ユタ・ビーチ
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ユタ・ビーチ(Utah Beach)は、1944年6月6日、連合国のオーヴァーロード作戦における最初の攻撃であるノルマンディー上陸作戦(ネプチューン作戦)において5つの上陸地点の1つに連合国側が付けたコードネームである。
- 1 ユタ・ビーチとは
- 2 ユタ・ビーチの概要
- 3 攻撃計画
- 4 ユタ・ビーチに関連した人々
ユタ・ビーチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 21:32 UTC 版)
「ノルマンディー上陸作戦」の記事における「ユタ・ビーチ」の解説
ユタ・ビーチには「稲妻(ライトニング)ジョー」の異名を持つジョーゼフ・ロートン・コリンズ中将率いる第7軍団が上陸したが、その第1波となる第4歩兵師団第8歩兵連隊の兵員を乗せた上陸用舟艇が、潮流に流されてヴィール川河口部に辿り着いた。これは計画より2,000ヤードも南方となったが、本来の上陸地点よりドイツ軍の防備が弱かった。また、オマハ・ビーチでは荒波のためにDD戦車が次々と海没してしまったが、こちらの波は比較的穏やかでありDD戦車も殆ど無事に上陸に成功している。 オマハ・ビーチとは違ってユタ・ビーチは上陸前の砲爆撃でかなり叩かれていたうえ、上陸直前にはロケット中型揚陸艦に、大量のロケット弾を撃ち込まれてさらに損害が増大した。激しい砲爆撃にも生き残ったドイツ兵たちは、アメリカ軍の上陸用舟艇やDD戦車が海岸に向かってくるのを見て、完全に裏をかかれて干潮時に侵攻してきたことを知り「ロンメルの計算が外れた」と考えた。ドイツ兵たちは東部戦線での経験通り、敵を確実に仕留められる100mの位置まで引き付けろと命じられていたが、続々と上陸してくるアメリカ兵を見て、たまらず500mの距離で射撃を開始した。ルノー FT-17 軽戦車を地面に埋め込んで作れられた即席トーチカの機関銃が上陸してきたアメリカ兵をなぎ倒したが、やがて上陸してきたDD戦車が姿を現した。大きなゴム製の気嚢を付けた姿は味方の重戦車を見慣れているドイツ兵の目にも怪物のようにうつったという。わずかに生き残っていたアハト・アハトがその怪物に向けて砲撃を開始し、命中はしなかったものの、至近弾で吹き飛ばされて停止した為、それを見ていたドイツ兵は歓声を上げたが、ドイツ軍の善戦は長続きすることはなく、今までの砲爆撃で破損していたアハト・アハトは1発の砲撃で完全に壊れてしまい、ルノー戦車のトーチカも後続のDD戦車の砲撃を受けて撃破されてしまった。追い込まれたドイツ軍は最後の手段として、新兵器ゴリアテを投入したが、絶え間ない砲爆撃の振動で誘導装置が故障しており、うまく誘導することができず1発も命中することはなかった。 ユタ・ビーチに真っ先に上陸した将官は、アメリカ合衆国第26代大統領セオドア・ルーズベルトの息子セオドア・ルーズベルトJr(英語版)准将であった。ルーズベルトJrは体調を崩して杖をついていたが、大胆不敵にも銃弾の飛び交うなかを、絶えず冗談をかわしながら悠然と歩きまわっていた。精鋭が配置されていたオマハ・ビーチとは全く異なり、ユタ・ビーチのドイツ兵はじっくりと狙いを定めて正確な射撃をしようとする意図は感じられず、アメリカ兵から見ると「ビーチの方向に向け、ただ銃口を左右に振っている」ようにしか見えなかったという。ユタ・ビーチにおける上陸部隊の任務は、ドイツ兵が小銃や機関銃を構えて立て籠もる孤立した陣地を一つ一つ虱潰しにしていくこととなり、その様は正規軍同士の戦闘というよりはむしろ対ゲリラ戦のようなものとなった。上陸部隊の兵士には敵が武装親衛隊の兵士であれば、爆弾や手榴弾を隠し持っている危険性が高いため皆殺しにするようにと指示されていたこともあり、1時間足らずでユタ・ビーチを守るドイツ兵は一掃されてしまった。一方で上陸部隊の損害は軽微で、死傷者数は197名と全上陸管区中最少であった。 ユタ・ビーチでの最大の損害は艦砲射撃のために海岸に接近していたアメリカ軍「コリー(英語版)」の損失となった。「コリー」は海岸に接近すると、浅瀬に投錨して沿岸のドイツ軍砲台を砲撃戦を演じたが、あまりに激しい速射で「コリー」の艦砲の砲身が灼熱したため、水平が消火用ホースで水をかけて冷却しなければいけないほどであった。やがて110発の砲弾を浴びせて砲台を撃破すると、他のドイツ軍砲台が目の敵にして「コリー」に砲撃を集中した。「コリー」は錨を上げると、ドイツ軍の砲撃を巧みな操艦でかわし続け、逆にドイツ軍の砲台に有効な砲撃を浴びせたが、その様子はあたかも「コリー」がバレエをしているように見えたという。 ドイツ軍の砲弾を避け続けた「コリー」であったが、ドイツ軍が設置していた機雷に触雷し、激しい衝撃で艦は海上から一旦持ち上がって海面に叩きつけられると、艦体がほとんど真っ二つとなってしまった。「コリー」はあたかも屑鉄の山のようになってそのまま慣性で1㎞ほど進んだが、動きの止まった「コリー」にドイツ軍砲台が集中砲撃を加えてそのまま撃沈した。激しい戦闘により沈没した「コリー」であったが、人的損失は思いのほか少なく、全乗組員284人中、戦死・行方不明13人、負傷者33人に収まった。しかし、この「コリー」の沈没は、D-デイにおける“史上最大”の大艦隊の最大の損失且つアメリカ海軍唯一の損失となった。
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ユタ・ビーチ
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ユタ・ビーチにおいては第70戦車大隊がDD戦車を使用した。4両のDD戦車がドイツ軍の砲撃によってLCTもろとも失われたが 、残りは15分遅れで海岸より1000ヤード(900m)の地点から発進した。28両中27両が上陸に成功したが、強力な煙幕により混乱が生じ、目標地点から2000ヤード(1800m)も離れた地点に上陸したため、ドイツ軍の反攻はほとんどなかった。
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