人間に勝つまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 01:56 UTC 版)
「コンピュータチェス」の記事における「人間に勝つまで」の解説
トルコ人やアジーブ(英語版)など、18世紀から19世紀にかけて様々な「チェスを指す機械」が公開されてきたが、それらはどれも中に人が隠れて操作するイリュージョンであった。 チャールズ・バベッジは、1840年代に機械にゲームを行わせることに興味を持ち、思考ルーチン(思考エンジン、解析エンジン等の名称もある)を考えた。ただし、チェスの場合は組合せが膨大になり現実的でないことに気づいている。 スペインの技術者レオナルド・トーレス・ケベードは、1912年に歴史上最初のコンピュータゲームと呼ばれるチェス機械、エル・アヘドレシスタを作成した。この機械はチェスの終盤のみを扱い白のキングとルークで人間側の黒のキングを詰ませようとするもので、内部の電気機械的な装置により盤面の状況を判断し駒の動きを決めることができ、人間側のキングの最初の位置がどこであってもチェックメイトすることができた。 コンピュータでチェスプログラムを作ることの可能性に初めて言及したのは、ドイツのコンラート・ツーゼ(1945年)であるといわれている。 ベル研究所のクロード・シャノンは、1949年に「チェスをするコンピュータのプログラミング」という論文を発表し、評価関数の特徴・探索木の作り方の戦略について考察している。 アラン・チューリングは、1951年に解析のアルゴリズムを考案し(ただし計算は手作業)、実際にシミュレーションによる試合を試みている。 記録に残っている最初の動作するプログラムは、1956年のロスアラモス研究所のプログラムである。ただし、これは6×6のミニチュアボードによるものであった。 コンピュータ同士の最初のチェス対戦は、人工知能の父ジョン・マッカーシーらと、ソビエト連邦のモスクワ理論実験物理研究所(ITEP)の間で1966年から9ヵ月に渡って行われ、結果はソ連側の2勝2分だった。 最初にコンピュータが人間のチェスの選手権に参加したのは1967年のボストンの競技会の Mac Hack VI(マックハック) である。この時のコンピュータのレーティングは1670といわれ、やや強いアマチュア(いわゆるクラブ・プレーヤー)のレベルに達している。 1978年、'78東京オープン大会にコロンビア大学ニューボーン博士が開発したコンピューターチェス「オーストリッチ」が持ち込まれる。日本チェス協会の男性が対戦して男性側が三戦三勝。 コンピュータ同士の最初のチェス選手権は1970年にニューヨークで開催され、その時は当時の コントロール・データ・コーポレーション(CDC) のスーパーコンピュータ上で動作する CHESS 3.0 というプログラムが優勝している。その後、北アメリカでのコンピュータチェス選手権は毎年開催され、1984年には当時最速のコンピュータであった Cray で動作する CRAY BLITZ が優勝、1988年にはディープ・ブルーの前身であるディープ・ソートが優勝するなどの記録が残っている。 1988年、ディープ・ソートはLong Beachでのトーナメントでグランドマスターのベント・ラーセンに勝利。グランドマスターに勝った史上初のプログラムとなった。 1989年にディープ・ソートは世界チャンピオンガルリ・カスパロフと対戦し、接戦の末に敗れた。1990年には、アナトリー・カルポフにも敗北。しかし、これらの試合は、人間がやがてコンピュータに敗れることを予感させるものであった。 1996年にIBMのコンピュータであるディープ・ブルーがガルリ・カスパロフと対戦し、1つのゲームとしては、初めて世界チャンピオンに勝利を収めた。ただし、これは6戦中の1勝に過ぎず、全体ではカスパロフの3勝1敗2引き分けであった。しかし、翌1997年に、ディープ・ブルーは、2勝1敗3引き分けとカスパロフ相手に雪辱を果たした。現実的にはこれだけの試合数で実力は評価できないが、世界チャンピオンと互角に戦えるだけの能力になったとIBMは宣伝した。しかし、これらの対戦では、試合中にプログラマーが自由にプログラムや次の一手に介入できるルールになっており、IBMチームにはグランドマスターも加わっていた一方で、カスパロフ側もトレーニングや解析にデータベースソフトを利用していたなど、純粋な「人間対機械」というわけではなかった。 「ディープ・ブルー対ガルリ・カスパロフ」も参照
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