初期段階の軍事行動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 06:48 UTC 版)
「アモリオンの戦い」の記事における「初期段階の軍事行動」の解説
カリフは自身の軍隊を二手に分けた。アフシーンが率いる10,000人のトゥルク人の分遣隊がマラティヤのアミールのウマル・アル=アクタ(英語版)とアルメニアの軍隊(それぞれヴァスプラカン(英語版)とタロン(英語版)を統治していたアルツルニ朝(英語版)とバグラトゥニ朝(英語版)の統治者は両者とも直接この軍事行動に参加した)と合流するために北東方面に派遣され、ハダス(英語版)の峠からテマ・アルメニアコン(英語版)へ侵入した。一方、カリフが自ら率いる主力軍はキリキアの門(英語版)(キリキアの低地の平野とアナトリア高原を結ぶトロス山脈の峠)を通過してカッパドキアへ侵入した。カリフ軍の前衛はアブー・ジャアファル・アシナース(英語版)が担い、イーターフ・アル=ハザリー(英語版)が右翼、ジャアファル・ブン・ディーナール・アル=ハイヤート(英語版)が左翼、ウジャイフ・ブン・アンバサ(英語版)が中央の軍を率いた。後に双方の部隊はアンキュラで合流し、アモリオンに向けて合同で進軍した。ビザンツ側はすぐにカリフの意図を察知し、テオフィロスは6月初めにコンスタンティノープルから軍を率いて出発した。テオフィロスの軍隊にはアナトリア人に加え、おそらくはヨーロッパ側のテマの部隊、精鋭軍であるタグマ連隊、そしてペルシア人部隊も含まれていた。ビザンツ軍は、アラブ軍はキリキアの門を通過した後に北へアンキュラに向かい、その後アモリオンに向けて南へ進軍すると予測したが、アラブ軍はカッパドキアの平原を越えて直接アモリオンへ進軍することも可能であった。テオフィロスの将軍たちはアラブ側の軍事行動の目的を無意味なものにし、ビザンツ軍を分割せずに済むように都市からの退避を勧めたが、テオフィロスはテマ・アナトリコンのストラテゴス(英語版)(長官)であるアエティオスとタグマの構成部隊であるエクスクービテース軍団(英語版)とアリトモス軍団(英語版)を残して守備隊を強化することを決めた。 その後、テオフィロスは残りの軍隊とともにキリキアの門とアンキュラの間の地点を抑えるために進軍を続け、主要な河川が交差している場所にほど近いハリュス川の北岸で野営した。6月19日にアシナースはキリキアの門を通過し、カリフが率いる主力軍が二日遅れで進軍を開始した。アラブ軍の前進はゆっくりと慎重に進められた。奇襲を避け、皇帝の居場所をつかむことに気を揉んでいたムウタスィムは、アシナースがカッパドキアの深くに入り込むことを禁じた。アシナースは捕虜を得るために多くの偵察部隊を派遣し、最終的に捕えた捕虜からハリュス川にテオフィロスがいることを突き止めた。一方のテオフィロスは戦闘のためにハリュス川でアラブ軍の接近を待ち構えた。その後、7月中旬頃にテオフィロスはおよそ30,000人からなるアフシーンの部隊がダジモンの平野に到着したことを知った。シリア人ミカエルによれば、テオフィロスはハリュス川の渡河地点の監視のために親族が指揮する一部の部隊を残し、より小規模なアラブ軍と対決するために遠征軍の大部分となるおよそ40,000人の部隊とともに速やかに出発した。テオフィロスが留まっていた場所から離れたことを知ったムウタスィムはアフシーンに警告しようとしたものの、テオフィロスはそれよりも速くダジモンの平野でアフシーンの部隊と遭遇し、7月22日にアンゼンの戦い(英語版)が起こった。緒戦での成功にもかかわらずビザンツ軍は破れて散り散りとなり、テオフィロスは護衛の兵士とともに敵軍に包囲されたが、辛うじて突破して逃亡することに成功した。 テオフィロスはすぐに部隊の再編成を始め、将軍のテオドロス・クラテロスをアンキュラへ派遣した。クラテロスはアンキュラが完全に無人と化していることを発見し、代わりにアモリオンの守備隊を強化するように命じられた。テオフィロス自身はアンゼンで皇帝が戦死したという噂によって新しく皇帝を宣言する者が現れる可能性があったために、すぐさまコンスタンティノープルへ戻ることを余儀なくされた。同じ頃、ペルシア人部隊は黒海沿いのシノーペーの周辺に集結すると反乱を起こし、擁立されることを渋っていた指揮官のテオフォボスを皇帝として宣言した。帝国にとって幸いなことにテオフォボスは消極的な姿勢に終始し、テオフィロスと対決したりムウタスィムの下に加わろうとする動きは見せなかった。7月26日頃にアシナースの指揮するカリフの前衛部隊がアンキュラに到達した。都市の近隣のいくつかの鉱山に避難場所を求めようとしていた住民は、マーリク・ブン・カイダル(英語版)が率いるアラブ軍の分遣隊による短い捜索の後に発見されて捕虜となった。しかし、アンゼンから逃れてきた幾人かのビザンツ軍の兵士だった者からアフシーンが勝利したことを聞いたマーリクは全員が自由の身となることを許した。その翌日に他のアラブ軍の部隊がアンキュラに到着し、無人の都市を略奪した後、全軍が揃ったアラブ軍は南方のアモリオンへ向かった。
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