バブル崩壊後の経済政策
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「バブル崩壊」の記事における「バブル崩壊後の経済政策」の解説
経済専門のクラウドソース・コンテンツ『Seeking Alpha』は、日本の低迷の主要因はバブル崩壊であり、政府・銀行の対応の遅さがデフレーションにつながったと指摘している。 経済学者の野口旭、田中秀臣は「日本の長期停滞の真の原因は、バブル崩壊後の資産デフレを起因とした、マクロ的な総供給に対する総需要の恒常的な不足である」と指摘している。 景気対策として、日本銀行は公定歩合を引き下げ(2001年9月には0.1%)、政府も度重なる財政出動(総額100兆円)を行ったが効果はなかった。 1991年度版、1992年度版の『経済白書』は、株価・地価の暴落が景気に及ぼす効果は小さいと分析していた。 1992年に来日したアラン・グリーンスパンFRB議長は「資産価格の変動は、金融システムに大きな影響をもたらす。対策は早いほうがいい」と述べていた。 ミルトン・フリードマンは「日銀は急ブレーキをかけすぎた。金利を引き上げ、通貨供給量の伸びを急激に抑え、深刻な景気後退を引き起こしてしまった。日銀は誤りを正すのが遅く、リセッションを長引かせ深刻なものにさせてしまった」と指摘している。 高尾義一は「資産価格の上下の状況変化を読めず、政策が後出に回った」と指摘している。翁邦雄は「地価が下がりすぎると金融システムに不安が生じることが明確に理解されていれば、大胆な緩和をしたほうがよいと判断されたはずである。緩和するテンポが遅くはなかったが、金融危機を警戒していなかった分、普通の緩和しかできなかった。ただ、当時の社会的雰囲気の中では、金融システムの問題がわかっていたとしてもリアルタイムで大胆な緩和の判断を下すのは難しかったであろう」と指摘している。 経済学者の竹中平蔵は「日本の1992年〜1994年の現実の成長率は0%台であったが、バブル崩壊後の当時の政府見通しは2%半ばから3%半ばという高い数字を掲げ続けていた。当時の政府は明らかにバブル崩壊(資産デフレ)の負の影響を過小評価していた」と指摘している。 田中秀臣は「大蔵省(財務省)・日本銀行の両政策当事者の協調政策は、1990年代以降機能していなかった。1996年〜1998年の橋本龍太郎政権では緊縮財政とゼロ金利政策、その後の森喜朗政権では財政政策の拡大とゼロ金利政策の解除であった」と指摘している。田中は「バブル崩壊以降の日銀は金融を引き締め続けた」「バブル崩壊後の持続的な金融引き締めスタンスが原因で、人々にデフレ期待が定着してしまった」と指摘している。 経済学者の原田泰は「現実に採用された政策は、株価の買い支えや土地の買い上げ、地価税の凍結などである」と指摘している。 銀行など金融機関の不良債権問題が深刻となって以降は、早期に財政資金を投入して破綻した金融機関の救済を行うべきであったと考えられている。しかし、この問題でも、住専処理に6,850億円の資金を投入するという日本国政府の1996年度予算案に対して、マスコミなどは、金融機関に失敗の責任を取らせずに救済のために税金を投入すべきではないなど強く反発することとなり、国会も混乱した。後から数十兆円の資金が投入されることになったことを考えれば、早期に公的資金の注入ができれば問題の拡大を抑制でき、結局は国民の負担も少なくて済んだのではないかという見方も多い。 原田泰は、 公的資金を投入することに本当に世論の反発はあったのか 早期に公的資金を投入していれば本当に失われた10年にならずにすんだのか 世論の反発を避けて金融機関を救済したかったのなら、なぜ金融緩和という簡単な方法を採用しなかったのか という3つの疑問点があるとしている。 バブル崩壊後の低迷からの脱却局面では、景気の回復傾向がみられた際に、財政・金融による景気刺激的政策から、景気抑制的政策への転換を早く行いすぎるという失敗を繰り返した。 1度目の失敗は、財政政策の失敗である。1993年10月を底に景気は回復する。日本国政府は財政赤字の縮小を急ぎ、1997年4月から消費税率を2%引上げ、2兆円の特別減税を廃止、医療費自己負担増など、約9兆円の負担増を実施した。ところが、同年にはアジア通貨危機が発生したことや、年末には金融機関の経営破綻が続いたことなどから、景気は極端に悪化することになった。 2度目の失敗は、金融政策の失敗である。アジア通貨危機の混乱が収まると、1999年1月を底に景気は回復しはじめ、日銀は政府の反対を押し切って2000年8月にゼロ金利政策を解除した。しかし、米国でITバブルが崩壊すると、輸出の鈍化から2000年11月をピークに、景気は急速に悪化し、2001年3月には、再び実質的にゼロ金利政策に戻らざるを得なくなった。同時により金融緩和的な量的金融緩和政策の導入を余儀なくされた。
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