バブル崩壊後のミシシッピ会社
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「ミシシッピ計画」の記事における「バブル崩壊後のミシシッピ会社」の解説
ジョン・ローのミシシッピ会社は1721年に倒産した。 そして、組織を再編し、1722年に事業を再開した。1723年、再開した会社はルイ15世から新たに特権を与えられた。 主な特権は、タバコやコーヒーの専売権や、国発行の宝くじを催行する権利である。この会社に関して金融市場は再び賑わいをみせ、株価や社債は値上がりし、自己資本は膨れ上がった。 1726年から1746年にかけて、国外貿易事業と国内事業が繁盛した。これによって、主要港であるロリアンをはじめとして、ボルドー、ナント、マルセイユなどの港湾都市も栄えた。この時期に西半球に関する貿易権は失ったが、東側との貿易事業は繁栄を続けた。 この時期の貿易品目は、中国からの陶磁器、壁紙、漆、茶、中国やインドからの絹織物、モカ(イエメン)からのコーヒー、マヘ(インド)からのコショウ、西アフリカからの金、象牙、奴隷などがあった。 1746年以降、フランス政府の公共事業拡大路線は会社に負担を与えるようになり、七年戦争(1756年-1763年)が特に大きな打撃となった。 1770年2月、同社に対し、当時3千万リーブルに及んだ全資産と権利を国家に譲渡する命令が下った。 なお、国王は会社の全負債の返済と利息の支払いを約束した。同社は1770年に解散し、弁済は1790年代まで引き継がれた。
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