インターネット黎明期のアングラカルチャー
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「鬼畜系」の記事における「インターネット黎明期のアングラカルチャー」の解説
詳細は「アンダーグラウンド (文化)#インターネットにおけるアンダーグラウンド」、「草の根BBS」、および「匿名掲示板」を参照 インターネット普及以前は、クライアント・サーバ通信を利用したパソコン通信による電子掲示板(草の根BBS)やネットニュースコミュニティが1980年代に発達した。この中には、エロや不謹慎を扱うグループも多くあった。これらは、インターネットの普及後に2ちゃんねるや4chanなどの巨大匿名掲示板文化につながっていく。 1990年代にはインターネットが商用化され、ポルノ、スカトロ、暴力場面、侮辱、苦痛、卑語など扱うショックサイトなるものも誕生した。こうして、インターネットポルノ(アダルトサイト)、アダルトゲームとともにアングラネットが隆盛する。その極みであるダークウェブでは、ドラッグや児童ポルノなど様々な犯罪コンテンツが販売されている。 1995年夏には地下鉄サリン事件を題材にした不謹慎ゲーム『霞ヶ関』がパソコン通信上に出回るようになり、これを朝日新聞と毎日新聞が同年10月26日夕刊で取り上げ、多くのメディアの注目を集めた。当時このゲームを所有していた「しば」は、このソフトを配布する目的で電子掲示板「あやしいわーるど」を起ち上げ、1990年代末において日本最大の規模を誇るアンダーグラウンドサイトとなる。その後「あやしいわーるど」の系譜は「あめぞう」を経て巨大匿名掲示板群「2ちゃんねる」に発展し、さらには4chanや8chanなど海外匿名掲示板文化「CHANカルチャー」の原初にもなった。 1996年4月には日本初と推定されるグロサイト「Guilty」が開設され、同年5月には高杉弾のWEBマガジン 《JWEbB》 が創刊される。同年11月には北のりゆき(現代版『腹腹時計』の異名をとる危険図書『魔法使いサリン』〈冥土出版・1994年12月〉で一躍有名になった『危ない1号』と『危ない28号』のライター。別名義に死売狂生・行方未知など)主宰の危険文書サイトの最左翼「遊撃インターネット」がスタートし、翌1997年にはスーパー変態マガジン『Billy』『TOO NEGATIVE』元編集長の小林小太郎が運営していた死体写真ギャラリー「NG Gallery」の WEBサイト や漫画誌『ガロ』の裏サイト「裏ガロ」が本格始動する。 1998年には、10万部以上 を売り上げたハッキング本『コンピュータ悪のマニュアル』の著者・KuRaReを編集長に『危ない1号』の事実上後継誌『危ない28号』がデータハウスの鵜野義嗣によって創刊される(これについてばるぼらは「90年代雑誌文化のサブカルの流れをコンピューター文化が引き継いだ」と指摘している)。同誌はハッキング、ドラッグ、兵器、安楽死など様々な違法・非合法行為のハウツーが記載された危険情報満載のムック本で『危ない1号』に次ぐヒットを飛ばしたが、発売前の段階にもかかわらず有害図書指定を受けるなど自治体からの風当たりも強く、KuRaReは「どんだけ何も見てない連中なんだよ。そうやって仮想の敵をやっつけて良いことをしたと思う自慰的行為」「28号は意識的に有害図書指定になろうとしてたので、別にいいのですが」等と述懐している。そして2000年1月に浦和駅、東海村、大阪府で発生した一連の連続爆発事件で、犯人が同誌を参考に爆発物を製造したと供述 した結果、『危ない28号』は全国18都道府県で有害図書指定され、発行済みの第5巻(1999年11月発行)を最後に廃刊を余儀なくされた。 こうしたインターネット発のアングラカルチャーは1996年のアダルトサイト摘発、1999年の通信傍受法成立と悪趣味ブームの終焉、そして2000年の不正アクセス禁止法が決定打となり、完全消滅したとされている。
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