ベッドフォード公としてのラッセル家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 09:13 UTC 版)
「ベッドフォード公爵」の記事における「ベッドフォード公としてのラッセル家」の解説
1700年の初代ベッドフォード公の死後、爵位はその孫にあたるライオセスリー(1680-1711)(処刑されたラッセル卿の遺児)が継承した。彼は襲爵前の1695年5月に母レイチェル(英語版)の周旋で、資産家ジョン・ホウランドの娘で女子相続人のエリザベス(Elizabeth Howland)と結婚しており、これによりベッドフォード公ラッセル家は10万ポンドの遺産とロンドン・ストリーサム(英語版)をはじめとするホウランド家の所領を相続し、イングランド四大資産家の一家に数えられるようになった。また、この結婚を機に祖父が1695年6月13日にカウンティ・オブ・サリーにおけるストリーサムのホウランド男爵(Baron Howland, of Streatham in the County of Surrey)に叙されている。 2代公の同名の子で3代ベッドフォード公を継承したライオセスリー・ラッセル(1708-1732)は、ギャンブル好きでプロのギャンブラーの餌食となり25万ポンドも失ったが、マールバラ公ジョン・チャーチル夫人サラ・チャーチルの財政援助や跡を継いだ弟の4代ベッドフォード公ジョン・ラッセル(1710-1771)の努力で財産を回復させ、デヴォンシャー公爵、ノーサンバーランド公爵、ブリッジウォーター公爵とならぶ4大資産家の地位を取り戻した。また4代公は軍人として中将まで昇進した他、政界でもホイッグ党の派閥の長として枢密院議長や国璽尚書などの閣僚職を歴任した。 4代公の子である5代公フランシス(英語版)(1765-1802)と6代公ジョン・ラッセル(1766-1839)は共に浪費家で散財したが、6代公は王立植物園キューガーデン創設に貢献している。また6代公の妻ジョージアナ(第4代トリントン子爵ジョージ・ビングの娘)からの遺伝でベッドフォード公爵家にメランコリーが流れ込んだ。これ以降の当主は多かれ少なかれメランコリーに苦しむことになる。 6代公の長男である7代公フランシス・ラッセル(1788-1861)は徹底した緊縮により家計の立て直しに努めた。しかし使うべき時には決して出し惜しみせず、彼の妻アンナも客人をよくもてなし、イギリスの「5時のお茶(five o'clock tea)」の風習はアンナのもてなしを起源としている。またホイッグ党(自由党)の政治家である次弟(6代公の三男)ジョン・ラッセル卿への金銭支援も欠かさなかった。その結果ジョン・ラッセル卿は政界の中心として活躍し続けることができ、首相(在職1846-1852、1865-1866)や外務大臣(在職1852-1853、1859-1865)を歴任し、1861年にはラッセル伯爵に叙されている。その子孫第3代ラッセル伯が哲学者と知られるバートランド・ラッセルである。 7代公の息子である8代公ウィリアム(1809-1872)は重度のメランコリーに苦しみ、生涯結婚しなかった。彼の死後に爵位は6代公の次男ウィリアムの子であるフランシス(1819-1891)が継承したが、彼もメランコリーに苦しみ、拳銃自殺するという衝撃的な最期を遂げた。 その子ジョージ(1852-1893)が10代公となったが、襲爵から2年後には急死したため、弟のハーブランド(英語版)(1858-1940)が11代公を継承した。11代公夫妻は動物を共通の趣味とし、犬、猫、鹿、鳥類などを収集した。これが後のサファリパーク開園につながる。妻メアリーは活動的な女性で晩年にはパイロットとして自家用飛行機で飛び回っていたが、1937年に航空事故死した。夫の11代公もその3年後に死去した。11代公は息子と仲が悪かったため、相続税対策が遅れ、財産税攻勢の直撃を被った。ロンドン・コヴェント・ガーデンの土地はこの際に手放している。 11代公の息子である12代公ヘイスティングス(英語版)(1888-1953)は、第二次世界大戦中に貴族院で戦争反対を訴え続けたため、「ファシスト」だの「共産主義者」だのと誹謗中傷された。迫害に晒される12代公は人間に嫌気がさし、「動物は自分を裏切らない」と語って父同様動物収集にはまるようになった。また狩猟好きでもあったが、1953年秋に領地での狩猟中に行方不明となった。捜索の結果、藪の中で散弾銃を受けた12代公の遺体が発見された。この不可解な死をめぐる真相は未だ不明である。 貴族に対する過酷な相続税攻勢は1954年の改正で緩和されるが、12代公の不審死はそれにぎりぎり間に合わず、公爵家は再び相続税の直撃を被り、更なる土地の売却に迫られた。ベッドフォード公爵家の所有地はついに本拠のウォバーン・アビーの屋敷と領地だけになってしまった。 家計の立て直しのために13代公イアン(英語版)(1917-2002)は先祖の収集した動物をサファリパークにして開園した。 2015年現在の当主はその孫である15代公アンドリュー・ラッセル(英語版)(1962-)である。 ベッドフォード公爵ラッセル家のモットーは「なるようになる(Che Sera Sera)」。
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