歴史的事実との関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 16:40 UTC 版)
「アルゴナウタイ」の記事における「歴史的事実との関連」の解説
アルゴナウタイの航海について、イギリスの詩人・神話研究家ロバート・グレーヴスは、その著書『ギリシア神話』で以下の3つの物語や歴史的事実が集成、混合されたものだとする。 他国の王子が王女との結婚によって王位継承者となるため、王から課せられた試練を乗り越える神話。イオールコスおよびコリントスで広まった。 イオールコスから出発したオルコメノス人たちによる海上遠征。その遠征先は、東方ではなくアドリア海の奥であり、ポー川の下流マントヴァからほど近いコリカリアの地名が後にコルキスと混同された。コリカリアは当時琥珀交易の中継地だった。おそらくはプリクソスの息子キュティッソーロスが遠征隊を率いたものと思われる。彼は、プリクソスの脱出が引き起こした旱魃と疫病を食い止め、イアーソーン(癒す者)の名で呼ばれた。ホメーロスの『オデュッセイア』(紀元前8世紀ごろ成立)第12書でキルケーがアルゴナウタイについて物語る部分では、「浮き岩」(後のシュムプレーガデスの岩につながる)がセイレーンの島やスキュラ、カリュブディスと同じくシシリア島近辺にあり、東方経路については触れていない。また、ヘーロドトスやピンダロス(紀元前6世紀 - 紀元前5世紀)のころでもアルゴナウタイの航海経路はさまざまで定説はなかった。 上記とは別のミニュアース人による黒海南岸での初期の海賊行為。コルキスを流れるパーシス河(現在のリオニ川)では、河床に羊の皮を置いて砂金を採集していた。この遠征は、当時ヘレースポントスを押さえ黒海の交易を独占していたトロイア(第6市)への挑戦の意味があり、ヘーラクレースが指揮を執ったとも考えられる(ヘラクレスによるイリオス攻めを参照)。ギリシアのどの都市も、黒海における自国の交易権を主張するために、代表者としてのアルゴナウテースを必要としたのであり、吟遊詩人たちは、集成されたバラッドに一、二名の新しい名前を喜んで付け加えた。こうして幾通りものアルゴナウタイの名簿が残ることになった。以上の航海は、トロイア戦争以前の紀元前13世紀ごろに起こったものであるとしている。
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