ディオメーデース
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ディオメーデース(古希: Διομήδης, Diomēdēs)は、ギリシア神話に登場する英雄でティーリュンスの領主である。長母音を省略してディオメデスとも表記される。
概要

父はテューデウス、母はデーイピュレー。妻はアイギアレイア[1]。エピゴノイの1人であり、トロイア戦争においてもギリシア勢として参加し、しばしばオデュッセウスと組み、アテーナーの加護を受けて活躍した。『イーリアス』では、アキレウスには劣るものの、大アイアースに並ぶ最も優れたギリシア勢の戦士とされている。
トロイア戦争以前
父のテューデウスは叔父のアグリオスの迫害から逃れるためにカリュドーンを去りアルゴスに逃げ、アドラーストスの娘デイピューレーと結婚した。それゆえディオメーデースの系譜は父方ではアイトーリア人、母方ではアルゴス人であった。
テューデウスはテーバイ攻めの七将の一人であったが、この企ては失敗し、アドラーストス以外の、テューデウスを含む全ての将は戦死した。この時ディオメーデースは4歳だった。葬式の際に息子たちは出会い、いつかテーバイを侵略することを誓った。そして自らエピノゴイと呼んだ。そして10年後にテーバイを再び攻撃し、侵略は成功した。ディオメーデースはこの時15歳の若さにして最も武勇に優れていたという。侵略後テーバイの民はテイレシアースの助言に従い逃亡し、エピノゴイは略奪品により祖国を潤した。テーバイはテルサンドロスが支配した。
アルゴス王のアドラーストスは、息子のアイギアレウスが戦死したことを知ると、悲しみのあまり自らも死んだ。アイギアレウスは、テューデウスの娘(すなわちディオメーデースの姉妹)のコマイトーと結婚していた。それでディオメーデースは、テーバイ攻めから帰還後、アイギアレウスの娘のアイギアレイアと結婚した[2]。これにより彼はアルゴスの王に任命され、若くしてギリシアで最も権力のある支配者の一人となった。
ディオメーデースは5年以上に渡りアルゴスを支配し、多くの富と安定を町にもたらした。彼は優秀な政治家で、他の支配者からも大きな尊敬を集めていた。また、父の故郷であるカリュドーンの動向にも目を光らせていた。そこでディオメーデースの祖父のオイネウスが、テルシーテースら率いるアグリオスの息子たちの手で牢獄に入れられ、アグリオスに玉座を奪わせた事件があったが、ディオメーデースはオイネウスに権力を取り戻させることを決意した。
ディオメーデースはカリュドーンを攻撃し、テルシーテースとペロポネソス半島に逃げたオンケーストスを除く全ての売国奴を殺した。その時アグリオスも自害し、オイネウスに支配権が復活した。その後オイネウスは王国を義理の息子のアンドライモーンに渡し、ディオメーデースに会いにアルゴスに向かったが、その途中でテルシーテースとオンケーストスによって暗殺された。ディオメーデースは暗殺者を発見することは出来なかったので、オイノエーと呼ばれる町を祖父が埋められた地に建設し、祖父の名誉を讃えた。
その後ディオメーデースはトロイア戦争でアカイア勢としてテルシーテースと一緒だったが、ディオメーデースは高潔な性格のため、彼を無碍に扱うことはなかった。しかしテルシーテースはアカイア勢すべてに嫌われていた。実際、アキレウスがペンテシレイアの亡骸に対し慟哭しているのをテルシーテースは嘲笑ったのでアキレウスにより残忍な方法で殺されたのだが、ディオメーデースだけがアキレウスを罰することを望んだのであった。
トロイア戦争
ステネロス、エウリュアロスとともにアルゴス、ティーリュンス、ヘルミオネー、トロイゼーン、エピダウロス、アイギーナ等の軍勢80隻を率いて参加した[3]。ディオメーデースがトロイアの武将アイネイアースを戦場で殺しそうになったとき、アイネイアースの母である女神アプロディーテーは戦場に立ってアイネイアースを助け出そうとした。ディオメーデースはアテーナーに導かれた槍でアイネイアースを連れて去ろうとしたアプロディーテーにも傷を負わせたため[4]、アプロディーテーはアイネイアースを取り落とし、アポローンがこれを雲で受け止めた[5]。
また、ハーデースの兜を被って姿を消したアテーナーの助力を得て[6]、戦いの神アレースをも傷つけて敗退させた。
ディオメーデースとオデュッセウスはトロイアの守護神像パラディオンを盗み出した。
トロイア戦争後
アカイア勢が大いなる町トロイアを略奪している間、アテーナーの神殿でその像にしがみついていたプリアモスの娘カッサンドラーを、ロクリスの小アイアースが陵辱した。オデュッセウスはギリシアの将軍たちに、小アイアースを石打で殺して神の怒りを避けることを提案したのだが、ディオメーデースをはじめ他の将に反対された。なぜならその時、小アイアースも自らを守るためにアテーナーの像にしがみついていたからである[7]。彼らがアテーナーへの冒涜を見逃したので、神の怒りを招いた。だがアテーナーはお気に入りのディオメーデースは罰しなかった。
アテーナーによって、総大将アガメムノーンとその弟のメネラーオスの間で、トロイアからの帰還についての口論が起こった。アガメムノーンはアテーナーの怒りを宥めるためにトロイアに残った。ディオメーデースとネストールは状況を議論した末、早急に去ることを決め、巨大な軍隊を引き連れトロイアを去った。ディオメーデースは4日後に無事に帰還することができたのだが[8]、アテーナーはポセイドーンに訴え、他の多くの船の上に凶暴な嵐を引き起こした[9][10]。
オデュッセウスに謀殺されたパラメーデースはギリシア軍を呪ったので、ディオメーデースもその災いを被った。パラメーデースの弟のオイアクスはアルゴスに行き、ディオメーデースの妻アイギアレイアに会い、夫が彼女よりも魅力的な女をトロイアから連れてくると吹き込んだ。他の話では、アイギアレイア自身が、ステネロスの息子のコメーテースを愛人としていて、そうするようにパラメーデースの父のナウプリオスに説得されていたという。また、ディオメーデースがアプロディーテーの息子アイネイアースを扱う仕方は立派であったものの、彼女はトロイアでディオメーデースが投げた槍がアプロディーテーの肉を貫通させたことを恨んでいて、それゆえアイギアレイアに多くの男と姦通することを吹き込んだ。
アイギアレイアは他のアルゴス人にも助けられ、ディオメーデースをアルゴスに入れるのを拒んだ。コメーテースはディオメーデースが不在の間アルゴスの王となったが、すぐに正当な後継者であるアイギアレウスの息子のキュアニッポスが王権を継いだ。妻に裏切られたディオメーデースは、イタリアへと渡り、ブリンディシオンとアルプス・ヒッピウムの二市を立てたという。
系図
出典
- ^ 『イーリアス』5巻412行。
- ^ アポロドーロス、1巻8・6。
- ^ 『イーリアス』2巻559行-568行。
- ^ 『イーリアス』5巻334行-337行。
- ^ 『イーリアス』5巻343行-346行。
- ^ 『イーリアス』5巻844行-845行。
- ^ アポロドーロス、摘要(E)5・23。
- ^ 『オデュッセイア』3巻180行-183行。
- ^ 『オデュッセイア』4巻499行-511行。
- ^ アポロドーロス、摘要(E)6・6。
参考文献
- アポロドーロス『ギリシア神話』高津春繁訳、岩波文庫(1953年)
- ホメロス『イリアス(上・下)』松平千秋訳、岩波文庫(1992年)
- ホメロス『オデュッセイア(上・下)』松平千秋訳、岩波文庫(1994年)
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固有名詞の分類
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