スコアボードの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 09:20 UTC 版)
初代は1937年 - 1948年(昭和23年)の12年間に渡って使用された。この当時は現在の球場でいうバックスクリーン付近全体を利用したもので、メインのスコアボードは15回まで記入でき、その下に第1、2試合目のスコアが記入できるスペース(各試合につき10回まで)があった。選手名の表示は得点表示の上に横スクロールで記載された。その後空襲被害を受けたため1946年(昭和21年)のシーズン開始時に作り直しスタンド中段に移設した上で使用したが、前試合のスコア表示はできなくなった。1942年(昭和17年)の名古屋軍-大洋軍の試合が延長28回という日本プロ野球最長延長試合になった時には15回までの表示では間に合わず、16回から後のイニングは下段に表示した。なお広告は戦前から両端にライオン歯磨(当時は「ライオン歯磨本舗小林商店」)のものが掲示されていたが、戦時中はこれに変わり「進め一億火の玉だ」などの戦意高揚スローガンが掲示されていた。戦災でボードも被害を受けたため、戦後すぐにバックスクリーン部を掘り下げてそこに移設・改修された。 2代目は1949年(昭和24年) - 1969年(昭和44年)の21年間に渡って使用された。スタンドの土盛り工事を行ったことにより、スコアボードの位置も高くした。スコア表示は12回までで、最大2試合分のスコアが表示できたほか、選手表記もスコアボードを挟む形で縦スクロールになった(3代目にもこのスタイルが引き継がれた)。また、スコアボードの両端はライオン歯磨とライオン油脂の商品(初期はライオン歯磨・ライオン歯刷子→後期はホワイトライオン、タバコライオン→末期はバイタリス、デンターライオン、ママレモン、バファリンなど)が書かれていたが、最末期はパイオニアの広告となった。スコアボードの真ん中下は大正製薬のワイパア(白元→白元アースとは継承せずに、親会社アース製薬に集約)だったが、後期はリポビタンDの広告が表示されるようになった。この間、スコア表示の下段部を他球場のスコアの表示に変更、得点の数字の字体、およびスコア表示部のチーム名表記(アルファベット1文字)の文字色の変更(白→黄色)といったマイナーチェンジが行われた。 3代目は1970年(昭和45年) - 1987年(昭和62年)の18年間に渡って使用された。この3代目からスコアボードは2代目をコンセプトに電光掲示式に変更された。スコア表示は1試合のみ最大10回まで。合計スコア・ヒット・エラーの表示が可能となる。スコアボードの両端広告はパイオニアが球場閉鎖まで担当することとなり、真ん中下は大正製薬からパイオニアの広告に変更された。広告部は使用開始時は青色ネオン管(広告は白文字)を使用し、後にピンク・緑のネオン管を追加した(プレー時は青色)。1975年(昭和50年)からのパ・リーグによる指名打者制度導入以後は、パ・リーグの試合のみ投手の表示はチーム名の部分に掲載し、指名打者の選手の守備番号部分は無表示であった。打順のチーム表記は電光化後の最初は手書き時代同様にアルファベット1文字のみであった(1971年(昭和46年)以降、英字表記となる)。スコアボード上部はフリーボードで、1981年(昭和56年)からオーロラビジョンが採用される。選手名表示などのドットは粗く(1文字あたり15×15ドット)、画数の多い文字を表示することができなかったため、ロッテの醍醐猛夫は「ダイゴ」、広島の高橋慶彦は「高橋ょ」(後に表示可能に)、審判の鷲谷亘は「ワシ谷」と表記されていた。なお供用開始の1970年(昭和45年)4月に行われた金田正一の引退試合を兼ねたオープン戦では選手表示をせず、審判名は手書きの白地ボードを貼り付けて試合を行っていたことが当時の映像に残っている。オーロラビジョンには、ホームチームの攻撃中「かっとばせ ○○」(○○は打者名)、守備中は「がんばれ!! △△」(△△は投手名)といった文字が表示されていることもあった。 また、バックスクリーンには長年、フコク生命の広告が掛けられていた。初期の頃は電光掲示(本塁打が出た場合は「HOMERUN」の文字が浮かび、噴水が上がる仕組みになっていた)だったが、その後回転広告のものになり、その上に本塁打が出た場合「おめでとう ホームラン」の電光掲示が出ていた(この表示は東京ドームに引き継がれる。ただし、「おめでとうホームラン フコク生命」の文字をオーロラビジョンに表示する方法に変更された)。 サブスコアボード(得点盤のみ)もあった。当初は手書きパネルでネット裏2階席最上段にあったが、その後3塁側1階席に電光掲示されたものに変更された。
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