インフレの悲哀: 1970年代とは? わかりやすく解説

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インフレの悲哀: 1970年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 06:51 UTC 版)

アメリカ合衆国の経済史」の記事における「インフレの悲哀: 1970年代」の解説

1960年代後半、この凄まじい経済成長減速していることが明らかだと見る者がおり、1970年代になるとスタグフレーション景気沈滞下のインフレ)が誰の目にも明らかになってきた。リチャード・ニクソン大統領賃金実物価格統制試みた1970年代環境問題消費者運動高まった時期でもあり、政府新たな規制職業安全衛生管理局、消費者製品安全委員会およびアメリカ合衆国原子力規制委員会など規制を行う組織設立したブレトン・ウッズ協定1971年から1972年掛けて崩壊しニクソン連邦準備制度の金の窓口閉鎖し合衆国金本位制から完全に離れたこの間1971年12月ハント委員会President's Commission on Financial Structure and Regulation)が開かれ定期性預金預金金利最高限度を廃止してマクファーデン法のモーゲージ規制骨抜きにしたり、特に貯蓄貸付組合相互貯蓄銀行モーゲージ貸付誘導したり、連邦住宅保険付貸付復員軍人保証貸付によるモーゲージ金利最高限度額規制廃止したり、全金融機関住宅モーゲージ貸付由来利子所得に特別税額控除制度適用したりすることが同委員会より勧告された。1973年10月金融機関法案が同委員会勧告多分に盛りこみ上程された。1975年以降議会追及されながらも連邦準備制度通貨供給量増やしていった。連邦準備制度独立性保証先のハント委員会勧告されていた。このような一握り人間計画した官民連携が、西海岸住宅ローン、特に将来サブプライムローン太っ腹組まれる条件としての資産インフレ招いた1973年証券取引委員会が再び活躍始めた。エクイティ・ファンディング事件摘発したのである。エクイティ・ファンディングをつくったのは例によってボストン出身の、しかもバーニー・コーンフェルドを目指すMichael(Mike) Riordan という男だった。マイク1966年ドレフュス商会幹部引き抜いて自分投信事業部働かせていたが、1969年1月変死をとげた。マイク独立する以前Keystone organization という投信会社営業をやっていたが、そこの精鋭Gordon McCormick という男がいて、予めInvestors Diversified Services鍛えられていた。ゴードン考えた。まずミューチュアル・ファンド売り、それを担保ローンを組ませ、ローン借りた金で保険料払わせるというアイディアを。それは良い手数料稼ぎであった。このセット販売に対して証券取引委員会1962年に登録義務課した。エクイティ・ファンディングは翌年半ばから登録するようになったが、証券取引委員会は登録義務十分に果されていないのも分かっていたし、キーストンがエクイティ・ファンディングを営業使ってファンド売りまくっていたことも知っていた。このような手数料割戻し疑われる状況に、証券取引委員会調査試みながら資料散逸ニクソン不干渉政策阻まれていた。しかし手に入った1965年までさかのぼ記録からは、保険証券架空販売中心とする20ドル詐欺行為証明できたのである保険業界アナリストRay Dirks が1974年に独自の調査報告をまとめ、その中でこう記した。「5月初め、もうすでに包囲されたエクイティ・ファンディングの業務部で、『ウォーターゲート事件よ、ありがとう』という表示出た。(中略)エクイティ・ファンディングは新聞一面登場することを免れたのであるジェラルド・フォード大統領は「今こそインフレ倒せ」(Whip Inflation Now)という実を伴わないスローガン打ち出した労働生産性1974年には前年比マイナス1.5%、翌1975年には前年比マイナス1.0%にまで鈍化し1976年になりようやくプラス転じた1976年ジミー・カーター大統領当選したカーターは後にさらに大きな経済変動時代到来させたと大い非難されたが、この状況カーターのやれる範囲超えていたと指摘する者もいる。 物価うなぎ登り上昇した労働生産性成長はマイナスではないものの、微々たるものであった金利高止まりし、プライムレート最優遇貸出金利)は1981年1月20%達したアート・バックウォルドは、1980年地方銀行よりもマフィア借りた方が利子安くなる歴史的な年になると皮肉った失業率1975年から1979年にかけて着実に減少していたが、その後急速に上昇し始めた

※この「インフレの悲哀: 1970年代」の解説は、「アメリカ合衆国の経済史」の解説の一部です。
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