財政赤字の縮小
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 05:41 UTC 版)
「アリー・アブドゥッラー・サーレハの政策」の記事における「財政赤字の縮小」の解説
サーレハ政権は、慢性的な財政赤字を縮小させるために以下の三つの政策を実行した。第一にIMF・世銀の要求に応じ、1994~1995年の時点で年間4億ドルとされていた補助金の削減に踏み切り、水道料金、ガソリン、小麦・砂糖などの基礎食料品、国内線・国際線の航空運賃など幅広い分野に対する補助金をカットした。同時に削減への不満を抑えるため、低所得公務員や軍人の給与引き上げも発表した。 第二にサーレハ政権が着手したのはインフレ対策である。当時年率80%とも言われたインフレを抑えるため、中央銀行に預金金利の引き上げ(3か月の金利を9%から22%へ)を実行させるとともに、建国後初となる国債の発行をおこなった。 第三に公務員・軍人数の削減を実施した。イエメンの1995年予算のうち、歳出の約64%を公務員・軍人・教員の人件費が占めており、これらの人員整理を行うことは急務であった。しかし、1990年の湾岸危機の際にサウジアラビアから推定120万人に及ぶ失業中の出稼ぎ労働者が帰国しており、公務員の削減は元々高かった失業率に拍車をかける恐れがあった。またアデンをはじめとする南部では、南北統一後も政府・公共部門以外の就職先はほとんど存在せず、公務員削減は南部の人々の対サナア感情を一層悪化させる懸念もあった。しかし、南部では86,000人規模で公務員や軍人が解雇され、この解雇は南部分離運動が結成される原因となった。
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