テヘラン邦人救出劇編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 06:45 UTC 版)
「海難1890」の記事における「テヘラン邦人救出劇編」の解説
昭和60年(1985年)、イラク大統領のサッダーム・フセインが停戦合意を破棄したため、沈静化していたイラン・イラク戦争が再び激化した。テヘランにはイラク軍のミサイル攻撃が行われ、人々は攻撃から逃れようと地下壕に避難する。地下壕で日本人学校教師の春海はトルコ大使館の職員ムラトと出会い、彼からお守りを手渡される。日本人学校に戻った春海は、テレビで「48時間後にイラン上空を飛行する飛行機を無差別攻撃する」というフセインの声明を聞き、生徒たちを脱出させるため、校長の竹下と共に日本大使館に向かう。 日本大使館に到着した春海は、大使の野村に脱出用の飛行機の航空券手配を依頼するが、「空路の安全が保障されない」という理由で日本航空が、「国会の承認に時間が掛かる」という理由で自衛隊が救援に来られないと告げられる。他国の航空会社は自国民の救助を優先し、日本人の搭乗を拒否したため、日本人だけが戦場に取り残されてしまう。春海はムラトから渡されたお守りを見て、「トルコに救援を頼んで欲しい」と伝え、野村はトルコ大使に救援を依頼する。野村からの要請を受けたトルコ政府閣僚たちは日本人の救助に反対するが、首相のトゥルグト・オザルは要請を受け入れ、日本人救助のための救援機を手配する。 春海は生徒の木村一家と共にメヘラーバード国際空港へ向かう途中でムラトと再会し、彼の車で空港に向かう。空港に到着した春海は竹下たちと合流するが、そこには救助を待つ大勢のトルコ人たちが詰め掛けていた。搭乗を諦めかけた春海たちのために、ムラトはマフムートたちトルコ人の前に出て「日本人たちを乗せて欲しい」と頼み込む。しかし、マフムートたちは日本人を乗せることに反対し、ムラトの話を聞こうとしなかった。ムラトはトルコ人たちに、「祖先たちは異国の地で絶望に陥った際に救ってもらえた。今、日本人を救えるのはあなたたちだけだ」と告げる。それを聞いたマフムートたちは騒ぐのを止め、日本人たちを飛行機に乗せ始める。「私たちは自動車でトルコに向かう」と告げたマフムートに対し、野村は深々と頭を下げ、春海もムラトに感謝の言葉を伝える。
※この「テヘラン邦人救出劇編」の解説は、「海難1890」の解説の一部です。
「テヘラン邦人救出劇編」を含む「海難1890」の記事については、「海難1890」の概要を参照ください。
- テヘラン邦人救出劇編のページへのリンク