上陸直前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 14:43 UTC 版)
中部太平洋ハリケーンセンターは事前の情報周知に遅れを取っていた。上陸の数日前までは、中部太平洋ハリケーンセンターも報道メディアもイニキはハワイ諸島の南側を通過するだろうと予測しており、被害のほうも、せいぜい多少の高波が発生くらいだろうと思われていたのである。一部のスーパーコンピュータなどはこのときから、イニキは北上しハワイ諸島に上陸するという予測を示していたが、中部太平洋ハリケーンセンターはそれを否定した。現に、現地時間9月10日午前11時の中央太平洋ハリケーンセンターによる公式発表(CHPC Advisory #19)では、イニキは南部に留まり続けて次第に弱体化するだろうとされている。これは同日の午後6時30分に特別警戒情報が発表されるまで撤回されることはなかった。このときは既にイニキがカウアイ島に上陸するまで24時間を切っていた。そして、このときになってようやく巷でもイニキに対する警戒心が芽生え始めたのであった。 9月11日早朝にはハリケーン注意報がカウアイ島に発令され、これは即日中に警報に格上げされた。これを受け、10年前のハリケーン・イワ(Hurricane Iwa)を経験した人々を中心に、カウアイ島の住人のうち8,000人あまりは事前に避難所へ退避した。また、観光客は避難所ではなく、島内にある2箇所の大型ホテルで嵐が去るまで待機するように命令が出された。住民はそれぞれ家族や友人の家、避難所などに避難したが、島内の学校は臨時休校しており、島の交通網も正常に機能していたこともあって、避難行動に際して特に大きな混乱は発生しなかった。 中部太平洋ハリケーンセンターは、9月11日にオアフ島にもトロピカル・ストーム警報を発令したが、こちらもカウアイ島と同様に即日ハリケーン警報に格上げされている。直撃はしないとされていたものの、イニキの強風の範囲が広かったこともあり、大事を取ってオアフ島にいる人々のうち3,0000人あまりが島内110箇所の避難所に避難した。地元の学校などが臨時の避難所として使用されたが、この臨時避難所には食料、毛布、簡易ベッド、医薬品などの生活用品の支援は行われなかった。最終的には島民の約3分の1が避難所に避難し、その他の大多数は家族や友人の家へ避難した。避難活動は最も被害を受ける危険性の高かった沿岸地区から順番に行われた。必要がある場合には緊急避難用の車両やバスを派遣し、主要な交差点には警察官が配置された。このとき主に問題となったのは、避難所付近の駐車場が不足していた点と、海岸線付近の道路では渋滞が発生してしまった点であった。 太平洋地域で上陸時に勢力の大きかったハリケーン順位ハリケーン年上陸時の風速1 パトリシア(Patricia) 2015年 時速 240 km 2 マドリン(Madeline) 1976年 時速 230 km イニキ(Iniki) 1992年 4 無名 1957年 時速 220 km 無名("Mexico") 1959年 ケナ(Kenna) 2002年 7 オリビア(Olivia) 1967年 時速 205 km ティコ(Tico) 1983年 レーン(Lane) 2006年 オディール(Odile) 2014年
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