トロイアへの逃亡と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/28 02:06 UTC 版)
その後、アイトラーはみずから望んで奴隷として、ヘレネーに従ってトロイアに行ったとされる。複数の著者が伝えるところでは、アイトラーはヘレネーに助言して、メネラーオスの元から遁れ、パリスに従うことを勧めたとされる。トロイアにあって、彼女は曾孫ムーニトスの乳母となり、彼を育てたとされる。 トロイアがギリシア軍の攻撃の前、陥落した後、アイトラーは孫のデーモポーンとアカマースに救われ脱出した 。紀元前7世紀頃の詩人レスケスによると、アイトラーはトロイア陥落の際に無事に脱出して自らギリシア軍の陣営に赴き、デーモポーンとアカマースに発見されて保護された。デーモポーンはアガメムノーンに対してアイトラーを得ることを願い出たところ、アガメムノーンはヘレネーに使者を送り彼女が承諾したため彼らの要望を叶えた。あるいはアテーナイを追われたテーセウスが亡命先のリュコメーデースの許で死んだとき、アイトラーは悲しみのあまりに自殺した 。
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