共産党中央からの離反
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「全日本学生自治会総連合の歴史」の記事における「共産党中央からの離反」の解説
1958年1月、日共東大細胞の機関誌『マルクス・レーニン主義』に山口一理による論文「一〇月革命の道と我々の道―国際共産主義運動の歴史的教訓」が掲載された。これは日本共産党と国際共産主義運動を総括しようとしたもので、学生党員に大きな影響を与え、中央への批判再燃の引き金となった。山口論文は、日共が32年テーゼと第二次大戦の階級性に無理解であったこと、2・1ゼネストにおいて階級闘争の課題を逸らしたことを指摘した上で、日共の民族民主革命論をロシア革命の解釈にまでさかのぼって系統的に乗り越えようとしたものであり、スターリン批判を踏まえスターリンとレーニンの理論の食い違いも指摘するという内容であった。これに影響されて、東大細胞は中央の戦略に対する批判を採択し、党内での理論闘争を強化することを宣言した。山口論文は、約1年後には学生党員グループの「コペルニクス的転回」をもたらす直接的な契機となる。 中央との対立は決定的なものとなり、勤務評定反対闘争(勤評反対闘争)のさなかに行われた第11回大会は後の学生運動における各セクトを生み出す発端となった。大会前日の5月27日、反戦学生同盟の発展的組織として社会主義学生同盟(社学同)が結成された。「層としての学生運動論」に立脚し、学生運動の先駆的役割を実現するべく学生のみの階層的団体として結成されたもので、社学同の綱領は日共の新綱領とは対立する内容であった。これは日共中央の民主主義革命を明確に否定し社会主義革命を志向するものであった。5月27日から31日にかけての大会では幅広イズムと反帝、民族民主統一戦線論と日本独占ブルジョワジー打倒論が対立点となって日共中央に忠実なものと批判的な者とが激突した。森田中執の資質を巡り、教育大・黒田、神戸大・石井、早大・高野らの代議員が議長席に詰め寄り執行部ともみ合いとなる場面もあり、地方から来た代議員たちは何のための争いであるのかさっぱりわかりかね、単なる派閥争いと判断せざるを得ない状況も存在した。大会は批判派が制し、中央を支持する者は「右翼反対派」として斥けられた。終了後、代議員グループ会議において党中央への不信任が突きつけられ、一時トロツキスト派の学生と党本部員との物理的衝突が発生(6・1事件)した。党中央が学生への自己批判を求め、全学連側は党常任の暴力は党な民主主義を妨げるものであり、党は「正しい指導性を発揮せよ」との旨の上申書を提出し中央を批判、これを受けて日共中央は7月7日に学生党員の大量処分を下した。この第11回大会で確認されたのが「学生運動先駆性論」であり、これは学生運動がプロレタリアートの解放運動の成否と不可分一体と規定し、かつ「前衛不在」という状況の中で、学生が自ら捨て石となって先駆的に展開する闘争が起爆剤となって人民に闘いの方向を示すというものであった。1958年9月4日、第12回臨時全国大会が開かれ、「右翼反対派」の理論的実践的破綻を指弾し、「資本主義世界体制の危機」が迫っていること、「勤評反対闘争は反動との決戦の焦点」であることを確認し、ここに「反日共」全学連が確立した。香山、島、山口、門松暁鐘、富岡倍雄、佐久間元をはじめとして次々に除名された党員たちは組織的に党から決別し、12月13日に共産主義者同盟(共産同、ブント)を結成した。共産同は当初は弱小組織であったが、次第に日共に不満を持つ全国の学生が結集し、一時は大阪府学連と兵庫県学連を除くすべての学連が日共を離れブント全学連に与した 彼らは革共同の黒田寛一などのトロツキズム思想の影響を受けながら日共中央から「別党コース」に転じた者たちであった。特に黒田の思想は梅本克己の主体性論を受け継いだ面があり、これは共産党への信頼が完全に揺らぎ全学連の各個人の主体性が問われる中で学生らに受け入れられていった。一方で革共同は、共産同が自分たちの理論を剽窃したとして非難した。12月13日に開かれた第13回(臨時全国)大会では革共同が台頭し、委員長には塩川喜信が選出された。この時革共同メンバーは同時に共産同にも加入していた(加入戦術)。この大会の報告は革共同の理論が強く押し出されていた。 1959年1月1日、「日本共産党の危機と学生運動」と題する全学連意見書が発表された。これは、共産党の公認の指導部が日和見主義・ブルジョワ民主主義・官僚主義に支配されてしまったと規定し批判したものであった。
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