バブル崩壊後の経済政策とは? わかりやすく解説

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バブル崩壊後の経済政策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:02 UTC 版)

バブル崩壊」の記事における「バブル崩壊後の経済政策」の解説

経済専門のクラウドソース・コンテンツ『Seeking Alpha』は、日本低迷の主要因バブル崩壊であり、政府銀行の対応の遅さデフレーションつながった指摘している。 経済学者野口旭田中秀臣は「日本長期停滞真の原因は、バブル崩壊後資産デフレ起因とした、マクロ的な総供給対す総需要恒常的な不足である」と指摘している。 景気対策として、日本銀行公定歩合引き下げ2001年9月には0.1%)、政府度重なる財政出動総額100兆円)を行った効果はなかった。 1991年度版、1992年度版の『経済白書』は、株価地価暴落景気に及ぼす効果小さいと分析していた。 1992年来日したアラン・グリーンスパンFRB議長は「資産価格変動は、金融システム大きな影響もたらす対策早いほうがいい」と述べていた。 ミルトン・フリードマンは「日銀急ブレーキをかけすぎた。金利引き上げ通貨供給量伸び急激に抑え深刻な景気後退引き起こしてしまった。日銀誤り正すのが遅くリセッションを長引かせ深刻なものにさせてしまった」と指摘している。 高尾義一は「資産価格の上下の状況変化読めず、政策後出回った」と指摘している。翁邦雄は「地価が下がりすぎると金システムに不安が生じることが明確に理解されていれば大胆な緩和をしたほうがよいと判断されたはずである。緩和するテンポ遅くはなかったが、金融危機警戒していなかった分、普通の緩和しかできなかった。ただ、当時の社会雰囲気の中では、金融システム問題わかっていたとしてもリアルタイム大胆な緩和判断下すのは難しかったであろう」と指摘している。 経済学者竹中平蔵は「日本1992年1994年現実成長率は0%台であったが、バブル崩壊後当時政府見通し2%半ばから3%半ばという高い数字掲げ続けていた。当時政府明らかにバブル崩壊資産デフレ)の負の影響過小評価していた」と指摘している。 田中秀臣は「大蔵省財務省)・日本銀行の両政策当事者協調政策は、1990年代以降機能していなかった。1996年1998年橋本龍太郎政権では緊縮財政ゼロ金利政策その後森喜朗政権では財政政策拡大ゼロ金利政策解除であった」と指摘している。田中は「バブル崩壊以降日銀金融引き締め続けた」「バブル崩壊後持続的な金融引き締めスタンス原因で、人々デフレ期待定着してしまった」と指摘している。 経済学者原田泰は「現実採用され政策は、株価買い支え土地買い上げ地価税凍結などである」と指摘している。 銀行など金融機関不良債権問題が深刻となって以降は、早期財政資金投入して破綻した金融機関救済を行うべきであった考えられている。しかし、この問題でも、住専理に6,850億円の資金投入するという日本国政府1996年度予算案に対してマスコミなどは、金融機関失敗責任取らせずに救済のために税金投入すべきではないなど強く反発することとなり、国会混乱した。後から数十兆円の資金投入されることになったことを考えれば早期公的資金の注入できれば問題の拡大抑制でき、結局は国民負担少なくて済んだではないかという見方も多い。 原田泰は、 公的資金投入することに本当に世論反発はあったのか 早期公的資金投入していれば本当に失われた10年にならずにすんだのか 世論反発避けて金融機関救済したかったのなら、なぜ金融緩和という簡単な方法採用しなかったのか という3つの疑問点があるとしている。 バブル崩壊後低迷からの脱却局面では、景気回復傾向がみられた際に、財政・金融による景気刺激的政策から、景気抑制的政策への転換早く行いすぎるという失敗繰り返した1度目失敗は、財政政策失敗である。1993年10月を底に景気回復する日本国政府財政赤字の縮小急ぎ1997年4月から消費税率2%引上げ、2兆円の特別減税廃止医療費自己負担増など、約9兆円の負担増を実施した。ところが、同年にはアジア通貨危機発生したことや、年末には金融機関経営破綻続いたことなどから、景気極端に悪化することになった2度目失敗は、金融政策失敗である。アジア通貨危機混乱が収まると、1999年1月を底に景気回復しはじめ、日銀政府反対押し切って2000年8月ゼロ金利政策解除した。しかし、米国ITバブル崩壊すると、輸出鈍化から2000年11月ピークに、景気急速に悪化し2001年3月には、再び実質的にゼロ金利政策に戻らざるを得なくなった同時により金緩和的な量的金融緩和政策導入余儀なくされた。

※この「バブル崩壊後の経済政策」の解説は、「バブル崩壊」の解説の一部です。
「バブル崩壊後の経済政策」を含む「バブル崩壊」の記事については、「バブル崩壊」の概要を参照ください。

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