テヘランでの活動期とは? わかりやすく解説

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テヘランでの活動期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 23:53 UTC 版)

モルタザー・モタッハリー」の記事における「テヘランでの活動期」の解説

モタッハリーは1951年結婚し翌年テヘラン移った。そして移住して2年経つと、テヘラン大学神学部教授色に就いた。この環境の変化は、彼の人生の画期であった。なぜならこれまで宗教学者囲まれゴム学院から、若い世俗的な知識人学生、さらにバーザール商人など、一般信者直接接することになったからである。 モタッハリーは大学教鞭を執る傍ら様々なイスラーム関係の集会講演活動行ったその活動通じてイスラーム今日抱える問題群と新し時代対応する方策について人々啓蒙した。彼は講演原稿大半出版した彼の基本的関心は、一つ一般信者啓蒙活動、他はウラマー内的堕落対す批判であり、これと表裏する自らの属す階層改革であった1964年ホメイニー国外追放されて以降も、モタッハリーは政治活動積極的に関わらず彼の最大関心であるイスラーム離れした人々(特に若年知識人学生)への啓蒙活動であった。モタッハリーがこのように政治積極的に関与せず、自ら「手を汚さない慎重な態度は、とかく彼の対抗者から厳しい批判受けた1963年から1964年激動期通してゴムでの反体制運動苦い経験のせいか、彼はこれまで以上に知識人啓蒙活動精力傾け始めた。そも最も重要な部分が、次のホセイニーイェ・エルシャードでの活動である。 ホセイニーイェ・エルシャードは、新し時代対応するために、主として若年知識人イスラーム新し価値認識させる教育機関として設立された。政治活動一切その活動内容含まれていない民間教育機関であったこの期間は1963年テント講義室始まり1967年の冬、立派な講義室を持つ建物新しく完成し1968年1月14日慈善組織として登録された。設立者はホマーユーン(Moḥammad Homayun)、アリーアーバーディー( 'Abd al-Ḥoseyn 'Alīabādī)、並びにミラーチー(Naser Mirachi Moqaddam)であった同時に3名から構成される理事会結成され、ホマーユーニーが会長、モタッハリーが副会長、さらにミーラーチーが会計監査であった。モタッハリーはこの色にさほどの関心示したわけではなかったが、この教育機関業務重要な部分である、講演者選定出版事業に関して並々ならぬ強い関心持っていた。 エルシャードでの活動初期、モタッハリーの関心伝統墨守頑迷固陋宗教学者対す挑戦批判を含むものであった。したがって、彼が講演者として選んだ人物には、アリー・シャリーアティー父子などといった、極めて近代的教養備えた人々含まれていた。モタッハリーは、講演内容重視しており、講演者聖俗区別にたいしてあまりこだわりないようであった例えば、アリー・シャリーアティーは、後年ホメイニーに並ぶ革命運動のシンボルといわれたが、この人物はパリ博士号取得した世俗的知識人であった。 しかし、70年頃を境にして、ホセイニーイェ・エルシャードの運営方針(特にミラーチーの「専横」)、並びにアリー・シャリーアティーの絶大な人気背景にした過激な講演など主因となり、モタッハリーは次第にエルシャードから距離をおくようになった。 モタッハリーにとって、ホセイニーイェ・エルシャードでの収穫は、ここで定期的に行った講演通じて自らの依って立つ立場を一層明確にできた点であり、さらに具体的に出版の形でより広範な読者に自らの思索成果を示すことができた点である。他方ウラマー階層の中で近代主義的な視点から内部改革目指してきたが、その過程世俗的知識人の「逸脱」を直接体験することになった。 エルシャードを去ってからも、モタッハリーが積極的に反政府運動前面現れることはなかった。この間国外追放中のホメイニー密に連絡取っていた一方でこの期間は、これまで同様に指導的ウラマー倫理重要性一般信者対すイスラーム教育などに関する講演著述加えて、より明確に唯物主義(社会主義共産主義のみならず西洋無神論一般)批判展開し始める。この批判唯物主義全般に対す思想的なものである同時に西洋列強の「操り人形」であるパフラヴィー王朝支配者批判含蓄するものであった。さらに唯物主義危険性対す警告は、国内社会主義共産主義的政治運動家(トゥーデ党など)に対して向けられた。確かにホメイニーは、反体制運動成功させるために極限まで左翼勢力の力を利用する戦略とっていた。しかし、ホメイニーもその弟子モタッハリーとともに例えモジャーヘディーネ・ハルク(人民聖戦団)のようなグループ危険性早期から認識いていたのである

※この「テヘランでの活動期」の解説は、「モルタザー・モタッハリー」の解説の一部です。
「テヘランでの活動期」を含む「モルタザー・モタッハリー」の記事については、「モルタザー・モタッハリー」の概要を参照ください。

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