インフレの悲哀: 1970年代
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「アメリカ合衆国の経済史」の記事における「インフレの悲哀: 1970年代」の解説
1960年代後半、この凄まじい経済成長が減速していることが明らかだと見る者がおり、1970年代になるとスタグフレーション(景気沈滞下のインフレ)が誰の目にも明らかになってきた。リチャード・ニクソン大統領が賃金と実物価格の統制を試みた。1970年代は環境問題や消費者運動が高まった時期でもあり、政府は新たな規制や職業安全衛生管理局、消費者製品安全委員会およびアメリカ合衆国原子力規制委員会など規制を行う組織を設立した。 ブレトン・ウッズ協定が1971年から1972年に掛けて崩壊し、ニクソンは連邦準備制度の金の窓口を閉鎖し、合衆国は金本位制から完全に離れた。この間1971年12月、ハント委員会(President's Commission on Financial Structure and Regulation)が開かれ、定期性預金の預金金利最高限度を廃止してマクファーデン法のモーゲージ規制を骨抜きにしたり、特に貯蓄貸付組合と相互貯蓄銀行をモーゲージ貸付に誘導したり、連邦住宅局保険付貸付・復員軍人局保証貸付によるモーゲージ金利最高限度額規制を廃止したり、全金融機関で住宅モーゲージ貸付由来の利子所得に特別税額控除制度を適用したりすることが同委員会より勧告された。1973年10月に金融機関法案が同委員会の勧告を多分に盛りこみ上程された。1975年以降、議会に追及されながらも連邦準備制度が通貨供給量を増やしていった。連邦準備制度の独立性保証が先のハント委員会で勧告されていた。このような一握りの人間が計画した官民連携が、西海岸の住宅ローン、特に将来のサブプライムローンが太っ腹に組まれる条件としての資産インフレを招いた。 1973年に証券取引委員会が再び活躍を始めた。エクイティ・ファンディング事件を摘発したのである。エクイティ・ファンディングをつくったのは例によってボストン出身の、しかもバーニー・コーンフェルドを目指す、Michael(Mike) Riordan という男だった。マイクは1966年にドレフュス商会の幹部を引き抜いて自分の投信事業部で働かせていたが、1969年1月に変死をとげた。マイクは独立する以前にKeystone organization という投信会社の営業をやっていたが、そこの精鋭にGordon McCormick という男がいて、予めInvestors Diversified Services で鍛えられていた。ゴードンは考えた。まずミューチュアル・ファンドを売り、それを担保にローンを組ませ、ローンで借りた金で保険料を払わせるというアイディアを。それは良い手数料稼ぎであった。このセット販売に対して証券取引委員会は1962年に登録義務を課した。エクイティ・ファンディングは翌年半ばから登録するようになったが、証券取引委員会は登録義務が十分に果されていないのも分かっていたし、キーストンがエクイティ・ファンディングを営業に使ってファンドを売りまくっていたことも知っていた。このような手数料割戻しの疑われる状況に、証券取引委員会は調査を試みながら資料の散逸とニクソンの不干渉政策に阻まれていた。しかし手に入った1965年までさかのぼる記録からは、保険証券の架空販売を中心とする20億ドルの詐欺行為が証明できたのである。保険業界アナリストのRay Dirks が1974年に独自の調査報告をまとめ、その中でこう記した。「5月の初め、もうすでに包囲されたエクイティ・ファンディングの業務部で、『ウォーターゲート事件よ、ありがとう』という表示が出た。(中略)エクイティ・ファンディングは新聞の一面に登場することを免れたのである」 ジェラルド・フォード大統領は「今こそ、インフレを倒せ」(Whip Inflation Now)という実を伴わないスローガンを打ち出した。労働生産性が1974年には前年比マイナス1.5%、翌1975年には前年比マイナス1.0%にまで鈍化し、1976年になりようやくプラスに転じた。1976年、ジミー・カーターが大統領に当選した。カーターは後にさらに大きな経済変動の時代を到来させたと大いに非難されたが、この状況はカーターのやれる範囲を超えていたと指摘する者もいる。 物価はうなぎ登りに上昇した。労働生産性の成長はマイナスではないものの、微々たるものであった。金利は高止まりし、プライムレート(最優遇貸出金利)は1981年1月に20%に達した。アート・バックウォルドは、1980年が地方の銀行よりもマフィアに借りた方が利子が安くなる歴史的な年になると皮肉った。 失業率は1975年から1979年にかけて着実に減少していたが、その後急速に上昇し始めた。
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