フェビアン主義とは? わかりやすく解説

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フェビアン協会

(フェビアン主義 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/05 02:43 UTC 版)

フェビアン協会
Fabian Society
設立 1884年1月4日 (141年前) (1884-01-04)
種類 政治団体シンクタンク
本部 イギリス ロンドン
加盟 労働党
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フェビアン協会(フェビアンきょうかい、Fabian Society)は、19世紀後半に創設された、最もよく知られているイギリス中産階級の社会主義知識人による運動。

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを設立する際の母体となった。

なお、労働党の基盤の団体として、現在も存在している。

概要

「かくしてついに、子供の心はこうした暗示そのものとなり、こうした暗示の総計がまた子供の心となる。いや、何も子供の心とは限らない。それが成人の心でもある。生涯を通じてそうなのだ。判断し、欲望し、決定する心。それがこういう暗示で出来上がってしまうのだ。 ところで、こういう暗示は我々が与える暗示なのだ。つまり国家が授ける暗示なのだ」 — オルダス・ハクスリー「素晴らしい新世界

名称の由来とシンボル

古代ローマの軍人である、クィントゥス・ファビウス・マクシムスにちなんで、フェビアン協会と名づけられた。これは、フェビアン協会を設立した知識人の一人、フランク・ポドモアの提案によるものである。クィントゥス・ファビウス・マクシムスは、カルタゴハンニバルを持久戦で破った名将である。

グループの最初の小冊子のタイトルページに掲載された説明文には次のように記されている。

「ファビウスがハンニバルとの戦争で最も忍耐強く待ったように、適切な瞬間を待たなければなりません。多くの人がその遅延を非難しましたが。しかし、時が来たら、ファビウスがしたように強く打たなければなりません。そうでなければ、あなたの待ちは無駄で、成果を上げません。」

フェビアン協会のシンボルである「猛り狂う亀」(raging tortoise)は、設立の1884年1月4日に名前の「Fabian」(ファビウス・クンクタトルに由来する遅延戦術)を提案したフランク・ポドモアの影響で、漸進的な社会改革を象徴するものとして採用された。この亀のデザインは、ゆっくり進むが「When I strike, I strike hard」(打つ時は強く打つ)というモットーを伴い、「猛り狂う」イメージを強調する形で初期から使用され、1889年の『フェビアン社会主義論集』(Fabian Essays in Socialism)の出版頃に広く知られるようになった。 初期のシンボルは狼の姿だったが、負のイメージから、亀に置き換わったとされる記録もある。

クンクタトル(Cunctator)は、ラテン語で「遅延者」「ためらう者」「先延ばしをする者」を意味する言葉で、古代ローマの将軍クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ヴェッルコスス(Quintus Fabius Maximus Verrucosus)の異名である。彼は紀元前3世紀の第二次ポエニ戦争で、強敵ハンニバルに対して直接戦闘を避け、補給線を断つなどの「遅延戦術」(Fabian strategy)を用いてローマを勝利に導いたため、このあだ名がついた。この戦術は、急ぎすぎずじっくりと機会を待つ「ファビアン主義」の語源にもなっている。「Cunctator」の「tator(タトル)」の綴りやイメージ(遅延)が英語の「turtle(タートル)」(亀)の「遅い」イメージと重なり、フェビアン協会(Fabian Society)のシンボルとして「猛り狂う亀」(raging tortoise)が採用された。これはファビウスの遅延戦術を象徴し、モットー「When I strike, I strike hard」(打つ時は強く打つ)と組み合わせて使われている。亀の遅さは、まさにクンクタトルの本質を表している。


[1] - 左はフェビアン協会の本来のシンボル(紋章)「羊の皮を被った狼」。F.S はFabian Societyの頭文字。これは「偽預言者たちに気をつけなさい。羊の皮をかぶってやって来るが、内心は猛り狂う狼である。」(マタイの福音書7章15節)に由来。後に右の「猛り狂う亀」に変更された。

誕生

1884年1月4日、フェビアン協会はロンドンで設立された。1883年にトーマス・デイヴィッドソンがロンドンに新生活友愛会をつくり、詩人のエドワード・カーペンター、ジョン・デイヴィッドソン、性科学者のハヴロック・エリス、エドワード・R・ピースら約9人がメンバーとなっており、この団体の支会として設立された。新生活友愛会は、清潔で単純化された生活の模範を示すことで、社会を変革しようとしていた。しかし、個人の精神生活に籠ろうとするグループと、社会改革に携わろうとするグループがあり、後者のメンバーがより政治的な団体を別に作ろうとした結果、フェビアン協会の創設が決定された。その中心になったのが、フランク・ポドモアである。その後も、全メンバーは自由に両方に関わることができた。1890年代の初めに新生活友愛会は解散されたが、フェビアン協会はヴィクトリア朝末期からエドワード朝の時代のイギリスで、卓越した知識人の協会になった。1896年には第二インターナショナルのロンドン会議にも参加している。

社会意識に目覚めた中産階級知識人の知的サロンであり、労働者階級の団体ではなく、体系的な思想や理論ももなく、ただ現状の人間生活を良くするには社会改革が必要だという漠然とした意識・共通感情を持っていた。他の社会主義団体からは、「客間(サロン)の 社会主義者」と嘲笑された[1]

設立後すぐに、ジョージ・バーナード・ショーシドニー・ウェッブ、ベアトリス・ポッター、アニー・ベサントグレーアム・ウォーラスヒューバート・ブランド英語版イーディス・ネズビットH・G・ウェルズシドニー・オリヴィエ英語版エミリン・パンクハーストら社会主義に魅力を感じた多くの知識人を引きつけた。その後、バートランド・ラッセルもメンバーになった。ショーとウェッブが、フェビアン協会に一定の方向性と活動意識をもたらした[1]。このグループは革命的ではなく、むしろ緩やかな変革を志向(社会改良主義)していた。このように、漸進的な社会変革によって教条主義マルクス主義に対抗し、暴力革命を抑止する思想や運動をフェビアン主義(フェビアニズム)と呼ぶ。

1887年に協会の理念規定書である「基礎」が改訂され、土地と産業資本の共有化を目指すなど社会主義団体としての綱領を明確にした。そして、フェビアン社会主義の理論構築をすすめ、1889年に『フェビアン社会主義論集』が出版された。フェビアン社会主義の特色には、まずひとつにレント(地代)論がある。これはリカード比較優位理論の骨子を援用し、土地・資本・技能における比較優位から得られる超過利潤は社会的に共有されるべき、という主張だった。他の特色として、社会主義は階級闘争ではなく、社会諸制度の人為的変革によって人類が進歩する過程で出現するという「歴史の制度的な解釈」という理論がある[2]。『フェビアン社会主義論集』は刊行後の3年間で2万部以上を売り上げ、フェビアン協会は社会的に認知され会員数も急増していった。1890年代にはフェビアン社会主義に共鳴する組織が国内外に相次いで組織された。

なお、社会主義と心霊主義はともに理想社会(世俗的千年王国)をこの世に到来させようとする点で一致しており、両者は密接な関係にあった[3]。そのため、ポドモアやベサントなどの初期のメンバーには、心霊主義の傾向が強い者が少なからずいた。

政党への参加

フェビアンは当初、国内問題に主な関心があり、ロンドンだけが活動範囲であったが、ボーア戦争が始まる1900年頃には、対外問題も議論するようになる。フェビアンは自由帝国主義を唱えるローズベリーを支持し、「国民的効率」を目指す新党結成を計画する。その中で、ウェッブ夫妻は新党を準備するためのブレーン・トラストとして、「効率懇話会」を結成する。また、多くのフェビアン(フェビアン協会のメンバー)が、1900年の労働党の前身となる労働代表委員会結成に参加した。

こうした動きにもかかわらず、協会の影響力は衰え、1903年にはH・G・ウェルズが加入すると他のメンバーと内輪もめを起こし、協会内は混乱することになる。しかし、1907年から1908年にかけて、オックスフォードケンブリッジの学生達がフェビアン主義に興味を抱き、協会は第2のブームを迎える。2つの世界大戦の期間には、第2世代のフェビアンであるR・H・トーニー、G・D・H・コール、ハロルド・ラスキが、社会民主主義思想に大きな影響を与えつづけていた。

組織が拡充する一方で、圧力団体として行政による市民への保障を重視するウェッブなど古参会員と、労働組合を媒介した民主的統治を重視するコールなど若手のギルド社会主義者との軋轢が表面化するようになる[2]。対立の溝は埋めがたく、1915年にはコールがフェビアン協会を離脱している。

1914年第一次世界大戦が始まると戦時下での労働者保護を目的として、労働党の党首アーサー・ヘンダーソンを委員長とする連合団体「戦時労働者全国委員会」が組織され、多くのフェビアン協会員が委員として参加した。この活動を通して労働党とフェビアン協会の連携が強まり[2]、1915年にはシドニー・ウェッブがフェビアン協会代表として労働党執行部に加わった。1918年に労働党の新綱領が採択されるとともに、シドニー・ウェッブが執筆した政策宣言『労働党と新社会秩序』の表明によって、労働党の社会主義へのコミットメントが明確となった。翌1919年にはフェビアン協会の「基礎」も大きく改訂され、フェビアン協会が労働党の構成団体であることを明確化した。また、従来のプロパガンダ活動に加え、政策研究集団としての活動を打ち出した。

この時期、第三世界の将来のリーダーとなる多くの者がフェビアン思想に感化された。特に、インドネールは、フェビアンの社会民主主義に基づき、独立後のインドで混合経済体制を運営した。

1928年にフェビアン協会に再合流したコールが、ヒュー・ドルトン、ハーバード・モリソン、クレメント・アトリー、ハロルド・ラスキなどとともに「新フェビアン調査局」を組織し社会主義的な政策研究を進めた。1939年に調査局がフェビアン協会に吸収されることによって、フェビアン協会が労働党のシンクタンクとして実質的に稼働するようになる。1930年代にはその他にも、ガルブレイス、ビーヴァーブルック、バートランド・ラッセル、スチュアート・チェース、ヘンリー・ウォラスが活躍することになる。


なお、『1984年』の原作者、ジョージ・オーウェル(George Orwell)もメンバーの一人だったとされることもある[4]が、その証拠はない。むしろ、彼はフェビアン協会を批判的に見なし、中産階級の知識人による「権力志向の社会主義」として距離を置いていた。例えば、1937年の著書『Wigan Pierへの道』で、フェビアン主義者のような中産階級社会主義者を痛烈に批判している。

「オーウェルは、王室の子供が通うエリート学校のイートン校でオルダス・ハクスリーからフランス語を学び、二人は生涯の友になった」とする説がある。これについては事実である。

イートン校は英国の名門パブリックスクールで、王族の子供が通うエリート校として知られているが、オーウェルは1917年から1921年まで奨学生として在籍していた。オーウェルはイートン校でハクスリーからフランス語を学んでいた。ハクスリーは1917-1918年に同校で英語とフランス語を教え、生徒たちはハクスリーの言語の洗練さに感銘を受けていた。ハクスリーとオーウェルの二人は生涯にわたり友人関係を維持し、互いの作品を尊重し合った。例えば、1949年にオーウェルが『1984年』を出版した際、ハクスリーは手紙で感想を送り、自身の『すばらしい新世界』との比較を述べている。これは単なる教師-生徒関係を超えた、知的交流を示している。

一方、「オーウェルは、ハクスリーの紹介でフェビアン協会に入ったが、協会に幻滅した。そこで収集した情報を「暴露」したのが「1984年」である」とする説も存在するが、こちらについては、少なくとも、信頼できる証拠が不足している。

オーウェルがフェビアン協会の正式メンバーだったという信頼できる記録は存在しない。ハクスリーは確かにフェビアン協会メンバーであったが、オーウェルを紹介したという証拠は見つかっていない。

オーウェルの政治活動は、主に独立労働党(ILP)やPOUM(スペイン内戦時の反スターリン派マルクス主義者)と結びついていた。 オーウェルは1930年代に社会主義者となったが、スペイン内戦(1936-1937年)での経験(スターリン派によるPOUM弾圧)で共産主義に強い幻滅を抱き、これが『カタルーニャ賛歌』(1938年)や『動物農場』(1945年)に反映された。

『1984年』(1949年)は全体主義(特にスターリン主義)の批判として書かれたが、タイトルの「1984年」の由来は、「執筆年である1948年の数字を逆にした」とする説が主流で、「フェビアン協会設立(1884年)の100年後の未来の世界を指す」とする説は、一部の推測に過ぎない。

オーウェルは、民主的社会主義を信じつつ、権力の腐敗を警戒した。フェビアン(漸進的改革)はむしろ、彼の初期の理想に近い存在であったが、フェビアン協会の「陰謀計画(未来予定図)」を「暴露」したという証拠はない。たとえ、現実が実際に『1984年』の世界を目指すように動いているとしても。


オルダス・ハクスリー(Aldous Huxley)は、青年期にフェビアン協会と接触し、メンバーとして参加していた。具体的な加入日は記録されていないが、最初の接触は1908年から1920年の間(オックスフォード大学在学中を含む時期)とされている。この頃、ハクスリーはバートランド・ラッセルらを通じて協会に関わり、社会主義的思想に影響を受けた。1920年代以降は、フェビアン主義から距離を置き、平和主義や東洋思想へ移行している。

なお、H.G.ウェルズは、ジュリアンやオルダスの祖父であるトーマス・ヘンリー・ハクスリーの教え子である。ウェルズは1884年からロンドンのNormal School of Science(現・インペリアル・カレッジ・ロンドン)で生物学を学び、トーマスが講師を務めていた。この師弟関係は、ウェルズの科学フィクション作品に大きな影響を与え、ウェルズ自身もトーマスを「生物学の巨匠」と敬愛し、進化論の影響を自伝で語っている。


フェビアン協会は、20世紀を通して労働党に常に影響力をもっており、21世紀に入ってもそれは続いている。労働党の党首およびイギリスの首相となったラムゼイ・マクドナルドクレメント・アトリー、アンソニー・クロスランド、リチャード・クロスマン、トニー・ベンハロルド・ウィルソントニー・ブレアらがフェビアン協会のメンバーであった。ゴードン・ブラウンもその一員である。

英国首相キア・スターマー(Keir Starmer)は、労働党指導者としてフェビアン協会のメンバーであり、ロンドン市長サディク・カーン(Sadiq Khan)は、2008年から2010年まで同協会の議長(Chair)を務めた後、現在も同協会の副会長(Vice President)を務めている。


ファビアン協会が設立されてから140年、私たちは正義、進歩、平等のための闘いを推進してきました。そのために、ファビアンとファビアン原則は、常に労働党の歴史の最も誇らしい瞬間の中心にありました——1945年の集団的犠牲から新しい英国を築き、1964年の技術的変革で取り残された経済を近代化し、1997年に崩れゆく公共領域を再生したのです。

今日、労働党は新しい課題と馴染みのある課題の両方に直面する未来を見据え、労働者の生活を変革するために切実に必要な長期的な変化を達成する決意をしています。私は、ファビアンが再び私たちと共に、国家再生の10年にわたる使命に参加してくれることを願い、確信しています。

キア・スターマーは、ホルボーンおよびセント・パンクラス選挙区の労働党下院議員であり、労働党の指導者です。 — 『ファビアン・レビュー』でのキア・スターマー 国会議員の発言


この節目において、私たちはファビアンとして私たちを結びつけるものを思い起こします。私たちは、一人では成し遂げられないことを共に成し遂げる力の存在を信じています。私たちの伝統が誇り高く進歩的であるとき、過去からインスピレーションを得て、未来に楽観的に向き合うとき、私たちの伝統は成功すると思い出されます。

私たちは、初期のファビアンたちが、生きるための賃金、病気時の治療、そして障害者や高齢者への安全な収入という普遍的な権利を最初に擁護したことを思い浮かべます。そして、それらの原則が、社会のメンバーであるクレメント・アトリーが率いる変革的な労働党政権によって、戦争の廃墟から生まれたときに政策となったことを。

私は30年前にファビアン協会に加入しました。その価値観が私のものと一致していたからです。市長として、それらの価値観は私が統治する基盤となっています。私たちの先駆者たちは、私たちの子どもたちを養うという大義を維持しました——そして、市庁舎から私たちは今、その約束を果たしました。ロンドンでは史上初めて、すべての公立小学校のすべての子どもたちが、毎日の学校でクラスメートたちと一緒に座って栄養のある食事をする機会を得ました。普遍的な無料学校給食は、私たちの協会が140年という長い歴史を持ちながら、その理想が今も人々の生活を改善する力を持っていることを証明しています。

この記念の年を記憶に残るものにしましょう——市庁舎、ホワイトホールの多くの省庁、そしてダウニング街10番地がすべてファビアンによって占められるように。そして、真のファビアニズムの精神で共に、私たちは前の世代よりも優れたことを成し遂げ、次の世代のためにより良いものを残すよう努めましょう。

サディク・カーンはロンドン市長です。 — 2024年春の『ファビアン・レビュー』でのサディク・カーンの発言


組織構造

フェビアン協会は、政策を持たないことが規則に明記された組織であり、全ての出版物には、協会の集団的見解を代表せず、著者の見解のみを代表するという免責事項が記載されている。

「協会の運営自体に関するもの以外の、政治的性格の決議、意見の表明や行動の呼びかけは、協会の名で提案されない。」

執行委員会

フェビアン協会は、選出された執行委員会によって統治される。委員会は、全国リストから選出された10人の普通会員、地方グループが指名したリストから全国的に選出された3人の会員、Young Fabians、Fabians Women's Network、スコットランドおよびウェールズのFabiansからの代表で構成される。また、スタッフ代表1人と会員から直接選出された名誉財務官1人も含まれる。選挙は2年ごとに開催され、Young Fabiansとスタッフ代表は毎年選挙される。委員会は四半期ごとに会合し、毎年議長と少なくとも1人の副議長を選出し、業務を遂行する。

現在(2025年)の議長はセアラ・ハイド(Sara Hyde)、副議長はソニア・アデサラ(Sonia Adesara)とルーク・ジョン・デイヴィス(Luke John Davies)、名誉財務官はポール・リチャーズ(Paul Richards)である。

事務局

フェビアン協会には、ロンドンの本部に拠点を置く多数の職員がいる。事務局は組織のCEOである事務総長が率い、スタッフは研究、編集、イベント、オペレーションの部門に配置される。

Fabian Review

フェビアン協会は、四半期ごとの雑誌『Fabian Review』を出版する。

Young Fabians

1960年以来、31歳未満の会員はYoung Fabiansの会員でもある。このグループには独自の選出された議長、執行委員会、サブグループがある。Young Fabiansは、政策と社会イベント、小冊子、代表団などの会員主導の活動のインキュベーターとして機能するボランティア組織である。グループ内には、Economy & Finance、Health、International Affairs、Education、Communications (Industry)、Environment、Tech、Devolution & Local Government、Law、Arts & Cultureの10つの特別興味コミュニティNetworkがあり、ボランティアのステアリンググループによって運営され、独自の議長と役員を選出する。また、四半期ごとの雑誌『Anticipations』を出版する。

2023年に、フェビアン協会は文化と慣行の非公開レビュー後、すべてのYoung Fabiansの対面活動を停止した。2024年に、18歳未満の会員を禁止し、上限年齢を30歳から27歳に引き下げてYoung Fabiansを再起動した。Young Fabiansはまた、少なくとも1人が女性である2人の共同議長によって率いられ、会員の苦情はフェビアン協会によって直接処理される。2025年現在、この改革は順調に進んでおり、Networkの活動が活発化している。

Fabian Women's Network

フェビアン協会のすべての女性会員はFabian Women's Networkの会員でもある。このグループには独自の選出された議長と執行委員会があり、会議とイベントを組織し、政治と公共生活での女性の代表増加を確保するために広範な政治運動と協力する。毎年募集するフラッグシップのメンタリングプログラムがあり、大統領は労働党および協同組合議員のシーマ・マルホトラである。Networkはまた、四半期ごとの雑誌『Fabiana』を出版し、多数の公開スピーキングイベントを運営し、多数の女性キャンペーン組織と密接にパートナーシップし、労働党大会で定期的にフリンジを開催する。

Local Fabians

英国全土に約60の地方フェビアン協会があり、全国のコミュニティにフェビアン議論をもたらす。一部、例えばボーンマスとオックスフォードは1890年代からの長い歴史を持つが、ほとんどのものは年月とともに増減した。地方フェビアン協会は、第二次世界大戦中にG・D・H・コールとマーガレット・コールによって再設立され、社会主義への新たな関心と戦時避難がロンドン外での影響を強化する機会を生み出した。多くの地方協会は地元選挙区労働党に所属し、独自の執行機関を持っている。これらの地方支部は全国フェビアンに所属し、地元会員は全国の同等者の投票権を持つ。

会員数

フェビアン協会の会員数は、歴史的に変動してきた。2009年4月時点で6,286人、2016年時点で約7,000人、2019年6月時点で7,136人の個人会員であった。2023-2024年の年次報告書によると、英国全体で6,572人の会員が確認されており、公式ウェブサイトでは7,000人を超えると推定されている。2025年現在、推定8,000人前後の規模を維持しており、労働党の選挙勝利や政策議論の活発化により、若い世代の加入が増加傾向にある。

財政

フェビアン協会は、英国の登録慈善団体(登録番号: 272670)として、透明性の高い財政運営を行っている。フェビアン協会は、「Transparify」によって資金調達の「広範に透明」と評価されている。2022年11月、資金透明性ウェブサイト「Who Funds You?」はフェビアン協会にAグレード、最高の透明性評価を与えた。

主な財政基盤は、会員からの会費、寄付・遺産、助成金(研究プロジェクト向け)、イベント収入、出版物販売・スポンサーシップである。これらの収入源は、政治サイクルに依存する傾向があり、労働党の選挙勝利期に寄付や助成金が増加する。2023-2024年度は、過去最高の資金調達を達成し、年間売上高が初めて100万ポンドを超えた。財政は英国会計基準(FRS 102)に準拠し、予備資金の積み立てを重視して政治的不確実性に備えている。会員数は近年減少傾向だが、2023-2024年度の黒字により予備資金(現金100,000ポンド超、住宅ローンなしの建物含む)が強化された。

2023-2024年度(2023年7月1日~2024年6月30日)の主な財務データは以下の通りである。総収入は131万ポンド超、総支出は122万ポンド超で、黒字86,241ポンドを計上した。


項目 金額(GBP) 割合(総収入比、概算) 詳細
総収入 1,311,043 - 過去最高の調達額。
- 会員会費・関連収入 348,310 約27% 個人会員344,345ポンド、機関加入・購読3,965ポンド。
- 寄付・遺産 141,949 約11% 一般寄付。
- 助成金(研究プロジェクト) 449,982 約34% 企業、労働組合、非営利団体、信託からの資金(総プロジェクト収入800,945ポンド)。
- イベント・会議 327,763 約25% 講演会・カンファレンス。
- 出版物販売・スポンサー 25,327 約2% 販売2,127ポンド、広告・スポンサー23,200ポンド。
- その他(家賃、利息、ロイヤリティ) 17,712 約1% 雑収入。
項目 金額(GBP) 割合(総支出比、概算) 詳細
総支出 1,224,802 - スタッフ中心の運用。
- スタッフ人件費 716,328 約58% 給与・福利厚生。
- 印刷・配布 114,708 約9% 出版物関連。
- 施設費 79,409 約6% 事務所維持。
- イベント・会議 98,163 約8% 運営費。
- 研究プロジェクト 74,680 約6% 特定プロジェクト。
- 法的・専門サービス 38,090 約3% コンサルティング。
- 情報システム 31,801 約3% IT投資。
- その他(減価償却、プロモーション) 71,623 約6% 雑費(減価償却17,042ポンド含む)。


資産・負債の概要として、純資産は1,233,155ポンド(一般基金1,199,189ポンド、制限基金33,966ポンド)である。固定資産は1,169,079ポンド(住宅ローンなしの建物含む)、流動資産は現金・銀行残高含む純流動資産1,233,155ポンド(債権・前払金87,323ポンド)、負債は短期債務(債権・未払金)23,247ポンドで、長期負債なしである。


英国労働党(Labour Party)とフェビアン協会(Fabian Society)の財政関係は、主に知的・組織的な提携に基づくもので、直接的な財政支援(例: 定期的な補助金や予算配分)は存在しない。フェビアン協会は労働党の20の所属団体(affiliated socialist societies)の一つとして位置づけられ、政策研究やイベントを通じて労働党の知的基盤を支えているが、財政的には独立運営が原則である。

シンクタンクの政策提言に対する「対価」の扱いは、組織の性質や資金モデルによって異なるが、一般的に提言自体に直接的な報酬(例: 手数料や成功報酬)を支払うことは稀である。多くのシンクタンクは非営利団体として、寄付、助成金、会員会費などで運営され、政策提言は「公共の利益」として無償で提供されるのが原則である。ただし、資金提供者(政府、企業、組合など)が特定の研究プロジェクトを委託する場合、プロジェクト全体の資金として対価が支払われ、その成果物(報告書や提言)が含まれる形になる。これにより、資金源が政策内容に間接的に影響を与える可能性は指摘されているが、独立性を保つための透明性ルール(例: 資金源公開)が義務づけられることが多い。

フェビアン協会のような左派シンクタンクでは、提言は個人の見解として扱われ、協会全体の「公式政策」として位置づけられない。資金はプロジェクトベースの助成金が中心で、2023-2024年度の研究プロジェクト収入は449,982 GBP(総収入の約34%)に上るが、これは具体的なテーマに対するもので、提言単独への支払いではない。資金提供者には、内容の最終決定権はなく、すべての出版物に資金源が明記される。 全体の資金モデルは会員会費(348,310 GBP、約27%)とイベント収入(327,763 GBP、約25%)が基盤で、労働党からの直接支援はなく、提携関係は知的影響に留まる。このモデルは、シンクタンクの「独立性」を守りつつ、持続可能性を確保する典型例である。

姉妹組織

オーストラリア・フェビアン協会(Australian Fabian Society)とニュージーランド・フェビアン協会(New Zealand Fabian Society)は、英国フェビアン協会の公式な「姉妹組織(sister organisations)」として位置づけられている。これらは英国本部から独立して運営されているが、思想的なつながりが強く、政策議論やイベントで連携している。

オーストラリアの労働党(Australian Labor Party、ALP)とフェビアン協会(Fabian Society)には歴史的・政策的なつながりがある。オーストラリアには「オーストラリア・フェビアン協会(Australian Fabian Society)」(1947年設立)が存在し、ALPの政策形成や選挙プラットフォームに影響を与えてきた。この組織はALPの「批判的な友人(critical friend)」として位置づけられ、独立したシンクタンクとして機能している。

4人の首相(例: Anthony Albanese)がフェビアン会員で、1970年代の改革に影響している。例えば、1972年のゴフ・ウィットラム(Gough Whitlam)政権の改革プログラム開発にフェビアン協会のメンバーが深く関与し、ALPの選挙公約を支えた。

また、2022年のALP選挙プラットフォームにもその影響が見られる。 英国のフェビアン協会が労働党(Labour Party)と提携しているのと同様に、オーストラリア版もALPと密接に連携している。

オーストラリア・フェビアン協会(Australian Fabian Society)には、正式設立(1947年)よりも古い起源がある。英国フェビアン協会の影響を受けた初期の活動が19世紀末から存在し、これらがオーストラリアの漸進的社会主義運動の基盤を形成した。以下に主な歴史的ルーツを記す。

  • 初期の起源(1891-1902年)

1891年、アデレードでの設立: 英国フェビアン協会の最初の海外支部として、オーストラリアで実験的に始まった。創設者はCharles Marson牧師(Rev. Charles Marson)で、彼は1885年にロンドンのフェビアン協会に加入した人物である。Marsonは労働組合員(例: David Charleston, Robert Guthrie, John McPherson)や社会改革者(例: James and Lucy Morice)を引き入れ、フェビアン思想の普及を図った。この支部はオーストラリア初のフェビアン活動拠点として、労働運動や社会改革の議論の場となった。

  • 1902年解散

約10年間活動した後、支部は解散したが、メンバーの多くがオーストラリア労働党(ALP)の初期形成に影響を与えた。この時期のフェビアンたちは、中産階級の急進派や労働活動家として知られ、後のALPの政策に思想的基盤を提供したとされている。

  • 中間期の再燃(1930-40年代)

1938年、サウスオーストラリア支部の再活動: 解散後、数十年ぶりにサウスオーストラリアで就任ディナーが開催され、フェビアン思想の復活を試みた。ただし、これも一時的なもので、戦後の本格的な再組織化につながった。

  • 現在の形態への移行(1947年)

1947年にメルボルンを中心に正式に再設立され、以降はALPのシンクタンクとして機能。初期の1891年支部の遺産を引き継ぎ、Gough Whitlam政権などの改革に寄与した。


これらの古い起源は、フェビアン主義がオーストラリアに早くから根付いていた証拠で、単なる「輸入」ではなく、現地の労働運動と融合した独自の進化を示している。


ニュージーランドの労働党(New Zealand Labour Party)にも、「ニュージーランド・フェビアン協会(New Zealand Fabian Society)」(2009年設立)が影響を与え、Jacinda Ardern元首相が講演するなど、政策議論の場として機能している。

ニュージーランド・フェビアン協会(New Zealand Fabian Society)は、2009年に法人化団体として正式に設立され、現在もオークランド、ウェリントン、クライストチャーチに支部を置いている。ただし、その歴史的ルーツは古く、1934年にピーター・フレイザー(Peter Fraser)とウォルター・ナッシュ(Walter Nash)によってウェリントンで設立された「ウェリントン・フェビアン協会(Wellington Fabian Society)」に遡る。これは、英国のバーナード・ショー(Bernard Shaw)の訪NZ講演を目的としたもので、19世紀末のクライストチャーチや1940-50年代のオークランドでの活動も背景にあった。

類似組織

イギリスのフェビアン協会の原則(漸進的改革、社会民主主義、知的シンクタンク機能)を影響源とする、政治・知的団体について記す。これらの組織は、フェビアニズムの国際的拡散を示す例であり、反ファシズム、社会改革、福祉国家構築などの文脈で活動した。アメリカと日本では短期間で衰退し、イタリアでは直接的なフェビアン支部が少なく、思想的影響が主であるのに対し、カナダでは英国モデルを模倣した明確な類似団体が存在する。

アメリカの組織

アメリカ・フェビアン協会は、1895年2月に著名なキリスト教社会主義者ウィリアム・ドワイト・ポーター・ブリス(W. D. P. Bliss)により、マサチューセッツ州ボストンで設立された。ブリスは英国フェビアン協会の影響を強く受け、米国での漸進的社会主義を推進するための組織としてこれを立ち上げた。協会は月刊誌『The American Fabian』(アメリカン・ファビアン)を発行し、ブリス自身が編集を務めた。この定期刊行物は、社会主義の普及を図るための議論の場を提供した。また、小規模な小冊子シリーズを出版し、政策提言や教育活動を行った。これらの活動は、英国フェビアン協会の出版物や研究アプローチを模倣したもので、労働改革や福祉国家のアイデアを中産階級の知識人に広めることを目的とした。


同時期に、カリフォルニア州を中心とした太平洋岸地域で、社会主義活動家ローレンス・グロンルンド(Laurence Gronlund)の影響下で並行組織が形成された。グロンルンドは英国フェビアン協会の戦術に熱心で、米国版の類似運動を推進した。この組織は、地元住民の協同連邦制への適応性を評価し、地域的な社会改革を提唱した。ボストン協会とは独立していたが、思想的に共通する漸進主義を共有していた。


これらの組織は、19世紀末の社会主義運動の文脈で活動し、英国フェビアニズムの米国適応を示す例である。アメリカのフェビアニズムは、全体として10年未満で衰退した。これは、米国特有の急進的社会主義運動(ポピュリズムや労働組合の台頭)との競合、内部の組織的弱さ、ブリス自身の健康問題などが原因とされる。短い存続期間にもかかわらず、これらの組織は後の米国社会民主主義の知的基盤に間接的な影響を与え、20世紀の進歩主義運動にその遺産を残した。

日本の組織

日本フェビアン協会は、1924年(大正13年)4月に安部磯雄を中心に設立された日本の社会主義団体で、英国のフェビアン協会の原則(漸進的改革、民主主義を通じた社会主義の実現)をモデルとした知的シンクタンクである。

当時、無産政党の結成や普通選挙運動が高まる中、急進的な革命ではなく、教育・研究を通じた穏健な社会改革を推進することを目的とした。会員数は一時87人程度に達し、主に知識人や労働者層が参加した。機関紙やパンフレット(例: 『普通選挙と無産政党』、1925年発行)を発行し、社会主義の普及を図った。

しかし、治安維持法の強化や内部対立により短命に終わり、1926年頃に解散した。その遺産は、後の社会民衆党や社会大衆党の形成に影響を与えた。戦後、直接的な復活はないが、阿部の思想は日本社会主義の基盤として残っている。

イタリアの組織

イタリアでは、フェビアニズムの影響は反ファシズム運動や戦後社会主義に及び、直接・間接的な類似組織が生まれた。フェビアン協会の漸進主義は、リベラル社会主義の枠組みで取り入れられた。

  • Società Fabiana Siciliana(シチリア・フェビアン協会)は、2000年にメッシーナで設立された社会主義改革者の協会である。メッシーナとパレルモに地域支部を持ち、公式ウェブサイトで活動を展開。ソーシャルデモクラシーと社会改革を推進するシンクタンクとして機能し、Facebookページを通じて現代の政治議論に参加している。 イタリア国内でフェビアニズムを名乗る数少ない団体であり、Valdo Spiniなどの改革派政治家を支援した。
  • Giustizia e Libertà(正義と自由)は、1929年にカルロ・ロッセッリと弟ネッロ・ロッセッリが設立した反ファシスト抵抗運動で、1945年まで活動した。フェビアン協会の直接的・間接的影響を受け、リベラル社会主義の思想を体現。ムッソリーニ政権に対する地下活動を主導し、戦後のイタリア行動党の基盤となった。ユダヤ人成分が強く、ミラノ支部の活動が特に活発だった。
  • Movimento Comunità(コミュニティ運動)は、1947年にアドリアーノ・オリヴェッリがピエモンテで設立した政治運動で、フェビアニズムを明示的にインスピレーション源としたイタリア唯一の政党である。象徴は鐘とリボンに「Comunità」の文字。連邦主義、社会自由主義、社会民主主義を組み合わせ、戦後復興と地方自治を推進。オリヴェッリの産業家としての視点が、フェビアンの知的改革アプローチを反映している。1960年代に解散したが、Fondazione Adriano Olivettiが遺産を継承。

カナダの組織

カナダでは、フェビアニズムの影響が1930年代の大恐慌期に強く、英国モデルを模倣した研究・教育団体が登場。NDPの形成に寄与した。

  • Douglas-Coldwell Layton Foundation(ダグラス・コールドウェル・レイトン財団)は、約50年前に設立されたカナダの社会民主主義慈善団体である。 社会民主主義の教育と研究を促進し、年次助成金総額25,000カナダドルを提供。 NDPの指導者トミー・ダグラスとジミー・レイトンの遺産を継承し、公正・公平な未来を推進。 公式ウェブサイトで活動を展開し、LinkedInやFacebookでネットワークを拡大。
  • League for Social Reconstruction(社会再建連盟、LSR)は、1932年にフランク・アンダーヒルらが設立した知的組織で、英国フェビアン協会をモデルとしたカナダ版研究団体である。大恐慌下の社会改革を提唱し、福祉国家の構築に影響を与えた。1942年頃に解散したが、C.C.F.(NDPの前身)の思想基盤を形成。フェビアンの「研究を通じた漸進改革」をカナダの文脈に適応させた先駆者として評価される。


これらの組織は、フェビアニズムのグローバルな適応を示す。イタリアでは反ファシズムの抵抗、カナダでは福祉国家の知的基盤として機能した。2025年現在、Società Fabiana SicilianaとDouglas-Coldwell Layton Foundationが活発に活動中。

1887年のフェビアン協会「基礎」の改訂内容

フェビアン協会の理念規定書「基礎」(Basis)は、1884年の設立当初から存在していたが、1887年1月に新しいトラクト(小冊子)が採択されたことを受け、執行部が改訂委員会を任命した。この委員会は執行部に加え、ウォルター・クレイン、S.D.ヘッドラム牧師、グレーアム・ウォラスら8人のメンバーで構成され、広範な議論の末に報告書を作成。1887年6月3日の総会で全会一致で採択された。

改訂の背景には、アナキストと集産主義者の間の妥協解決後の落ち着きがあり、執行部の通達では会員の無関心を問題視していた。議事録が不完全だったため、10月まで議論が続いたが、最終的に無修正で承認された。

主な変更点

  • 経済的・社会主義的明確化: 改訂前は曖昧だった綱領を、純粋に経済的なものに絞り込み、社会主義団体としての基盤を強化。土地と産業資本の共有化(emancipation of Land and Industrial Capital from individual and class ownership)を明記し、これらを共同体(community)のために公有化することを目指す内容にした。補償(compensation)に関する表現が不十分でしばしば無視されたが、代替案の合意が難しかったため残された。
  • 追加提案の否決: スチュアート・グレニーによる結婚・家族に関する条項追加提案があったが、アニー・ベサント夫人らの反対で否決。Basisは最小限の合意事項として位置づけられ、完全な社会主義宣言とはされなかった。
  • 全体の性格: 改訂版は厳格で経済中心。既存の制度(政党・協同組合など)の活用を提案し、漸進的な改革を強調。これにより、協会は中産階級知識人のサロンとして社会的に認知される基盤を築いた。


改訂版「基礎」のテキスト(1887年頃の核心部分)

正確な全文は議事録の不備から記録が限定的であるが、協会の元秘書にして歴史家のエドワード・R・ピースの回顧録『The History of the Fabian Society』(1916年出版)からの直接引用に基づく代表的なテキストは以下の通りである。これは1887年の改訂で明確化したもので、後の1916年版まで基本的に維持された(1907年に男性と女性の平等市民権が追加)。


1887年Basisの完全な英語原文(1907年の追加部分を除く形で抽出)

The Fabian Society consists of Socialists.

It therefore aims at the reorganisation of Society by the emancipation of Land and Industrial Capital from individual and class ownership, and the vesting of them in the community for the general benefit. In this way only can the natural and acquired advantages of the country be equitably shared by the whole people.

The Society accordingly works for the extinction of private property in Land and of the consequent individual appropriation, in the form of Rent, of the price paid for permission to use the earth, as well as for the advantages of superior soils and sites.

The Society, further, works for the transfer to the community of the administration of such industrial Capital as can conveniently be managed socially. For, owing to the monopoly of the means of production in the past, industrial inventions and the transformation of surplus income into Capital have mainly enriched the proprietary class, the worker being now dependent on that class for leave to earn a living.

If these measures be carried out, without compensation (though not without such relief to expropriated individuals as may seem fit to the community), Rent and Interest will be added to the reward of labour, the idle class now living on the labour of others will necessarily disappear, and practical equality of opportunity will be maintained by the spontaneous action of economic forces with much less interference with personal liberty than the present system entails.

For the attainment of these ends the Fabian Society looks to the spread of Socialist opinions, and the social and political changes consequent thereon. It seeks to achieve these ends by the general dissemination of knowledge as to the relation between the individual and Society in its economic, ethical, and political aspects.

(注: 最後の文に「including the establishment of equal citizenship for men and women」が1907年に追加されたため、上記は1887年版の核心を反映。)


日本語訳(原文に忠実に)

フェビアン協会は社会主義者で構成されています。

したがって、土地と産業資本を個人や階級の所有から解放し、それらを一般の利益のために共同体に委ねることで、社会の再編を目指しています。この方法によってのみ、国に自然発生したものと獲得したものの利点を、国民全体が公平に共有できるのです。

協会は、土地の私有財産の消滅と、それに伴う地代という形で土地使用の許可に対する対価の個人による独占的取り分、ならびに優良土壌や立地の利点の消滅を推進します。 さらに、協会は、社会的に管理することが便利な産業資本の管理を共同体に移管するための活動を進めます。なぜなら、過去の生産手段の独占により、産業発明と余剰所得の資本への転換が主に所有者階級を富ませ、労働者はその階級に生活を稼ぐ許可を依存する状況にあるからです。

これらの措置が実施されれば、補償なし(ただし、共同体が適切とみなす没収された個人への救済措置を伴い)で、地代と利子が労働の報酬に加わり、他者の労働に寄生して生きる無為階級は必然的に消失し、実践的な機会の平等は経済力の自然な作用により維持され、現行制度下よりも個人の自由に対する干渉が少なくなるでしょう。

これらの目的達成のため、フェビアン協会は社会主義の意見の普及と、それに伴う社会的・政治的変革を期待します。これらの目的を達成するため、個人の社会との関係(経済的、倫理的、政治的側面)についての知識の一般的な普及を求めます。


日本語訳(意訳)

フェビアン協会は社会主義者で構成されています。そのため、土地と産業資本を個人や階級の所有から解放し、それらを一般の利益のために共同体に委ねることで、社会の再編を目指しています。この手段により、共同体に自然発生したものと獲得したものの利点を公平に分配し、人類の発展を促進することを求めています。

協会は、土地の私有財産の消滅と、すべての産業資本の共同体への移管を推進します。これらは補償なしで行われますが、財産を没収された個人に対する救済措置を伴います。協会は、実践的な機会の平等、無為階級の消失、そして産業とサービスの社会的管理を目指します。これにより、現行制度下よりも個人の自由に対する干渉を少なくします。

協会は、社会主義の意見の普及、男女の平等な市民権の確立、そして個人の社会との関係(経済的、倫理的、政治的側面)についての知識の普及を展望しています。


このテキストは、土地と産業資本の個別・階級所有からの解放と共同体への移管を核心とし、公共権力による産業・サービスの管理への漸進的・平和的な移行を強調している。 刊行後の影響として、1889年の『フェビアン社会主義論集』の理論構築に寄与し、会員急増を促した。なお、後の改訂(例: 1907年)では「men and womenの平等市民権の確立」を追加したが、1887年版は主に経済的側面に焦点を当てている。

「産業とコミュニティのサービスの管理において、公共の権威(public authority)を徐々に平和的に私的所有(private authority)に代える」。ここで「私的所有に代える」は少し誤解を生みやすい表現であるが、英語原文の「substitution of public for private authority」(公共の権威を私的所有の権威に「置き換える」)を指す。

つまり、私的所有(private authority、個人や資本家による所有・管理)を、公共の権威(public authority、共同体や国家による公有・管理)に徐々に平和的に置き換えるという意味である。

  • 「徐々に(gradual)」: 急激な革命ではなく、段階的な改革(例: 法改正や選挙を通じた政策変更)。
  • 「平和的に(peaceful)」: 暴力や強制ではなく、民主的な手段で。
  • 対象: 「産業(industry)」と「コミュニティのサービス(services of the community)」、つまり工場・企業などの生産活動や、教育・医療・交通などの公共サービス。


「公共の権威を徐々に平和的に私的所有に代える(substitution of public for private authority)」は、これは「私的所有(private authority)の管理を、公共・共同体の管理(public/social authority)に置き換える」ことを意味し、急激な変化ではなく「実践的な機会の平等」などの漸進的目標を通じて実現するものである。

これはフェビアン主義の核心を表す表現で、社会主義への移行を「漸進的・非暴力的」に進める方針を示している。フェビアン協会は、資本主義の私的所有を維持したまま徐々に公有化(例: 土地や産業資本の共同体への移管)を目指し、階級闘争ではなく制度改革による人類進歩を信じていた。この考えは、後の労働党の政策(例: NHSの設立や国有化)に影響を与えた。要するに、私的所有中心の経済・社会管理を、公共中心のものに穏やかに置き換えることで、平等で公正な社会を実現するという、フェビアン独特の「遅延戦術」(Fabian strategy)である。

補償なしの公有化を強調しつつ、個人救済を考慮。後の1907年改訂で「男女の平等な市民権」が追加されたが、1887年版ですでに含意されている。このBasisは、経済中心の社会主義宣言として、協会の知的・非革命的性格を定義づけた。


文脈における「無為階級の消失」の意味

フェビアン協会の1887年改訂版理念規定書「基礎」(Basis)で述べられた「無為階級の消失」(the disappearance of the idle class)とは、社会主義改革を通じて、労働せずに富や収入を得る上流階級(資本家、地主、貴族など)の存在を社会的に消滅させることを指す。この概念は、フェビアン主義の核心である漸進的な社会再編(土地・産業資本の公有化)により実現され、全員が生産的に社会に参加する平等な機会の社会を目指すものである。

無為階級(idle class)とは、19世紀イギリスの資本主義社会で、労働や生産活動に寄与せず、土地や資本からの不労所得(rent, interest)で生活する富裕層を指す。デヴィッド・リカードの地代論(rent theory)の影響を受け、こうした「超過利潤」が社会的不平等を生むと批判されていた。フェビアン主義では、これを「人類進歩の障害」と見なし、階級闘争ではなく制度改革で解消すべきと主張。

改訂版Basisでは、「土地の私有財産の消滅」「産業資本の共同体移管」と並んで挙げられ、「実践的な機会の平等(practical equality of opportunity)」と結びつく。これにより、無為階級が消滅し、個人の自由を損なわず社会的管理(例: 公共サービス化)で福祉を促進する社会を展望。

この考えは、1889年の『フェビアン社会主義論集』で理論化され、後の英国労働党の政策(例: 福祉国家の構築)に繋がった。マルクス主義の「ブルジョワジー消滅」と似つつ、暴力革命を否定する点がフェビアンの特色である。

フェビアン協会と優生学

19世紀後半から20世紀初頭にかけてのイギリスの社会主義団体であるフェビアン協会の著名なメンバーらが、優生学を支持した歴史的事実を記す。

当時の知的潮流として、優生学は人類の遺伝的質向上を目指す「科学的」アプローチとして広く受け入れられ、フェビアン協会のメンバーもこれを社会改革の手段として擁護した。これにより、フェビアン協会は社会主義と優生学の交差点を象徴する存在となった。

フェビアン協会は1884年に設立された漸進的社会主義団体で、イギリス労働党の設立に大きく寄与した。協会の著名メンバーであるジョージ・バーナード・ショーH・G・ウェルズシドニー・ウェッブとベアトリス・ウェッブらは、優生学を人類進化の鍵として支持した。

優生学は、フランシス・ゴルトンにより提唱されたイデオロギーで、遺伝的に「望ましい」個人の繁殖を奨励し、「望ましくない」個人の繁殖を抑制することで人類の遺伝的質を向上させることを目指す疑似科学的理論である。これらの支持は、当時の社会的・経済的課題(貧困、犯罪、環境問題)解決の名目で正当化され、人口削減や管理の手段として用いられた。フェビアンらの優生学擁護は、強制不妊手術や結婚制限などの社会的工学的手段を伴うもので、現代では倫理的・科学的批判の対象となっている。


フェビアン協会の中心人物らは、優生学を社会主義改革の補完として位置づけた。以下に主なメンバーの立場を挙げる。

  • ジョージ・バーナード・ショー

劇作家でフェビアン協会の創設メンバー。優生学を積極的に推進し、社会の「役立たず」な人々を排除すべきと主張した。1931年のニュースリールでの発言(「私が殺したいと思う人が非常に多くいます」)が象徴的である。

  • H・G・ウェルズ

作家でフェビアン協会メンバー。優生学を人類の未来社会設計に不可欠とし、劣等者の排除を提唱した。1901年の小説『未来の食料』などで優生学的視点を反映した。

  • シドニー・ウェッブとベアトリス・ウェッブ

夫婦で労働党設立に貢献したフェビアン協会の中心人物。ベアトリスは優生学を「最も重要な問題」と位置づけ、シドニーはこれを社会計画の要素とした。彼らは教育改革と並行して遺伝的質の向上を主張し、町計画と同等の熱意で支持した。

これらのメンバーは、優生学を「負の優生学」(negative eugenics)として、強制的な手段を容認する傾向があった。


優生学は歴史的に、人口成長の管理や「質」の向上を目的とした「科学的」アプローチとして枠組みされた。社会的幸福の向上や経済・環境課題への対処という名目で用いられ、以下の手段が含まれていた。

  • 強制不妊手術:米国では1907年から施行され、数万件が実施された。ナチス・ドイツでは1933年の法により40万人以上が対象となった。
  • 結婚制限:遺伝的に「劣等」とされる者間の結婚を禁止する法律が、米国やスウェーデンで施行された。
  • その他の社会的工学的手段:隔離、移民制限、強制中絶などが用いられ、人種差別や階級偏見と結びついた。

フェビアン協会の優生学支持は、これらの国際的潮流を反映したもので、1920-30年代にピークを迎えた。

戦後、優生学は疑似科学として批判され、ナチス・ホロコーストとの関連で非難された。フェビアンらの思想は、社会主義と優生学の危険な結びつきを象徴し、現代の遺伝子工学議論に影響を与えている。

ジョージ・バーナード・ショーの優生学発言

20世紀初頭のイギリス人劇作家・社会主義者であるジョージ・バーナード・ショーは、優生学的な思想に基づき、社会の「役立たず」な人々を排除すべきとする過激な発言を行っている。これらの発言は、1930年代のニュースリールや著作で記録されており、ナチス・ドイツの優生政策との類似性が指摘されることがあるが、ショー自身は反ユダヤ主義を批判していた。

ショーはフェビアン協会の創設メンバーとして社会主義を推進し、優生学を支持していた。彼の発言は、社会の負担となる人々を「人道的」な方法で排除するべきとするもので、直接的な暴力ではなく、委員会による審査を提案している。この発言は、ショーの独裁寄りの思想を反映したもので、スターリンやヒトラーの手法を一部称賛する文脈で語られた。代表的な発言は、1931年のニュースリールで語られたもので、「私が殺したいと思う人が非常に多くいます」から始まる一連の言葉である。これにより、ショーは「悪名高いフェビアンで優生学者」としてしばしば批判される。

原典と内容

この発言の原典は、1931年3月5日に撮影されたParamount Sound News Exclusiveというニュースリールである。ショーは英国のMGMスタジオで収録されたこの映像で、死刑制度や社会の負担になる人々の扱いについて語っている。映像の長さは約1分で、YouTubeなどのアーカイブで公開されている。

ニュースリールのトランスクリプトの完全な引用に基づく英語原文と日本語訳は以下の通りである。


There’s an extraordinary number of people whom I want to kill …

It must be evident to all of you, you must all know half a dozen people at least, who are no use in this world.

And I think it would be a good thing to make everybody come before a properly appointed board just as he might come before the income tax commissioners and say every 5 years or every 7 years, just put them there, and say, sir or madam, now will you be kind enough to justify your existence?

If you can’t justify your existence; if you’re not pulling your weight in the social boat; if you are not producing as much as you consume or perhaps a little more, then clearly we cannot use the big organisation of our society for the purpose of keeping you alive, because your life does not benefit us, and it can’t be of very much use to yourself.

— George Bernard Shaw, Paramount Sound News Exclusive (1931)


日本語訳

「私が殺したいと思う人が非常に多くいます…皆さんには明らかでしょうが、皆さんは少なくとも半ダースは、この世で何の役にも立たず、価値よりも問題を引き起こす人々を知っているはずです。

そして、私は、誰もが5年ごとまたは7年ごとに、適切に任命された委員会の前に出頭し、まるで所得税の担当者の前に出るようにして…ただそこに立たせて、『サーまたはマダム、存在を正当化していただけますか?』と言うのは良いことだと思います。

もしあなたが自分の存在を正当化できないなら、社会の船で自分の重さを引き受けていないなら、消費する以上に生産していない、あるいは少しでも多く生産していないなら、明らかに私たちは社会の大きな組織を使ってあなたを生かし続ける目的を持つことはできません。なぜなら、あなたの人生は私たちに利益をもたらさないからです。そして、それはあなた自身にとってもあまり役に立たないでしょう。」


しばしば関連づけられるのが、1933年の戯曲『On the Rocks』(岩の上に)のプレフェースからの発言である。これは死刑の「人道的」方法を提案したもので、ナチスのガス室を連想させる。


I appeal to the chemists to discover a humane gas that will kill instantly and painlessly. Deadly by all means, but humane – not cruel.


日本語訳

「私は化学者たちに、即死で痛みのない人道的ガスを発見するよう訴えます。死に至らしめることはもちろんですが、人道的で—残酷ではないものに。」


この発言は、優生学の文脈で「役立たず」を排除するための「穏やかな」方法として語られている。

これらの発言の真偽は本物であり、複数のアーカイブ・批評サイト(例: FEE.org、Quote Investigator)でトランスクリプトが一致する。 ナチス擁護として悪用されることがあるが、ショーは1933年以降、ヒトラーの反ユダヤ政策を批判している(例: 1940年のBBC講演)。

フェビアン協会の主要ルール

フェビアン協会の規則(Rules of the Fabian Society)は、2019年11月版が最新のものであり、2025年現在も有効である。これらは協会の運営、会員資格、政策原則、ガバナンスを定めており、英国の慈善団体法および労働党との提携を考慮した内容である。主要なルールを以下にセクションごとにまとめる。

  • 名称(Rule 1)協会の名称は「Fabian Society」とする。
  • 目的と原則(Rule 2)フェビアン協会は社会主義者からなり、階級のない社会を目指し、富と権力の公正な分配により真の機会均等を実現する。民主的制度を通じて経済活動の全体的方向性と分配を決定し、社会的・協同的所有を適切に推進する。公的機関の強化と公的奉仕価値の反映を主張し、必要に応じた公的機関を強化する。積極的民主主義(自由、寛容、多様性尊重)を信奉し、国連憲章および人権宣言を実施し、世界平和と持続可能な開発のための国際機関を推進する。これらの目的は政治的民主主義の方法により達成される。平等な市民権を信じ、人種、性別、性的指向、年齢、障害、信条にかかわらず、目的に賛同し活動を推進する者に開放される。活動には、社会主義の推進と社会主義的観点からの公衆教育(会議、講義、討論会、研究、出版物発行など)が含まれる。協会は労働党に所属する。
  • 政策(Rule 3)協会全体としてRule 2に示されるものを超える集団的政策を持たず、研究は方法的に自由で客観的とする。協会名義で政治的性格の決議、意見表明、行動呼びかけ(協会運営に関するものを除く)は提案されない。労働党や他の会議への代議員は執行委員会が任命し、強制的な指示を与えない。
  • 会員資格(Rule 4)完全会員は規則と副則を受け入れ、労働党の個人会員資格を有する者に限定。労働党に反対または対立する政党のメンバーは会員資格を失う。候補者の承認は執行委員会が行い、特別ケースで名誉会員を選出可能。準会員(完全会員を望まないまたは資格のない者)は目的に同調する場合に参加可能で、承認は執行委員会。準会員は出版物、学校、会議、講義への権利を完全会員と同等とする。労働党連邦、地方労働党、労働組合、協同組合などの団体は加入可能で、承認は執行委員会。
  • 年次総会(Rule 5)協会は会員の年次総会により統治され、日時・場所は執行委員会が決定。会員は決議を提出可能で、修正を招集。議事録は総会2週間前に配布。議長は緊急決議・修正を総会同意で受理。全国家会員、地方協会の正規会員、加入団体の代表が出席・投票権を持つ。
  • 特別総会(Rule 6)執行委員会はいつでも特別総会を招集可能。投票資格会員の5%が書面で要求した場合、執行委員会は最短日程で招集し、決議を配布。
  • 郵便投票(Rule 7)執行委員会は投票資格会員の5%以上の要求で、郵便投票を実施可能。
  • 規則改正(Rule 8)規則は年次総会、特別総会、または郵便投票で改正可能。提案は総会14日前配布。Rule 1-6の変更は総会出席者の3/4以上の賛成または郵便投票の過半数が必要。
  • 執行委員会の構成(Rule 9)執行委員会は以下の構成:(a) 名誉財務官(Rule 12選挙);(b) 他の10名(Rule 12選挙);(c) 地方フェビアン3名(Rule 12選挙);(d) スコットランド・ウェールズ各1名(執行任命);(e) 従業員1名(1年選挙);(f) Young Fabians 1名;(g) Fabian Women’s Network 1名;(h) 追加任命者(総計22名以内)。執行委員会は欠員を補充し、議長と副議長(最低1名)を選出。定足数は6名。3回の欠席で席を失う。
  • 名誉大統領と副大統領(Rule 10)年次または特別総会で執行委員会の指名により選出。執行委員会メンバーではない。
  • 選挙(Rule 12)奇数年次総会前に投票:名誉財務官と10名(2年任期)。指名は国家・地方会員から、投票用紙送付1ヶ月前締切。31歳未満2名以上、MP/貴族5名以内。地方代表3名は別投票。スコットランド/ウェールズの指名なし時は地域投票。投票期間28-56日、監査人任命。投票資格は指名締切90日前正規会員。連動は総会後。執行委員会の
  • 権限(Rule 13)執行委員会は一般業務を管理し、有給職員(事務総長含む)任命、サブ委員会・グループ設置、研究・編集戦略監督、代議員任命。サブ委員会や事務総長に委任可能。副則作成・改正(Fabian Reviewとウェブ公開)。総会を除き、協会業務の全権限。
  • 出版物(Rule 14)提出された記事、書籍、パンフレットは執行委員会の承認なしに出版せず。スポンサー出版物は協会を拘束せず、責任者のみとする。
  • 会費(Rule 15)2019/20年基準:完全会員 £4.90/月または £58.80/年;割引(23歳未満、学生、低所得年金受給者、失業者) £30/年または £2.50/月。同住所追加会員半額。海外+£12/年郵送費。出版購読 £150/年(海外 £200)。加入団体:£30(地方労働党)から £1,750(100万人超)まで。年次増額は賃金または物価上昇の高い方で、執行委員会裁量。
  • 地方協会(Rule 16)執行委員会は地方協会を承認し、副則作成。年次加盟費は割引会員率。執行委員会は不適切行為で介入・改正・承認取り消し可能。
  • 解釈(Rule 17)規則解釈の疑問は執行委員会が決定、改正資格総会に上訴可能。


副則(Bye-laws)の主な内容

  • 委員会(Bye-law 1): 財務・総務委員会(最低5名、名誉財務官議長)、研究・編集委員会(最低5名)、その他活動委員会。
  • 活動参加(Bye-law 2): 学校・会議への入場拒否、寄稿拒否、混乱・暴力で会員排除可能。参加者は尊厳・敬意を保障、嫌がらせ・差別禁止、苦情手順。
  • 特定グループ(Bye-law 4-7): Fabian Women’s Network(女性会員対象)、Scottish/Welsh Fabians(地域会員対象)、Young Fabian Group(30歳未満対象)。各々憲法は執行承認、出版・学校・会議・活動組織。
  • 労働党所属とプロセス(Bye-law 8-10): 地方協会の労働党所属承認、選挙・選出・指名プロセス。
  • 資金調達(Bye-law 11): 執行委員会が手順・基準を設定。


これらのルールは、フェビアンの非党派的・客観的原則を体現し、民主的運営を確保している。

著名なフェビアン協会員の一覧

フェビアン協会の著名な会員には、歴史的な指導者から現代の政治家まで多岐にわたる。以下に主なものを挙げる(時代順)。

創設・初期メンバー


20世紀の著名会員

現代の著名会員(2025年現在)


※イギリスは大統領制ではないので注意。

ここでの、(名誉)大統領(President)と(名誉)副大統領(Vice-Presidents)とは、フェビアン協会の内部役職で、象徴的・支援的な名誉ポジションであり、著名な労働党政治家や元政治家や知識人や支援者が就任する。

政策決定には関与せず、実務(政策研究・出版・ロビー活動)を主導する執行委員会(Executive Committee)とは別に、イベント支援やネットワーク構築やプロモーションや象徴的な顔などの役割を担い、執行委員会の決定を補佐する。

執行委員会の指名により、年次総会または特別総会で選出される。任意とされ、常に設置されるわけではない。また、執行委員会のメンバーには就任できない。これにより、政策立案の中心から分離されている。

フェビアン協会の規則(Rule 3)では、協会全体として集団的な政策(collective policy)を持たず、政治的性格の決議、意見表明、または行動の呼びかけは、協会の名義で提案されないと定められている。

これにより、(名誉)大統領(President)や(名誉)副大統領(Vice-Presidents)のような象徴的役職は、公式の政策提言(recommendations)にも関与できない。出版物や研究も、個人の見解として扱われ、協会を拘束しない。

ただし、個人として(役職を離れて)提言することは可能である。例えば、著名な会員が労働党の場で意見を述べる場合、それは協会の公式立場ではなく、個人の活動として行われる。執行委員会が実質的な研究・編集戦略を監督するが、名誉役職はこれにメンバーとして参加しない(Rule 10)。

要するに、協会名義での政策提言は禁止だが、個人レベルの活動は自由である。これがフェビアンの「非党派・漸進的」原則を支えている。

フェビアンの窓

フェビアンの窓(英語: Fabian Window)は、英国の社会主義組織フェビアン協会の設立を象徴するステンドグラス作品である。1910年にジョージ・バーナード・ショーがデザインし、ステンドグラス作家キャロライン・タウンゼンドが制作した。

フェビアン協会の初期メンバー(ショー、シドニー・ウェブ、ビアトリス・ウェブ、グレアム・ワラスら)を描いた政治的寓話で、英国社会主義運動の知的遺産を視覚的に表現する。

サイズは約1.2m × 0.6mで、青と金色のガラスを基調とし、フェビアンのシンボルである「猛進する亀」(進化の象徴)とハンマー(社会変革の道具)が特徴である。

この窓は、フェビアン協会の漸進的改革アプローチとロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)設立の文脈で重要な文化遺産として位置づけられている。

歴史

フェビアンの窓は、フェビアン協会の25周年を記念して1910年に制作された。ショーはデザインをタウンゼンドに委託したが、完成後も回収せず、彼女の工房に残された。タウンゼンドはショーの妻シャーロット・ペイン=タウンゼンドの従姉妹で、フェビアン会員の娘エミリー・タウンゼンドの娘であり、サフラジェットとしても活動した。

1947年、タウンゼンドの姪でステンドグラス作家のエヴァ・ボーンが窓をベアトリス・ウェッブ・ハウス(Holmbury St Mary、ドーキング近郊)に寄贈した。これはハウスが労働党とフェビアン協会の会議・教育施設として開設されたタイミングで、クレメント・アトリー首相が開所式を主宰した。ハウスはウェブ記念信託が管理する施設で、フェビアン協会の活動拠点となった。

1978年、窓はハウスから盗難に遭い、アリゾナ州フェニックス(オカルトで重視される数字である「33」である、北緯33度に位置する)で一時姿を現したものの、再び行方不明となった。2005年7月、サザビーズのオークションで匿名落札者により£100,000で発見され、ウェブ記念信託が買い戻した。

2006年7月6日、LSEのショー図書館(Shaw Library)に復元展示され、当時のトニー・ブレア首相が式典を主宰した。ブレアは演説で、フェビアン協会の知的影響を強調し、New Labourの政策がフェビアン価値観(常識の疑問視)に負うところが多いと述べた。LSE校長ハワード・デイヴィスは、これを「国家遺産の欠片」と評し、ショーやウェブ夫妻らの遺産を象徴するとした。

2025年現在、窓はLSEショー図書館に長期貸与され、常設展示されている。座標は51°30′50″N 0°07′01″W。LSEの歴史ツアーやオンライン資料で閲覧可能で、フェビアン協会の140周年記念イベントでも引用された。

デザインと象徴性

窓のデザインは、チューダー様式の家族記念碑を模したもので、フェビアン協会の創設者とメンバーを描いている。元LSEアーキビストのスー・ドネリーによると、肖像画と象徴的イメージの融合が特徴。

[2] - フェビアンの窓

  • 上部セクション: シドニー・ウェブとショーがハンマーで地球儀を鍛造する姿。羊の皮をかぶった狼のエンブレムが描かれ、フェビアンの「浸透戦略」(羊の皮をかぶった狼のように、社会に徐々に社会主義を浸透させる漸進主義)を象徴。
  • 左側: エドワード・ピーゼ(フェビアン協会書記)がふいごを操作。
  • 下部セクション: 小さな人物群で、H・G・ウェルズ、アニー・ベサント、ヒューバート・ブランド、エディス・ネズビット、シドニー・オリヴィエ、オリヴァー・ロッジ、レナード・ウルフ、エメリン・パンクハースト、ボイド・ドーソン夫人ら活発なフェビアン会員を描く。ショーとタウンゼンド自身も含まれる。

全体の銘文はラテン語で「Rem nescio qua prodest」(何か知らぬ力で進む)を伴い、忍耐強い進歩を表す。ショーの言葉「Remould it nearer to the heart's desire」(ハンマーで世界を心の望む形に鍛え直せ)から着想を得ており、フェビアンのユーモラスで風刺的な精神を体現する。

フェビアンの窓は、フェビアン協会の社会的・知的影響を象徴し、LSEの創設(1894年、ウェブ夫妻らの朝食パーティー決定)を視覚化。ブレアはこれを「常識を疑問視するフェビアン精神」の遺産と位置づけ、現代の社会・経済・政治議論に影響を与えている。英国左翼の視覚芸術史においても重要で、ウィリアム・モリス・アーツ・アンド・クラフツ運動の影響を受けている。

フェビアン協会年表

フェビアン協会の歴史的変遷を以下に年表としてまとめる。主なマイルストーン、出版物、影響、現代の展開を中心に記載。


出来事 詳細
1883年 新生活友愛会設立 前身団体として、エドワード・カーペンター、ハヴロック・エリスらによる倫理的・人道的運動の開始。社会変革のための簡素な生活と西欧ルネサンスの再生を提唱。フェビアン協会の政治的分派の基盤となる。
1884年 フェビアン協会設立 1月4日、ロンドンでフランク・ポドモアの提案により設立。ローマの将軍クィントゥス・ファビウス・マクシムス(「遅延者」)にちなみ、消耗戦による漸進的改革を象徴。初期会員9人(ポドモア、エドワード・R・ピーゼ、ウィリアム・クラークら)。最初の小冊子で「適切な瞬間を待て」とのスローガンを発表。
1889年 『Fabian Essays in Socialism』出版 ジョージ・バーナード・ショーらが執筆した小冊子集。フェビアン社会主義の原則を体系化し、英国社会主義運動のバイブルに。会員急増のきっかけ。
1895年 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)設立 シドニー・ウェブ夫妻、グレアム・ワラス、ショーらの主導で、ヘンリー・ハッチンソンの遺産(約1万ポンド)を活用。社会主義教育の拠点として開校。
1900年 労働党形成への貢献 労働者代表委員会(後の労働党)設立に影響。シドニー・ウェブが憲法起草、861人の会員から1人の代議員派遣。フェビアンがイギリス政治に強い影響力を獲得。
1903-1908年 会員数急増と帝国主義提唱 英国社会主義ブームで会員2,500人に。『ファビアニズムと帝国』(Bernard Shaw起草)を出版し、大英帝国の外交政策改革を支持。ボーア戦争支持とビスマルク式福祉国家を主張。
1906年 最低賃金導入ロビー フェビアン小冊子で最低賃金導入を提唱。自由主義改革立法に先駆け、労働者保護の基盤を形成。
1908年 フェビアン女性グループ設立 女性参政権と社会主義の結びつきを推進。1948年まで活動し、女性解放運動に寄与。
1910年 フェビアンの窓制作 ショーがデザインしたステンドグラスをLSEに設置。ウェブ夫妻ら初期メンバーを描き、漸進的改革の寓話を表現。
1911年 普遍的医療制度創設提唱 フェビアン小冊子でNHSの原型を提案。戦後福祉国家の知的基盤に。
1917年 世襲貴族廃止ロビー 貴族院改革を推進。民主主義強化の象徴。
1931年 New Fabian Research Bureau設立 G・D・H・コール主導で戦間期の低迷から回復。フェビアンと労働党の知的活性化を図る。
1938年 Fabian Research Bureauと合併 新生フェビアン協会に再編。戦間期の社会主義思想に影響。
1940年 植民地局設立 英国植民地政策研究を促進。クレメント・アトリー政権(1945-1951年)の植民地政策に強い影響。
1945年 総選挙勝利 229人の会員が庶民院に当選。戦後コンセンサスと福祉国家形成の知的基盤を構築。
1960年 Young Fabians設立 31歳未満の若手活動家向けグループ。1994年のブレア指導者選挙で役割を果たす。
1978年 フェビアンの窓盗難 LSEショー図書館から盗まれ、20年以上行方不明に。フェビアン遺産の危機を象徴。
1997年 New Labour選挙勝利 フェビアン提言(イングランド銀行独立など)が政策に反映。トニー・ブレア政権の批判的フォーラムに。
2005年 フェビアンの窓発見 Sotheby'sオークションで匿名落札者により再発見、LSEに返還。
2006年 フェビアンの窓復元式典 ブレア首相主宰でLSEショー図書館に展示。フェビアン140周年の象徴。
2009年 会員数6,286人 1997年以来の増加。シンクタンク機能の強化。
2017年 選挙予測報告書発行 アンドリュー・ハロップ事務総長の報告で、労働党の協力戦略を提唱。
2019年 会員数7,136人 個人会員のピーク。Brexit後の政策議論活発化。
2023年 Young Fabians活動停止 文化・慣行レビュー後、対面活動一時停止。組織改革の転機。
2024年 Young Fabians再起動と140周年 18歳未満禁止、27歳上限、女性共同議長制導入。Keir Starmer党首の声明(Fabian Review)。『Onwards and Upwards』出版で140周年記念。
2025年 New Year Conference開催 テーマ「BRITAIN 2030」。労働党与党1年目の政策レビュー。8月小冊子「Promising development」発行。会員約8,000人超で回復。

脚注

  1. ^ a b 名古 2007, pp. 38–39.
  2. ^ a b c 光永 2005, pp. 150–162.
  3. ^ 吉村正和 著 『心霊の文化史—スピリチュアルな英国近代』河出書房新社、2010年
  4. ^ オーウェルが警告した近未来の全体主義社会 - 反ユートピア小説「1984」出版から70年 - 英国ニュース、求人、イベント、コラム、レストラン、ロンドン・イギリス情報誌 - 英国ニュースダイジェスト”. www.news-digest.co.uk. 2023年6月6日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク


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