ディオーレースとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ディオーレースの意味・解説 

ディオーレース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/20 18:12 UTC 版)

ディオーレース古希: Διώρης, Diōrēs)は、ギリシア神話の人物である。長音を省略してディオレスとも表記される。主に、

が知られている。以下に説明する。

アマリュンケウスの子

このディオーレースは、エーリス地方の王の1人アマリュンケウスと[1][2][3]オーレノスデクサメノスの娘ムネーシマケーの子で[4]、ヒッポストラトスと兄弟[5]アムピマコスタルピオス、ポリュクセイノスとともに、エーリス地方の軍勢40隻を率いてトロイア遠征軍に参加した[6][7][8]。ただしアポロドーロスおよびヒュギーヌスの軍船リストではディオーレースの名前はない[9][10]トロイア戦争では、ディオーレースはトラーキア地方の武将ペイロオス投石によって右足の踝の骨と筋を粉砕され、仰向けに倒れたところを槍で討たれた[11]。クレーテーのディクテュスは、ポリュクセイノスとともにヘクトールとの戦闘で負傷したと述べている[12]プリュギアのダレースは、パトロクロス戦死後の戦闘で多くの武将とともにヘクトールに討たれたと述べている[13]

アイオロスの子

このディオーレースは、風神アイオロスの子である[14]。アイオロスは6人の息子と6人の娘、計12人の子供がおり、娘と息子とを結婚させたと伝えられている[15]ニカイアのパルテニオス英語版によると、姉妹のポリュメーレーが島を訪れたオデュッセウスと密会したために死刑に処せられようとしたとき、アイオロスの許しを得て結婚した[14]

プリアモスの子

このディオーレースは、トロイアの王プリアモスの子である[16]。トロイア戦争後、アイネイアースにしたがってイタリアまで航海した。アンキーセースの葬礼競技では徒競走に参加し、ニーソス、エウリュアロス、アカルナーニアー出身のサリウス、テゲアー出身のパトロン、およびシケリア島出身のヘリュムス、パノペスと競い、3着でゴールした[17]。後にトゥルヌスとの戦いで兄弟のアミュコスとともに討たれた[18]

その他の人物

脚注

  1. ^ 『イーリアス』2巻622行。
  2. ^ 『イーリアス』4巻517行。
  3. ^ パウサニアース、5巻3・4。
  4. ^ ツェツェース。
  5. ^ ヘーシオドス断片84(アポロドーロス、1巻8・4による引用)。
  6. ^ 『イーリアス』2巻615行-624行。
  7. ^ クレタのディクテュス、1巻17。
  8. ^ プリュギアのダレース、14。
  9. ^ アポロドーロス、摘要(E)3・12。
  10. ^ ヒュギーヌス、97話。
  11. ^ 『イーリアス』4巻517行-526行。
  12. ^ クレタのディクテュス、3巻5。
  13. ^ プリュギアのダレース、21。
  14. ^ a b ニカイアのパルテニオス、2話。
  15. ^ 『オデュッセイアー』10巻5行-8行。
  16. ^ ウェルギリウス『アエネーイス』5巻297行。
  17. ^ ウェルギリウス『アエネーイス』5巻286行-361行。
  18. ^ ウェルギリウス『アエネーイス』12巻509行-512行。
  19. ^ 『イーリアス』17巻429行。
  20. ^ 『イーリアス』17巻474行。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ディオーレースのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ディオーレース」の関連用語

ディオーレースのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ディオーレースのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのディオーレース (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS