ルイトポルトホールでの閉会式
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「意志の勝利」の記事における「ルイトポルトホールでの閉会式」の解説
ルイトポルトホールの客席に、聴衆が左右に分かれて座り、中央に道ができている。バーデンヴァイラー行進曲が流れる中、ヒトラーを先頭にして、党の幹部たちがその道を歩いて入場してくる。カメラは高い位置から、彼らを見下ろしている。幹部たちが舞台上の座席に着くと、音楽が Niebelungenmarsch 「ニーベルンゲン行進曲」に変わり、血染めの旗を先頭に、おびただしい数のシュタンダルテが列をなして入場する。 聴衆の中には、党や軍の要人に加えて、ヒャルマル・シャハト、フランツ・ゼルテ、ルートヴィヒ・ミュラー(ドイツ語版)らの姿も見える。 ヘスの紹介を受けて、ヒトラーが原稿を手に登壇する。この党大会の締めくくりの演説は、映画の中の他の演説とは趣が異なり、ヒトラーは初めて原稿を見ながら、大げさな身振り手振りを交えて熱弁をふるう。 第6回党大会も終幕を迎えようとしている。我々の列から外れている数百万人のドイツ人は、おそらくは政治的な力を誇示する印象的な光景としか評価しないだろうが、数十万人の闘士たちにとっては、限りなく大きなものだった。古参の闘士と、闘っている同志たちとの個人的かつ精神的な重要な出会いであった。おそらくあなたがたの多くは、我々の党の観閲式の圧倒的な壮大さにもかかわらず、悲しい気持ちであの日々を思い起こすだろう。国家社会主義者であることが、まだ辛かった日々のことを。なぜ辛かったのか。それは我々の党がちょうど7名であったとき、すでに2つの原則を表明していたからである。その1、真の世界観を持った党であるべし。その2、ゆえに妥協することなく、唯一の勢力、ドイツのただ一つの勢力であるべし。我々は、少数派の党に留まらなくてはならなかった。なぜなら、我々は闘争と犠牲という最も重要な構成分子だからである。戦時体制下の国家においては、そのような構成分子はいつも多数派ではなく少数派になる。そして、ドイツ国家の最高の人種的な価値を持つ者たちが自らを誇りに思いつつ、大胆かつ勇敢に国家と国民の指導権を求めたので、多くの民衆が仲間に加わり、指揮下に入ったのである。ドイツ国民にとって、こういう意識を持てることは幸運である。すなわち、“現象の絶え間ない逃走の中の、ひとつの安定した極に、今や最終的に交替した”という意識である。交替したのは、この国の最高の血統を担っていると自覚している者である。そして、国家の指導者に上り、その地位を守り、その立場を利用し、もはや辞することはないと決意している者である。ドイツ国民は、政権の交代がようやく終わりを告げ、強力な政体が確立されたことに満足している。最高の血を引く男がこの国の指導権を握った。彼はそれを維持し、万民の最大の福祉のためにそれを行使し、一歩たりともあとへは引かない覚悟である。実際に活動している闘士たちは、いつも国民の一部に過ぎないだろう。そして彼らには、残りの何百万人の同胞よりも、さらに多くのものが要求されるだろう。彼らは「私は信じる」と告白するだけでは十分ではない。その代わりにこう誓うべきだ 「私は闘う」。この党は、いつの時代でもドイツ国民の最上の政治指導者であるだろう。党の原則は不変であるだろう。その組織は鋼鉄のように強いだろう。その戦術は柔軟で順応性があるだろう。それでいて、その全体像は一つの騎士団のようであるだろう。しかし目的はこうでなくてはならない。すべてのまっとうなドイツ人が国家社会主義者になり、最高の国家社会主義者だけが党員になることだ。かつて我々の敵は、こんなことを心配していた。すなわち、時々の禁令や迫害が、同時にこの運動から役立たずの連中を根こそぎ排除したのではないかということだ。運動にそのような連中が現れ始めていたのだ。今日、我々は自ら吟味して、そぎ落とさなくてはならない。悪であることが証明された者を。そしてそれゆえに ……(歓声のために中断)…… そしてそれゆえに、我々の内部から必要ではない者を排除しなくてはならない。我々の願望であり、決意でもあるのは、この領邦と国家が、今後一千年間存続しなくてはならないということである。我々が幸福でいられるのは、次のことが分かっているからである。すなわち、未来が余すところなく、我々のものだということである。年長の世代が、いつかよろよろになったときは、若者たちが身も心も我々に捧げ、我々のものになるのだ。我々の全面的な協力によって、党の中で国家社会主義の思想と本質を最大限に具体化させたときに初めて、党は、ドイツ国民と国家の永遠の破壊できない支柱になるだろう。そして将来は、昔からの我々国民の誇るべき武器の担い手であるすばらしき栄光の陸軍と、それに劣らぬ強い伝統のある党の政治指導者が並んで歩むだろう。そしてこれらの両方の組織が共同でドイツの人々を教育し強固にして、彼らの双肩に、ドイツの領邦、ドイツ帝国を担わせるのである。この時間、数万人の党の同志たちは、すでに町を去った。だが、まだ思い出に浸っている者がいる一方で、すでにつぎの点呼に向けて新たに準備を始めている者がいるだろう。そして再び、人々はやってきては去っていくだろう。そして常に新たに感動し、幸せを感じ、熱狂するだろう。なぜなら、その理念と運動は、我々の国民の活力の表現であり、それと共に永遠の象徴であるからである。国家社会主義運動万歳。ドイツ万歳。 ヒトラーと入れ替わってヘスが登壇し、何かを言おうとするが、会場の興奮が絶頂に達する中、自らも感極まって声が出ない。やや間をおいてから、こう叫ぶ。 党はヒトラーである。ヒトラーこそドイツである。ドイツがヒトラーであるように。ヒトラーに、ジークハイル、ジークハイル、ジークハイル。 党歌 Die Fahne hoch (旗を高く掲げよ) の演奏が始まり、全員で合唱する。大写しになった党旗の中に、行進する党員たちの映像が浮かび上がる。
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