上野動物園での人気、そして死とは? わかりやすく解説

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上野動物園での人気、そして死

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 00:58 UTC 版)

ファンジとグレー」の記事における「上野動物園での人気、そして死」の解説

日本橋浜町河岸から上野動物園まで運搬されキリンのつがいは、たちまち東京市民の間で大評判になった。ちょうど花見季節重なったこともあり、上野動物園にはキリン見たいという群衆押し掛ける騒ぎとなった上野動物園側では4月3日当時神武天皇祭にあたり祭日であった)にキリン舎を覆っていた筵を外して一般公開踏み切ったキリン来園し1907年明治40年)度は、有料入園者数4月だけで28万人突破して入場料収入1万4000円以上あった。年間でも入園料値上げがあったものの、初の100万越え記録した。1頭当たり8000円、輸送込み総額1万7000円の購入費用キリン舎の改築新築費など9000円の出費に対して入場料収入は48850円を記録し当初予算1万8679円に比べて約3万円増収となった1907年明治40年)度の決算では、キリン舎の増改築費や暖房器具購入要した費用含めて5万95円という当時の上動物園史上最高額支出要したにもかかわらず収入5万1001円で差し引き906円の黒字記録している。 キリンのつがいについては、宮中でも評判になっていた。明治天皇直々にキリン観覧するとの話が持ち込まれ石川の後を継いで上野動物園最高責任者となった黒川義太郎髙橋など飼育担当者とともにその準備あたった天覧当日10月3日髙橋たちは朝早くから移送準備追われた。フロックコート正装した黒川と小ざっぱりとした制服着替えた高橋たちは、上野動物園から宮城出発した。嫌がるキリン輸送箱に入れて大八車運搬したが、以前経験があったので動物園内から上野広小路日本橋経由して坂下門に向かう道中特段問題もなかった。キリン見た沿道人々大喜びその後続いて歩き、やがて長い行列にまでなったという。宮中にはキリンとともに黒川のみが入ることを許され明治天皇美子皇后始め宮内省高官女官なども多数キリン観覧して好評博した。このことは黒川高橋などにとって大変な名誉であり、後年高橋は「動物園にはいったことを、このうえもない幸運に思えてならなかった」と述懐している。 キリン宮中参賀済んで間もなく新たなキリン舎が完成してつがいもそこに引っ越した完成当時暑さが残る時期だったため、キリンたちにとって過ごしやすい季節であった。やがて秋が過ぎて冬が近づいてくると、高橋たち飼育担当者はようやくなついてきた2頭が冬の寒さに耐えられるかどうか不安を覚えていた。キリン来園する2、3年前から熱帯から来た動物向けの飼育舎には暖房設備整っていたが、新設されキリン舎は暖房室から遠く位置していたため、その設備全くなかった上野動物園側でも2頭を気づかって、石炭ストーブ2台をキリン舎に設置した。ただし、当時ストーブ不完全な構造だったために燃やすと人間でさえ耐えきれないほどの悪臭発する代物であり、天井の高いキリン全体暖めるには力不足でもあった。2頭のキリン悪臭避けるように隅で体を寄せ合い、それを見かねた高橋キリン舎の空気入れ換えたが、そうするとまた室温下がっていくことの繰り返しであったキリンたちの窮状目の当たりにした高橋たち飼育係は、「蒸気ならなァ…」と何度も話し合っていた。 キリンたちは徐々に体力消耗させてゆき、1908年明治41年1月8日メスグレーが力尽きたグレー死んだ当日高橋非番であり、午前9時ごろに弱り切ったグレー様子確かめてから帰宅した午前11時頃に園丁高橋グレー危篤一報伝えに来たため、高橋自宅から動物園まで急行した高橋キリンにたどり着いたときにはグレーは既に立てなくなっていて昼ごろには呼吸停まったオスのファンジも、グレー後を追うように同年3月23日死亡した。2頭の死亡原因高橋などが指摘したとおりキリン舎や暖房不備大きな要因であった小宮は『物語 上野動物園歴史』の中で「ドイツでの飼育事情にも精通し動物学者でもある石川陣頭指揮していたなら、キリンはもっと長生きしたかもしれない」と記述したファンジとグレー剥製標本とされて、帝室博物館所蔵となったその後関東大震災影響展示物皆無となった国立科学博物館移管されている。 当時写真では、直立して首を伸ばした姿勢グレー前脚広げて頭を下げを飲む姿勢をとったファンジの標本確認できる。ただし、川田伸一郎によればグレー標本は既に廃棄され、ファンジのみが現存している。ファンジの標本は、茨城県つくば市国立科学博物館標本収蔵庫保存されている。

※この「上野動物園での人気、そして死」の解説は、「ファンジとグレー」の解説の一部です。
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