グッドウッド作戦
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ナビゲーションに移動 検索に移動グッドウッド作戦
- グッドウッド作戦 (1944年7月) - 1944年7月に行われたイギリス軍の作戦。ノルマンディーでの攻勢。
- グッドウッド作戦 (1944年8月) - 1944年8月に行われたイギリス軍の作戦。ドイツ戦艦「ティルピッツ」に対する攻撃。
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グッドウッド作戦
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「ハンス・フォン・ルック」の記事における「グッドウッド作戦」の解説
カーン周囲の突破を試みる英国軍がカーン南部の確保に乗り出す頃、ルックはカーン防衛戦線の右翼に割り当てられており、エプソム作戦(英語版)が発動され英国第11機甲師団(英語版)がドイツ第192連隊を攻撃する6月27日まで英国軍の大規模な活動を目撃しなかった。これらの英国機甲師団は歩兵の援護を受けていなかった為、生垣の影に潜んだ擲弾兵によっていとも簡単に撃破されたが、それでも一部の戦力はカーン郊外西部に到達した。7月初頭、フォン・ルック戦闘団にタイガー戦車や突撃砲を装備する第503重戦車大隊が合流した。フォン・ルック戦闘団はゼップ・ディートリヒ将軍率いる第1SS装甲軍団の指揮下に入った。 7月18日、パリにおける3日間の休暇を終え前線に戻ったルックは、グッドウッド作戦(英語版)の発動に直面した。広範囲に渡る砲撃と重爆撃は戦闘団の陣地を直撃していたが、ルック不在時の代理指揮官は全く有効な行動を取れなかった。前線に到着したルックは、イギリスの大規模な機甲戦力に蹂躙されたカニーの第125装甲擲弾兵連隊第1大隊陣地を目の当たりにして酷く落胆した。 この時、陣地付近で敗走中だった空軍所属の88mm高射砲中隊と遭遇したルックは、中隊長に対して戦闘団に合流し対戦車任務を遂行するように求めた。ところが高射砲中隊を率いていた若い大尉は「我々は航空機を砲撃する命令しか受けていない」と言い返しルックの要請を拒否した。するとルックはピストルを抜き、まっすぐと銃口を大尉に向けて、「貴様は死と勲章のどちらが欲しいのか」と脅したのである。こうして空軍の高射砲中隊を指揮下に加えたルックは、この砲兵を配置して戦線の隙間を埋めるべく奮闘した。この頃までに戦闘団の装甲戦力は砲爆撃によって大半が破壊されており、空軍高射砲中隊を含む寄せ集めの対戦車部隊と突撃砲中隊だけが英国軍の戦車隊に応戦しうる戦力であった。 カニーにおける作戦時の航空写真には88mm高射砲中隊など何れの部隊の記号も村に配置されていない点から、ルックの語ったこのような砲兵戦力の描写はイアン・ダグリッシュなどの研究者によって疑問視されている。しかし、逆にダグリッシュらの主張するような砲兵戦力を用いない戦術では英国第11機甲師団が受けた大損害を説明することは難しい。 いずれにせよ、歩兵の援護を受けずに前進してきた英国第11機甲師団は固定対戦車砲を乗り越えられず、第11機甲師団の悲劇を知らずに前進してきた近衛機甲師団(英語版)も同様であった。こうしたフォン・ルック戦闘団の活動により英国軍機甲部隊の進撃は完全に足止めされてしまった。ルックが徴用した空軍の88mm高射砲中隊単独でも約40台の英国軍戦車を撃破したという。午後までに第1SS装甲師団からの増援が到着し、戦況はやや安定を取り戻した。 7月19日、SS装甲部隊に援護されたフォン・ルック戦闘団は前進してきた英国軍を攻撃した。効果的な側面攻撃によって約450両以上の戦車を失った英国軍は間も無く足を止め、結局彼らが前進した距離はわずか9kmに過ぎなかった。夕方には第12SS装甲師団が到着し、ルック配下の将兵はようやく安堵した。 グッドウッド作戦期間中に英国軍を撃破し続けた彼の功績に対し、1944年8月8日に騎士鉄十字章と第125装甲擲弾兵連隊連隊長の肩書きが送られ、中佐に昇進した。
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