バブル崩壊後の南銀座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/08 04:54 UTC 版)
平成に入り、バブル崩壊の影響、旧態依然とした古くて汚い「飲み屋街」イメージや一部の路地裏が蔑称で「小便横町」と呼ばれる等の暗いイメージ、また、西口の再開発等が相まって、南銀座通りもしばし低迷が続き、衰退が懸念されたが、1993年(平成5年)にこの南銀座通りの中央付近に、それまでの南銀座の暗い「飲み屋街」のダーティーなイメージを払拭するような「日本建築学会賞」多数入選の若手建築家集団「シーラカンス」デザインによるモダンなテナントビル「アイスビル」が完成したことで、それまでの「夜と酒と女」で稼ぐという高利益率に比重を置いた商売から、「料理」や女性でも安心して利用できる健全な「雰囲気」を売りにした「薄利多売」の和洋飲食店が多数登場するようになった。これらにより、新たに会社帰りの一般サラリーマンやOL、学生等の客層の増加、及び同客層帯による歓送迎会等のニーズ等のビジネス機会も増え、現在ではコンビニ店、全国チェーンの牛丼店やマスコミで話題のラーメン店、その他有名飲食店なども、南銀座通りに軒を連ねていった。尚、昭和からあった老舗映画館は2000年代に開業した大宮サティやコクーン新都心等のシネマコンプレックスに客を奪われる形でいずれも廃業し、県外資本の飲食チェーン店等に入れ替わっていった。区域入り口付近にあった家電量販店「さくらや」が2010年(平成22年)に撤退し、店舗はカラオケ店となった。
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