フィニの作品世界
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 17:14 UTC 版)
「レオノール・フィニ」の記事における「フィニの作品世界」の解説
フィニの作品世界は、そのエロティックな幻想性においてシュルレアリスムとの類似をしばしば指摘されるが、実はきわめて多くの古典的作品にその着想源を持っている。ピエロ・デッラ・フランチェスカ、フェラーラ派、マニエリズム絵画、そしてラファエル前派など。その他フュースリー、ウィリアム・ブレイクなど北方の画家たちとも多くの主題を共有する。 彼女の絵の多くは、挑発的にこちらを見据える強く美しい女性を描いている(その多くは彼女自身と同一視されるが、他の女性を描く場合にもそれは共通している)。一方、多くの男性像は目を伏せ、あるいはまどろみの中にあり、受動的で男性的権威をまったく感じさせないものが多い。たとえば男性の肖像画の多くがそうであるように、ジャン・ジュネの肖像も困惑したような瞳に深い憂いをたたえている。 コクトーやアルベルト・サヴィニオが彼女に捧げた文章中で述べているように、フィニの作品は植物・動物・人間といった種を越えた混交(ハイブリッド)や変身(メタモルフォーズ)、現世と異界間の越境などが特徴的である。また彼女の作品には分身やダブル・イメージが頻繁に登場するが、これも混交(ハイブリッド)のテーマ同様、幾つもの顔を持つ自己充足的な主体としての女を描くものと考えられる。フィニは「スフィンクスの画家」としてつとに有名であるが、スフィンクスのように混交(ハイブリッド)的な存在、多くの相貌を持つ存在は、フィニそのものである。 1950年代には儀式やイニシエーションの中で、巫女や女司祭のような女性たちが多く描かれる。魔女、残忍な女の姿もフィニの作品にはこと欠かない。1957年ヴァカンスで毎年訪れるコルシカでダイヴィングの楽しみを発見してから、すべらかな表面からざらざらとした表面へとテクニックが変化した時期は「鉱物の時代」と呼ばれる。同じコルシカで1964年住居としていた修道院の前に花を植えた頃から、花々やパステルカラーの明るい色彩や少女たちを描く「明るい時代」が始まる。一見したところ花に包まれた無垢な少女たちの世界を描いているように見えるこれらの作品には批判も多かったが、フィニによればそこには「儀式」や「神話」が描かれ、実は明るさとは裏腹にアイロニーに満ちているのである。この時期、子供たちの遊戯に潜むエロスや残酷さも描く一連の絵が制作された。 1980年代には、互いを拘束し合う女たちを描く一連の作品、猫を思わせる四つん這いで歩く擬人化された存在、ユーモラスともグロテスクとも言える演劇的シーン、グワッシュの「顔」のシリーズなどを描いた。トリエステで思春期にモルグに通い詰め死体を観察したフィニは、エロスとタナトスの狭間にある美しい死体を描いてきた。人物は時にその美しい白い骨を露出し、動物の頭蓋骨や骨は再生のシンボルのように描かれた。しかし1990年以降、フィニの絵に登場する奇怪でグロテスクな姿の異界の存在は、ひっそりと忍び寄る死をかつてのように甘美な姿ではなく、よりアイロカルに描いたものかもしれない。 あらゆるもののヒエラルキーを打ち砕こうとしたフィニにとっては舞台芸術も、小説も仮面作りもすべてが自己表現の手段であった。奴隷のようにたった一つのことをやるのは性に合わないとフィニは言っており、絵画作品のテクニックもエッチング・デッサン・水彩・油彩など様々なジャンルにまたがっている。幼い時にノートを落書きで満たしたように、電話をかけながらカラー・マーカーで住所録の余白を色とりどりの猫やオブジェで埋めていたという。フィニ自身の言葉によると、彼女が描く絵はすべて、自己確認のための魔法の自伝であり、遊びの感覚に満ちたものなのだ。
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