共産党の食糧政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 14:53 UTC 版)
「ロシア飢饉 (1921年-1922年)」の記事における「共産党の食糧政策」の解説
前述のように、1917年の十月革命は、ツァーリ政権と臨時政府がともに、都市と国内の工業中心地、首都に食糧を確保できないことが直接の引き金であった。当然のように、食糧問題は新政権の存亡をかけた課題となった。1918年初頭には、党政府が持っていた食糧資源は、ヴォルガ地方と中央黒土地帯だけであった。農村自体も深刻な食糧難に襲われていたにしろ、党政府は都市、ことに首都の食糧不足を解決しなければならなかった。彼らが選んだのは、国の穀物独占であり食糧独裁である。
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