ジェームス・テイラーのバージョン
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「彼女の言葉のやさしい響き」の記事における「ジェームス・テイラーのバージョン」の解説
「彼女の言葉のやさしい響き」はロマンチックな歌である。ローリング・ストーン誌の評論家、ジョン・ランドーはこの曲を「ある種の超越」についてのものと見なしている。テイラーはこの曲をアコースティックギターの伴奏だけで演奏した。 著述家のバリー・アラン・ファーバーは「彼女の言葉のやさしい響き」を「心地よさと力強さ」がある、恋愛に関するお気に入りの曲として使用している。彼は特に以下の行に注目している: It isn't what she's got to say But how she thinks and where she's been To me, the words are nice, the way they sound それは彼女が言わなければならないことではない しかし彼女がどのように考え、どこに行ったのか 言葉は素晴らしい、その響き方が これらの行でテイラーは歌では珍しく恋人が彼を落ち着かせるのは彼女の声の響きであることを示している。ファーバーは、魅力的なのは、それがテイラーに母親の声を思い出させるのではないかと推測し、テイラーは若者の頃に世話になったことを思い出すことで癒されているのではないかと推測している。 ファーバーはまた、多くの人々が「世界に十分にしっかりと繋ぎとめられていないことを恐れている」という気持ちを効果的に表現しているとして、これらの行も強調している: Every now and then the things I lean on lose their meaning And I find myself careening Into places where I should not let me go. 時々、私が頼りにしているものはその意味を失い 私は私を行かせてはいけない場所へと 急降下している自分に気づく オールミュージックの評論家、リンジー・プラナーは「彼女の言葉のやさしい響き」をアルバム『ジェームス・テイラー』の「注目すべき収録曲」と見なしている。オールミュージックの同僚評論家、デヴィッド・R・アドラーはこの曲を「テイラーの最も素晴らしいメロディーの一つ」と述べている。『ローリング・ストーン・アルバム・ガイド』の評論家、マーク・コールマンはこの曲が『ジェームス・テイラー』の「ハイライト」であることを認め、この曲を「魅力があり」、テイラーの将来のレコーディングの道筋を予見するものと述べている。テイラーの伝記作家、ティモシー・ホワイトはこの曲を「疑いなくテイラーの『ジェームス・テイラー』での最も素晴らしい演奏」と述べている。ホワイトはこの曲を「プレゼンテーションは惜しみなく」、「それ自体がエレガントで痛烈」だと表現した。ローリング・ストーンの評論家、ジョン・ランドーはテイラーが「メロディー、歌詞、ギター、そして声を自分のものにしている」ので、余裕のあるパフォーマンスとテイラーの「抑制された表現」が曲の力を増していると考えている。マーティン・チャールズ・ストロングは、この曲を「記憶に残るオリジナル」であり、「テイラーを、それほど冒険的ではないにしても、一種の男性のジョニ・ミッチェルとしてマークした」と説明している。 テイラーは「彼女の言葉のやさしい響き」を1976年の『グレイテスト・ヒッツ』に含めたが、『ジェームス・テイラー』からの「思い出のキャロライナ」同様に権利関係の問題でこの曲を再レコーディングした。この曲はまた、2003年のコンピレーション・アルバム『ザ・ベスト・オブ・ジェームス・テイラー(英語版)』にも収められている。ライブバージョンはテイラーとキャロル・キングのライブ・アルバム『トルバドール・リユニオン(英語版)』に収録されている。ソロでのライブバージョンは、ライブ・アルバム『ワン・マン・バンド(英語版)』、テイラー、ジョニ・ミッチェル、フィル・オクスの3人の名義で発売されたライブ・アルバム『アムチトカ』(2009年)に収録された。
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ジェームス・テイラーのバージョン
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「目を閉じてごらん」の記事における「ジェームス・テイラーのバージョン」の解説
テイラーは「目を閉じてごらん」を1971年初頭に録音される約1年前に書いている。テイラーはこの曲を「世俗的な讃美歌」とみなしている。著述家のデイヴ・トンプソンはそれまでにテイラーが書いた最高の曲と考えている。オールミュージックの評論家、ビル・ジャノヴィッツは「目を閉じてごらん」を「美しい子守唄」と解説し、ローリング・ストーン誌の評論家、ベン・ガーソンも同じように「申し分のない子守唄」と呼んでいる。評論家のアル・ルーディスはさらに進んで、この曲は「子守唄作者の[テイラーの]世界チャンピオンシップを保持し続けている」と述べている。オールミュージックのウィリアム・ルールマンはこの曲をロマンスを肯定する「感動的な」歌と表現している。マーティン・チャールズ・ストロングはこの曲を「君の友だち」よりも「アイらしく」「より影響力があると述べている。音楽研究家のジェームズ・ペロンは「目を閉じてごらん」のメロディおよび歌詞と、テイラーの以前の作品、「思い出のキャロライナ」のリフレインとの間の類似性を見出した。ガーソンはこの曲のメロディとキャット・スティーヴンスの "Here Comes My Baby" と比較している。 ジャノヴィッツは歌詞の二重性を指摘している。歌詞は、おそらく喧嘩の後で、歌い手の恋人を慰めようとする試みである。しかし、歌詞はまた彼が"But I can sing this song/And you can sing this song when I'm gone"(でもぼくはこの歌を歌うことができる/そしてぼくが居なくなったら君はこの歌を歌うことができるよ)と歌い、"I'm gone" が二人の関係の終わりを意味するのか、ただ単にどこかに行ってしまうのかを明確にしていないにもかかわらず彼が彼女のもとを間もなく離れることを示唆し、不吉な音が聞こえるかもしれない。ペロンは歌を通してしか感情を表現できない歌手の主題が「目を閉じてごらん」に「自伝的な響きの本物らしさ」を与えるとしている。ペロンは「通常とは異なる全体の構造となにか予測できないフレーズの構造」が「心からの自発性」の感覚を生み出すと感じている。ガーソンは別れの歌の主題と、この曲が歌手の最後の曲になりうることはアルバム『マッド・スライド・スリム』に一貫したテーマであり、「目を閉じてごらん」を「曲を否認する曲」と呼んでいる。 トンプソン及びシーラ・ウェラーを含む書き手たちはこの曲がテイラーの一時的なガールフレンドだったジョニ・ミッチェルに向けて書かれたものであることを示唆している。テイラーはこの説を認めており、少なくとも一度はステージ上でこの曲がミッチェルのために作られたものであることを認めている。この曲はテイラーの映画『断絶』出演のためにミッチェルとともにニューメキシコ州トゥクムカリのホテルに滞在中に作られた。唯一の楽器はテイラーのアコースティック・ギターでだが、ライブ演奏のエンディングのリフでは実際には2つのギターの音が混ざり合ってバロック調の効果を生み出していることが確認されている。ジャノヴィッツは特に曲の初めと終わりに「ルネッサンスがカントリー・フォークのリフと出会う」テイラーの「優雅な」ギター演奏を称賛している。ジャノヴィッツはテイラーの「傷つきやすく」「静かな」歌唱も称賛している。 テイラーは「目を閉じてごらん」を他の歌手との共演を含めてライブコンサートで何度も演奏している。1970年代前半にはミッチェルともこの曲を共演している。1970年10月16日のそのようなパフォーマンスの一つが2009年のアルバム『アムチトカ』に収められている。キャロル・キングとの共演は2010年のアルバム『トルバドール・リユニオン(英語版)に収録されている。ソロでのライブ演奏は1998年のビデオ『ライブ・アット・ザ・ビーコン・シアター(英語版)』の一曲目に、別のソロのライブ演奏が2007年のライブ・アルバム『ワン・マン・バンド(英語版)』締めくくっている。ライブ演奏の一つはThe Essential James Taylor に収録されている。ライブ・バージョンの一つは日本で発売されたコンピレーション・アルバム『グレイテスト・ヒッツVolume 2(英語版)』に収録されている。スタジオ・バージョンはコンピレーション・アルバム『ベスト・オブ・ジェームス・テイラー(英語版)』にも納めれている。2011年9月11日、テイラーはこの曲をアメリカ同時多発テロ事件の10周年のためにニューヨーク市のナショナル・セプテンバー11メモリアル&ミュージアムで演奏した。
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