トロイア戦争以前
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「ディオメーデース」の記事における「トロイア戦争以前」の解説
父のテューデウスは叔父のアグリオスの迫害から逃れるためにカリュドーンを去りアルゴスに逃げ、アドラーストスの娘デイピューレーと結婚した。それゆえディオメーデースの系譜は父方ではアイトーリア人、母方ではアルゴス人であった。 テューデウスはテーバイ攻めの七将の一人であったが、この企ては失敗し、アドラーストス以外の、テューデウスを含む全ての将は戦死した。この時ディオメーデースは4歳だった。葬式の際に息子たちは出会い、いつかテーバイを侵略することを誓った。そして自らエピノゴイと呼んだ。そして10年後にテーバイを再び攻撃し、侵略は成功した。ディオメーデースはこの時15歳の若さにして最も武勇に優れていたという。侵略後テーバイの民はテイレシアースの助言に従い逃亡し、エピノゴイは略奪品により祖国を潤した。テーバイはテルサンドロスが支配した。 アルゴス王のアドラーストスは、息子のアイギアレウスが戦死したことを知ると、悲しみのあまり自らも死んだ。アイギアレウスは、テューデウスの娘(すなわちディオメーデースの姉妹)のコマイトーと結婚していた。それでディオメーデースは、テーバイ攻めから帰還後、アイギアレウスの娘のアイギアレイアと結婚した。これにより彼はアルゴスの王に任命され、若くしてギリシアで最も権力のある支配者の一人となった。 ディオメーデースは5年以上に渡りアルゴスを支配し、多くの富と安定を町にもたらした。彼は優秀な政治家で、他の支配者からも大きな尊敬を集めていた。また、父の故郷であるカリュドーンの動向にも目を光らせていた。そこでディオメーデースの祖父のオイネウスが、テルシーテースら率いるアグリオスの息子たちの手で牢獄に入れられ、アグリオスに玉座を奪わせた事件があったが、ディオメーデースはオイネウスに権力を取り戻させることを決意した。 ディオメーデースはカリュドーンを攻撃し、テルシーテースとペロポネソス半島に逃げたオンケーストスを除く全ての売国奴を殺した。その時アグリオスも自害し、オイネウスに支配権が復活した。その後オイネウスは王国を義理の息子のアンドライモーンに渡し、ディオメーデースに会いにアルゴスに向かったが、その途中でテルシーテースとオンケーストスによって暗殺された。ディオメーデースは暗殺者を発見することは出来なかったので、オイノエーと呼ばれる町を祖父が埋められた地に建設し、祖父の名誉を讃えた。 その後ディオメーデースはトロイア戦争でアカイア勢としてテルシーテースと一緒だったが、ディオメーデースは高潔な性格のため、彼を無碍に扱うことはなかった。しかしテルシーテースはアカイア勢すべてに嫌われていた。実際、アキレウスがペンテシレイアの亡骸に対し慟哭しているのをテルシーテースは嘲笑ったのでアキレウスにより残忍な方法で殺されたのだが、ディオメーデースだけがアキレウスを罰することを望んだのであった。
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トロイア戦争以前
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誕生時にイタケーを訪れていた母方の祖父アウトリュコスが孫への命名を頼まれ、 「自分は今まで多くの人間に憎まれてきた(オデュッサメノス)ので、憎まれ者(オデュッセウス)がよい」と名付けたという。 この命名の逸話自体は『オデュッセイア』作中の第19歌で語られるところであるが、考証学上は「オデュッセウス」の語源はギリシャ語ではなく、インド・ヨーロッパ語族以外の異民族言語によるものと考察され、ホメロスの時代までにギリシャ語の似た言葉にあわせて逸話がつくりあげられたと推測されている。 テュンダレオースの娘ヘレネーの結婚に際してギリシア中から多くの求婚者が集まったが、テュンダレオースは誰が選ばれても残りの男たちの恨みを買うだろうと恐れた。そこでオデュッセウスはテュンダレオースに妙案を授ける代わりに、ヘレネーの従姉妹で付き添いをしていたペーネロペーとの結婚を取り持って欲しいと提案した。テュンダレオースは承諾し、オデュッセウスの案に従い「誰が選ばれても、夫となったものが困難に陥ったならば求婚者全員で助ける」という誓いが結ばれた。テュンダレオースは約束通りオデュッセウスの結婚に協力し、オデュッセウスはペーネロペーと結婚することができた。 ヘレネーがパリスに連れ去られたことで、メネラオスはかつての求婚者たちに誓いに基づき、彼女を奪還するのに協力するよう求めた。オデュッセウスは戦への参加を厭い、狂気を装った。神託が予言するには、もし戦に出たならば、故郷に帰るのはずっと後になるということだったからである。オデュッセウスは、ロバと雄牛に鋤を引かせ(歩幅が異なるので鋤の効率が悪くなる)、地に塩を蒔いた。パラメーデースは、アガメムノンの要請により、オデュッセウスの狂気を明かそうとして、鋤の正面にオデュッセウスの幼い息子テーレマコスを置くと、オデュッセウスの鋤は息子を避けたので、狂気の扮装は暴露された。それゆえ、オデュッセウスは、故郷から引き離される原因となったパラメーデースを戦争中も憎んだ。 オデュッセウスと他のアガメムノンの使節は、スキュロスに赴き、アキレウスを仲間に加えようと望んだ。というのも、彼を欠いては、トロイアは陥落しないと予言されていたからである。しかし、アキレウスの母テティスは、アキレウスを女装させ、アカイア勢の目を逃れようとしていた。なぜなら、神託によると、アキレウスは、平穏無事に長生きするか、もしくは永遠の名声を得る代わりに若くして死ぬかのいずれかであると予言されていたからである。 しかし、オデュッセウスは、前に立つ女性たちの誰がアキレウスなのかを見出すことに成功した。他の女性は装飾品にしか目を向けなかったものの、アキレウスだけ武器に興味を示したからである。さらに、オデュッセウスは、戦のホルンを鳴らし、アキレウスが武器を握りしめて戦士としての本来の性格を見せるのを鼓舞した。アキレウスの扮装もまた暴露されたので、アガメムノンらのアカイア勢に参加することになった。
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