ホバート (軽巡洋艦)
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ホバート (HMAS Hobart) は、オーストラリア海軍の軽巡洋艦[1]。パース級軽巡洋艦 (Perth class light cruser) の1隻で[2]、イギリス海軍所属のアポロ (HMS Apollo) として建造された[3][注釈 1]。
注釈
- ^ 二等巡洋艦 “アンフイオン Amphion”[4] 全要目{排水量7,040噸 速力32.5節 備砲 15.5糎砲8門 10糎高角砲4門 魚雷發射管(53糎)8門 起工1933年6月 竣工1936年6月 建造所ポーツマス海軍工廠} これが新時代の英國7,000噸級輕巡の勇姿である。前檣は極端にかたまつて殆ど箱型である。この型がどうやら英國新輕巡の通有タイプになりさうであるが、國によつて夫々違つてゐるのも興深い。尤も艦型よりも實力こそ問題であるが、近代的射撃装置の完備した輕巡15糎砲の齋射は怖るべきもので、仰角また自由自在である。長さ161.5米、幅17.3米、平均吃水4.62米、軸馬力72,000馬力。“アポロ Apollo” “シドニー Sidney”(これは濠洲海軍へ渡された)の姉妹艦がある。
- ^ ネームシップのリアンダー (HMS Leander) と2番艦アキリーズ (HMS Achilles) はニュージーランド海軍に、改良型のパース級3隻(アンフィオン〈改名後パース〉、フェートン〈改名後シドニー〉、アポロ〈改名後ホバート〉)はオーストラリア海軍に引き渡された[1]。
- ^ 本艦の代艦として、オーストラリア海軍の水上機母艦アルバトロス (HMAS Albatross) がイギリス軍に引き渡された。
- ^ このバーミンガムはタウン級軽巡洋艦(サウサンプトン級軽巡洋艦)である[9]。アメリカ海軍のクリーブランド級軽巡洋艦 (Cleveland-class light cruisers) バーミングハム (USS Birmingham, CL-62) とは[10]、スペルが同じだけの別艦。
- ^ 姉妹艦の軽巡シドニー (HMAS Sydney) は太平洋戦争開戦直前の1941年(昭和16年)11月19日、インド洋でドイツ海軍の仮装巡洋艦コルモラン (Hilfskreuzer Kormoran) と交戦し[13]、相撃ちとなって沈没した[3]。
- ^ ABDA部隊の最高指揮官はイギリス軍のウェーヴェル陸軍大将、海軍部隊最高司令官はアメリカ海軍のハート提督であった[22]。
- ^ その後、戦艦は巡洋艦の誤認と判明した[26]。
- ^ 第四航空戦隊司令官角田覚治少将を指揮官とする第三航空部隊(龍驤、汐風、敷波)は馬來部隊と共に行動していた[29]。馬來部隊の重巡鳥海(小沢長官旗艦)と第七戦隊(司令官栗田健男少将)の重巡4隻(熊野、鈴谷、三隈、最上)は、空襲が終わってから水上戦を挑むことにした[30]。
- ^ 2月17日[37]、バンカ島守備隊を収容して撤退中の蘭駆逐艦ヴァンネス (Hr.Ms. Van Nes) と輸送船1隻は[23]、空母龍驤艦上機と、基地航空隊の陸攻に襲われて2隻とも沈没した[38][39]。
- ^ 本艦の姉妹艦パース (HMAS Perth, D29) は[3]、スラバヤ沖海戦に参加したあと[19]、バタビア沖海戦で沈没した[46]。オランダ海軍ではトロンプ級軽巡洋艦のトロンプ (Hr.Ms. Tromp) [47]などが生き残ったが、デ・ロイテル (Hr. Ms. De Ruyter) など大部分の主力艦は撃沈された[48][49]。
- ^ 上陸部隊は第48師団など。護衛部隊は第五戦隊司令官高木武雄少将、第二水雷戦隊、第四水雷戦隊など。
- ^ 上陸部隊は第16軍司令部と第2師団など。護衛部隊は第七戦隊司令官栗田健男少将[50]、第五水雷戦隊、馬来部隊からの増援艦艇など。
- ^ 日本側偵察機は、ホバート部隊がバタビアに入港したと報告したので、栗田提督は三隈艦長が指揮する3隻(重巡三隈、最上、駆逐艦敷波)を五水戦に派遣し、北方に退避した[54]。
- ^ 陸軍特殊船神州丸は、本作戦で秘匿船名「龍城丸」と呼ばれていた[56]。
- ^ MO攻略部隊主隊[70]:第六戦隊(青葉、加古、衣笠、古鷹)、空母祥鳳、駆逐艦漣[71]。
- ^ 出撃時は台南海軍航空隊の零戦11機(ラエより発進)、元山海軍航空隊の九六式陸上攻撃機 20機(爆弾装備)と[75]、第四航空隊の一式陸上攻撃機 12機(魚雷装備)だった[76]。九六陸攻1機が故障で帰投した[77]。
- ^ 附表第七戰闘概報 5AB機密第三一七番電 七日二三三〇 5AB戰闘概報第二十八號(五月七日)[79] 一.敵機動部隊索敵ノタメ四空陸攻三機〇四三〇RR發進 濱空大艇三機早朝RXB發進〇七〇〇敵機動部隊「ロツセル」島南方ニアリトノ敵情ヲ得 四空陸攻一二機(雷装)南空零戰一一機誘導四空陸攻一機〇七五〇RR發進 元空陸攻二〇機(各機二五番通二發)〇九〇〇發進 両者ハ一二三〇ヨリ一二四四迄ノ間協同「デボイネ」ノ二〇〇度一一五浬ノ敵主力ヲ雷撃セリ/成果並ニ偵察状況概報ノ通リ/被害 自爆四空陸攻二機 未皈還四空陸攻二機「デボイネ」二不時着 搭乗員無事ナルモ四空陸攻一機皈着時大破セルモノ四空陸攻二機(搭乗員無事) 被彈機四空陸攻三機 元空陸攻四機
- ^ 六 功績[82] MO攻略味方輸送船団攻撃ヲ企図セル敵機動部隊ヲ「サンゴ」海上「パニート」南方八七浬ニ捕捉熾烈ナル防禦砲火内ニ突入 敵重巡「オーガスタ」ヲ爆撃之ヲ撃沈セシメ第四航空隊雷撃隊ト相俟ツテ米戰艦「カリフォルニヤ」轟沈 米重巡「オーガスタ」撃沈 英戰艦「ウォースパイト」大破 駆逐艦一撃沈ノ「ハワイ」海戰以来ノ大戰果ヲ擧ゲ敵ノ企図ヲ挫折セシメタル功績顕著ナリ
- ^ 『戦史叢書49、南東方面海軍作戦(1)』288頁では「一式陸攻4機が自爆、1機が不時着大破、2機が着陸時に大破した。」と記述する[77]。『一式陸攻戦史(2019)』209頁では、四空の一式陸攻8機自爆、2機不時着、2機がラバウル帰投」と記述する[84]。
- ^ 四 珊瑚海の勝利[86](一)五月七日十一時の晝食前である。「わが小型航空母艦沈没す。」と擴聲器が艦内各部の報じた。くちおちさが足の先から頭のてっぺんまで突き抜けて走る。「今に見ろ、敵艦隊を一隻も餘さず、珊瑚海の海神のごちそうに供へてやる。」と、歯を食ひしばった。/沈没したこの小さな母艦は、敵五十機の雷爆撃を相手に、敢然と戰ひぬき、不幸にも今この厄にあったのである。/すると、今度はすばらしい勝報がやって來た。「戰艦一隻撃沈。」やった、やった、わが勇猛果敢な海の荒鷲が、米のカルフォルニヤ型を撃沈したのだ。更に英の戰艦ウォースパイト型にも、大損害を與へたことがわかる。どっとあがる歓呼、うれし涙が頬を傅って流れる。(以下略)
- ^ 珊瑚海海戰[88] 帝國海軍部隊は五月六日ニューギニア島南東珊瑚海において米英聯合艦隊を發見、七日これに攻撃を加へ米戰艦カリフォルニア型(三萬二千六百噸、十四吋砲十二門)一隻を轟沈、米甲巡ポートランド型(九千トン、八吋砲九門)一隻撃沈、英戰艦ウオスパイト型(三萬六百トン、十五吋砲八門)一隻に大損害を與へ、さらに翌八日、米航空母艦サラトガ型(三萬三千トン、搭載機八十乃至九十機、戰時は百二十機は可能)一隻およびヨークタウン型(一萬千九百トン、搭載機八十、戰時百機まで可能なる最新鋭空母)一隻を撃沈したほか米戰艦ノース・カロライナ型(三萬五千トン、十六吋砲九門、一九四一年春竣工の最新鋭艦)を中破し、さらに米甲巡ルイスビル型(九千五十トン、八インチ砲九門)一隻に對し雷撃機の體当りをもってこれに大損害を與へ、二萬トン級給油艦一隻を大破、驅逐艦一隻を撃沈した。七日以來の本海戰において敵機撃墜數は九十八、わが未歸還機二十四、なほわが小型航空母艦一隻(給油艦を改造せるもの)沈没した。(以下略)
- ^ 仕上げに、クレース部隊はアメリカ陸軍航空部隊のB-17型重爆から誤爆され[90]、駆逐艦ファラガット (USS Farragut, DD-348) に至近弾となった[91]。
- ^ クラッチレーは歴戦の軍人で、1930年代にニュージーランドの軽巡ダイアミード (HMS Diomede,D92) 艦長を務めた[94]。第二次世界大戦開戦時の戦艦ウォースパイト (HMS Warspite) 艦長で、第2次ナルヴィク海戦などで戦果をあげた[95]。1942年(昭和17年)6月1日付で少将に昇進した[95]。
- ^ 第61任務部隊:空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) 、エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) 、ワスプ (Wasp, CV-7) 、新鋭戦艦ノースカロライナ (USS North Carolina, BB-55) 、巡洋艦6隻駆逐艦16隻[103]。
- ^ 連合軍側の被害は、駆逐艦ジャービス (USS Jarvis, DD-393) 大破、輸送船ジョージ・F・エリオット (USS George F.Elliott,AP-13) が被弾して放棄という程度だった[114][115]。
- ^ 三川艦隊編成[123]:重巡鳥海、重巡青葉、重巡衣笠、重巡古鷹、重巡加古、軽巡天龍、軽巡夕張、駆逐艦夕凪[124]。
- ^ 連合軍側の夜戦被害一覧[126]:沈没(重巡クインシー、ヴィンセンス、アストリア、キャンベラ)、損傷(重巡シカゴ、駆逐艦ラルフタルボット、駆逐艦パターソン)。
- ^ (昭和18年7月20日、経過概要)[135]〔 18-7|20|1641|イ11ハ「サンクリストバル島」S 250′ニテ「サンフランシスコ型」C×1及d×3ヲ発見攻撃|南東 3SS/6F|大巡ニ対シ魚雷×3命中撃沈確実 〕〔 20| |イ19「フィジー」(航空機)偵察|太平洋 1SS/6F|「スバ」附近ニB×5(又ハA)C×3 d×3 T×3 艦型不詳×3「ナンデ」ニA×1 T×6 〕
- ^ 1943年(昭和18年)7月25日記事[137]〔 ○伊十一潜(二五-一二〇二)二十五日0010「ヌメア」航空偵察 ツンベア(欄外注記ダンベアの誤記か)巡洋艦一、駆逐艦三、輸送船四。ヌメア泊地 巡洋艦二、駆逐艦三、輸送船三。ヌメア港 巡洋艦四、駆逐艦一、輸送船一。二十日1641、巡洋艦(サンフランシスコ型)一、駆逐艦三ヲ襲撃、三本命中。二時間駆逐艦三ノ外、推進音ヲ聴知セズ。巡洋艦撃沈シタルモノト判断ス。〕
- ^ オーストラリア海軍艦艇では、ホバートの他に重巡シュロップシャー (HMAS Shropshire) や駆逐艦数隻も参列した。
脚注
- ^ a b イカロス、世界の巡洋艦 2018, pp. 40a-42コラム(1)英連邦諸国の巡洋艦/■オーストラリア海軍
- ^ 世界の艦艇完全カタログ 2019, p. 107パース級軽巡洋艦
- ^ a b c d e f g イカロス、世界の巡洋艦 2018, p. 41.
- ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 86(原本154-155頁)二等巡洋艦アンフイオン
- ^ 世界の艦艇完全カタログ 2019, p. 105リアンダー級軽巡洋艦(II)
- ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, pp. 18–19(イギリス海軍)リアンダー級軽巡洋艦/イギリスが第一次大戦後に初めて建造した軽巡洋艦
- ^ a b c d e HMAS Hobart (I) | Royal Australian Navy(2018年10月31日閲覧)
- ^ Royal Australian Navy, 1939–1942, p.133
- ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, p. 25サウサンプトン級第1群(バーミンガム)
- ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, p. 51クリーブランド級(バーミンガム)
- ^ Royal Australian Navy, 1939–1942, pp.133-134
- ^ Royal Australian Navy, 1939–1942, p.134
- ^ 連合軍艦艇撃沈す 2013, p. 114.
- ^ グレンフェル 2008, p. 116.
- ^ グレンフェル 2008, pp. 117–118.
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- ^ 連合軍艦艇撃沈す 2013, p. 94.
- ^ トール、真珠湾~ミッドウェイ(下) 2013, p. 35.
- ^ a b c グレンフェル 2008, p. 131.
- ^ 戦史叢書26 1969, pp. 317a-318連合軍の反撃ならず
- ^ 戦史叢書26 1969, p. 317b.
- ^ a b グレンフェル 2008, p. 130.
- ^ a b c 戦史叢書26 1969, p. 318.
- ^ 日本空母戦史 1977, p. 151.
- ^ 戦史叢書80 1975, pp. 187–188南部スマトラの攻略とジャワ西部航空撃滅戦開始
- ^ #S1612七戦隊日誌(5) p.23〔 午後五時第四航空戰隊司令官ヨリ「触接機ノ確認セル報告ニ依リ敵兵力ニ関スル情報中左ノ通改ム 巡洋艦七(「エメラルド」型三、「ダナエ」型二、「ホーキンス」型二)駆逐艦五、戰艦ナシ一六〇〇」ノ電アリ 〕
- ^ 勇将小沢治三郎生涯 1997, pp. 110–112遁走したガスパル海峡の英蘭連合艦隊
- ^ 戦史叢書26 1969, pp. 303–306航空部隊の戦果あがらず
- ^ 戦史叢書26 1969, p. 306.
- ^ 日本空母戦史 1977, p. 152.
- ^ a b 戦史叢書26 1969, p. 307.
- ^ 一式陸攻戦史 2019, pp. 157–159ガスパール海峡での苦悶
- ^ トール、真珠湾~ミッドウェイ(下) 2013, p. 36.
- ^ 一式陸攻戦史 2019, pp. 163–164.
- ^ 戦史叢書80 1975, pp. 194–196ジャワ島攻略作戦前の連合軍の作戦指導等
- ^ 軍艦鳥海航海記 2018, pp. 87–88(昭和17年)2月15日/英艦隊に遭遇す 大巡2、軽巡3、駆逐艦6 空軍力にて攻撃せしも命中せず、敵マラッカ方面に走る
- ^ 日本空母戦史 1977, p. 155オランダ駆逐艦を撃沈(二月十七日)
- ^ 戦史叢書26 1969, p. 312十六日以後の航空部隊の作戦
- ^ 軍艦鳥海航海記 2018, p. (昭和17年)2月17日/駆逐艦1、商船1撃沈 龍驤攻撃機.
- ^ 勇将小沢治三郎生涯 1997, p. 111.
- ^ グレンフェル 2008, p. 121.
- ^ #略歴(乙)S1702経過概要 p.3(昭和17年2月)〔 十五日|菲島西部海上兵力ノ大部及31fgノfb隊「バタアン」方面ノ作戰ニ強力/「バンカ」島、「バレンパン」上陸陸軍部隊先遣部隊ノT護衛ノ海軍部隊「ムントク」入泊、陸軍ヲ上陸セシム/鳥海ノfs「バンカ」島北方ニテ敵C×3 d×5發見 航空部隊之ヲ攻撃ス/「シンガポール」英軍降伏 〕
- ^ 戦史叢書26 1969, p. 341.
- ^ 戦史叢書26 1969, pp. 424–427事前の航空制圧、東西とも不十分
- ^ 戦史叢書26 1969, pp. 438–439第三空襲部隊の戦闘、期待に反す
- ^ 戦史叢書26 1969, p. 487.
- ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, p. 151(オランダ海軍)ジャワ級軽巡洋艦
- ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, p. 152(オランダ海軍)軽巡洋艦「デ・ロイテル」
- ^ 連合軍艦艇撃沈す 2013, pp. 95–96スラバヤ沖海戦
- ^ 連合軍艦艇撃沈す 2013, pp. 105–106マレーから蘭印へ
- ^ a b c d グレンフェル 2008, p. 133.
- ^ 連合軍艦艇撃沈す 2013, pp. 108–110栗田中将、退却す
- ^ 連合軍艦艇撃沈す 2013, p. 109.
- ^ 連合軍艦艇撃沈す 2013, p. 110.
- ^ 連合軍艦艇撃沈す 2013, p. 101.
- ^ 連合軍艦艇撃沈す 2013, p. 112.
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- ^ 暁の珊瑚海 2009, pp. 64–65.
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- ^ レキシントン撃沈 1973, p. 13連合軍第17機動部隊(指揮官フランク・ジャック・フレッチャー少将)編成表
- ^ a b 戦史叢書49 1971, pp. 269–271連合軍の作戦
- ^ トール、真珠湾~ミッドウェイ(下) 2013, p. 151.
- ^ 暁の珊瑚海 2009, pp. 137–139.
- ^ グレンフェル 2008, p. 156.
- ^ 一式陸攻戦史 2019, pp. 200–206珊瑚海海戦と陸攻部隊
- ^ 空母ヨークタウン 1984, pp. 101–102.
- ^ a b グレンフェル 2008, p. 157.
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- ^ レキシントン撃沈 1973, p. 12日本軍MO作戦部隊、編成表
- ^ 戦史叢書49 1971, p. 289.
- ^ 戦史叢書49 1971, pp. 287–289第五空襲部隊の連合軍水上部隊攻撃
- ^ 珊瑚海海戦(元山空), p. 7(一)七日〇六四〇衣笠水偵ノ發見セル敵艦隊(空母一、戰艦一、巡洋艦一、駆逐艦七)攻撃ノ命ヲ受ク
- ^ 一式陸攻戦史 2019, pp. 207–208元山空の爆撃
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- ^ サボ島沖海戦 1988, p. 307(付録)II サボ島沖海戦時におけるフレッチャー機動部隊の勢力
- ^ サボ島沖海戦 1988, p. 95.
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- ^ サボ島沖海戦 1988, p. 314付録〈東方部隊〉
- ^ サボ島沖海戦 1988, p. 99.
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- ^ 戦史叢書49 1971, pp. 455–459八月八日の作戦
- ^ ラバウル海軍航空隊 2001, p. 96.
- ^ 一式陸攻戦史 2019, pp. 224–227もっとも悲惨な攻撃
- ^ サボ島沖海戦 1988, p. 102.
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- ^ 掴めなかった勝利 1994, p. 84.
- ^ サボ島沖海戦 1988, pp. 108–112.
- ^ 掴めなかった勝利 1994, pp. 92–93.
- ^ 掴めなかった勝利 1994, pp. 86–87.
- ^ a b c サボ島沖海戦 1988, pp. 285–286.
- ^ a b 掴めなかった勝利 1994, p. 117戦闘前の連合軍艦船配備状況
- ^ サボ島沖海戦 1988, p. 134.
- ^ サボ島沖海戦 1988, pp. 311–312付録〈サボ島沖海戦における日本軍勢力〉
- ^ 戦史叢書49 1971, pp. 464–465(外南洋部隊、海戦参加艦一覧)
- ^ 一式陸攻戦史 2019, pp. 227–228第八艦隊、一矢を報いる
- ^ サボ島沖海戦 1988, p. 306付録〈サボ島沖海戦(1942年8月9日)における日米両軍死傷者数〉
- ^ 掴めなかった勝利 1994, p. 288.
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- ^ サボ島沖海戦 1988, p. 250.
- ^ a b サボ島沖海戦 1988, pp. 251–253.
- ^ 戦史叢書49 1971, pp. 494–496戦果及び被害
- ^ サボ島沖海戦 1988, p. 255.
- ^ a b 戦史叢書98 1979, p. 257全般情勢
- ^ 戦史叢書98 1979, p. 259-262先遣部隊の作戦/南太平洋方面交通破壊戦
- ^ 「昭和16.12~18.12大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の1(防衛省防衛研究所)昭和18年7月 p.6」 アジア歴史資料センター Ref.C16120658300 、「昭和18.2.1~昭和18.8.14 太平洋戦争経過概要その5(防衛省防衛研究所)18年7月13日~18年7月31日 p.12」 アジア歴史資料センター Ref.C16120636200
- ^ 戦史叢書98 1979, p. 261.
- ^ 高松宮日記6巻 1997, p. 501.
- ^ a b HMAS Hobart (I) | Royal Australian Navy(2023年1月20日閲覧)
- 1 ホバート (軽巡洋艦)とは
- 2 ホバート (軽巡洋艦)の概要
- 3 参考文献
- 4 外部リンク
「アポロ (軽巡洋艦)」の例文・使い方・用例・文例
- アポロの月着陸成功によって宇宙開発計画がさらに歩みを進めた
- アポロ的な人格の特徴とは何ですか。
- アポロ14号の操縦士エドガー・ミッチェルは純粋知性科学研究所を設立した。
- 同日にアポロ11号が月面着陸に成功した。
- アポロ計画は宇宙に関する我々の知識を大いに増した。
- アポロ11号が月面着陸に成功したというニュースが入った。
- アポロ信仰.
- そこでギリシャ人は(太陽神の)アポロンに聖堂を奉納した.
- アポロ 11 号の指令[月着陸]船.
- 彼らはアポロに神殿を献納することを誓った.
- アポロ 11 号の月面着陸は歴史を作った.
- デルポイのアポロンの神殿に掲げられていたという「なんじ自身を知れ」という言葉はあまりにも有名である.
- 科学技術の最先端をいくアポロ宇宙船の搭乗員に選ばれた.
- 若いブロンズのアポロ
- アポロを称えて、4年ごとのオリュンピア紀の3年目にデルフィで開催された、古代ギリシャ全土の祝典
- デルフィにおけるアポロンの神託の、または、デルフィにおけるアポロンの神託に関する
- 尼僧がアポロから助言をあおいだ人たちまでのメッセージをおそらく届けたデルフィの神のお告げ
- 最初の月面着陸は1969年7月20日のアポロ計画によって達成された
- 彼女の子供に関する自慢が、アポロとアルテミスが彼らを皆、殺すことを引き起こしたタンタロスの娘
- デルフィでアポロに殺された大蛇
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