかれる場合には、樹石、山水が配されるなど鑑賞性が加味されることが多いが、本図は水中よりつき出た岩座の上、円相中に端坐するところがえがかれるだけで背景はなく、なお礼拝の対象としての性格が保たれている。 賛者は曹洞宗宏智派の禅僧、雲外雲岫(一二四二-一三二四)で、法弟の東明慧日、法嗣の東陵永〓はともに来日しており、わが国にもその名はよく知られていた。同僧は智門寺、天寧寺、天童山景徳寺と歴住しているが、本賛では「天童雲岫」と称しているところから、晩年の十年ほどの間の着賛であることがわかる。 描法では観音の細く柔らかな描線と、岩の飛白様の粗い表現との対照が面白いが、同じような岩の表現はこれにややおくれる墨蘭の専門画家、雪窓に受けつがれている。本図の岩の間には「正悟」と読める隠し落款がある。名前からすると禅僧、もしくはその周辺の絵師かと思われるが、伝歴は一切、不明である。 雲外雲岫が歴住した禅寺は杭州湾の南側に位置するが、湾外の舟山列島には補陀落霊場があり、本図もそうした信仰の所産といえよう。 |
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