シリーズの誕生
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「スーパーロボット大戦シリーズ」の記事における「シリーズの誕生」の解説
45歳でバンダイの常務に就任し新規事業を担当していた杉浦幸昌は、業務用ビデオゲームの製造販売をしていたコアランドテクノロジー社をパートナーにアミューズメント事業に乗り出そうとしていた。しかし、コアランドテクノロジー社はバンダイとのビジネスで億単位の赤字を出してしまう。当時のバンダイ経営陣でアミューズメント事業からの撤退を求める意見が圧倒的となるが、杉浦は「自身の持つバンダイ株を手放すから個人でやらせてくれ」とバンダイ経営陣を説得(杉浦は35歳でバンダイを飛び出し、玩具会社のポピーを成功させた経歴を持つ。後にポピーがバンダイと合併したことからバンダイ株を多数所有していた)。1989年2月にコアランドテクノロジー社はバンダイの子会社バンプレストとなり、杉浦が初代社長に就任した。 こうしてバンプレストは開業したものの、製作中であった銃をモチーフにしたアミューズメント機器が失敗。挽回するために杉浦はポピー時代に溜めたノウハウを生かしたキャラクターもの、それも新規性を打ち出すためにキャラクターの混載で勝負しようと考えた(単一キャラクターのゲームを開発していたバンダイのゲーム部門との競合を避ける意味合いもあった)。当時は世界観の異なるキャラクターが同一作品に登場することはタブーとされていた時代だったが、杉浦は版権元に挨拶回りを敢行。自身の社長就任のご祝儀として一度だけという約束を取り付け、1990年4月にゲーム業界初のクロスオーバー作品『SDバトル大相撲 平成ヒーロー場所』が発売された。この『SDバトル大相撲』が収益的に成功したことから、一度だけという条件だったクロスオーバー作品におけるキャラクター使用の許諾がその後も継続され、特撮ヒーローとロボットアニメが共演する「コンパチヒーローシリーズ」が生まれた。 『SDバトル大相撲』が製作されていた頃にバンプレストに入社したプロデューサーじっぱひとからげは、等身大ヒーローと巨大ロボットが共演する世界観に違和感を覚え、アニメのロボットだけに絞って統一感を出した『スーパーロボットRPG』を企画する。ゲーム内容は塔を探索するRPGであったが、シミュレーションゲームの方が向いているというウィンキーソフトの意見によって、「ロボットアニメによる『大戦略』」がコンセプトのシミュレーションRPGとして開発され、1991年にシリーズ第1作『スーパーロボット大戦』が発売された。当時、家庭用ゲーム機ではRPGが主流であり、シミュレーションゲームはかなりマニアックなジャンルであったが19万本のヒットとなる。敵を引き抜ける「説得」やRPGでいうところの魔法にあたる「精神コマンド」など、従来のシミュレーションゲームにはない本シリーズ独自のシステムを搭載していたが、登場するロボットを擬人化するというコンパチヒーローシリーズのフォーマットは踏襲していた。
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シリーズの誕生
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「ボンバーマンシリーズ」の記事における「シリーズの誕生」の解説
1985年にはファミリーコンピュータ向けに中本伸一が手掛けたシリーズ第一作『ボンバーマン』(以下、初代ボンバーマン)が発売され、以後シリーズ化することとなった。 初代ボンバーマンは先行する人気作品『ロードランナー』(ファミコン版)の敵役とデザインがほぼ同じとなっており、「爆弾製造に従事させられていたロボットの一体が、“地下迷宮を抜けだして地上に出れば、人間になれるらしい。”との噂を聞いて決心し、自身が製造していた爆弾だけを武器に脱出を図る」という物語をつくり「ボンバーマンを攻略して見事人間になる事が出来た彼はロードランナーとして、地下へと入っていった」ということにして両者を関連づけたが、後の作品ではこの世界観は使われなくなった。
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