はやし‐ほうこう〔‐ホウカウ〕【林鳳岡】
はやしほうこう 【林鳳岡】
林 鳳岡 (はやし ほうこう)
1644〜1732 (正保元年〜享保17年) |
【儒学者】 湯島聖堂の初代学頭。儒学者の地位を確立した、林家のサラブレッド。 |
江戸中期の儒学者。大学頭。名は信篤。林羅山に始まる林家の三代。1680年将軍となった綱吉により信篤は寵用され、91年湯島聖堂が竣工すると大学頭の命を受けた。また、このとき蓄髪の命も出されが、これはそれまで僧侶と同様に剃髪を命じられていた林家が、武家の身分階級社会の中で、儒学者として独自の地位を得たことを意味する。 |
年(和暦) |
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●1651年 (慶安4年) | ■慶安の御触書公布 | 7才 |
●1659年 (万治2年) | ■江戸城本丸造営竣工 | 15才 |
●1663年 (寛文3年) | ■武家諸法度改定 | 19才 |
●1681年 (天和元年) | ■護国寺建立 | 37才 |
●1682年 (天和2年) | ■江戸大火(八百屋お七の火事) | 38才 |
●1687年 (貞享4年) | ■生類憐みの令 | 43才 |
●1698年 (元禄11年) | ■江戸大火(勅額火事) | 54才 |
●1702年 (元禄15年) | ■赤穂浪士討ち入り | 58才 |
●1703年 (元禄16年) | ■江戸開府100年 | 59才 |
●1705年 (宝永2年) | ■御蔭参り流行 | 61才 |
●1707年 (宝永4年) | ■富士山噴火 | 63才 |
●1718年 (享保3年) | ■御蔭参り流行 | 74才 |
●1719年 (享保4年) | ■相対済し令 | 75才 |
●1720年 (享保5年) | ■江戸大火 | 76才 |
●1720年 (享保5年) | ■江戸町火消しいろは組を設置 | 76才 |
●1722年 (享保7年) | ■小石川養病所設置 | 78才 |
●1732年 (享保17年) | ■西日本に蝗害 | 88才 |
・渋川 春海 | 1639年〜1715年 (寛永16年〜正徳5年) | +5 |
・徳川 家綱 | 1641年〜1680年 (寛永18年〜延宝8年) | +3 |
・松尾 芭蕉 | 1644年〜1694年 (正保元年〜元禄7年) | 0 |
・徳川 綱吉 | 1646年〜1709年 (正保3年〜宝永6年) | -2 |
・西川 如見 | 1648年〜1724年 (慶安元年〜享保9年) | -4 |
「はやし ほうこう」の例文・使い方・用例・文例
- 彼はもっと大人に見えるようにひげをはやした。
- あごひげをはやした神様は自分が離れたのと同じ方法で戻ってくると約束していた。
- いたずらっ子たちは酔っぱらいをはやし立てた.
- 互いにはやし合う
- はやし合い
- あの先生が出ると生徒がはやしたてる
- 世間では彼のことをしきりに言いはやしている
- 世間では彼をやんやともてはやしている
- 世間では彼をヤンヤともてはやしている
- 謡曲において,はやし
- 謡曲において,はやしを入れる人
- 赤茶色の髭をはやしている人
- 能楽において,複数の役者が刀などで切り合うときのはやし
- 世間にいいはやし伝える
- 楽器ではやしたてる
- はやしなしで謡曲をうたうこと
- 能において,シテがはやしに合わせて歩き回ること
- 民謡などのはやしことばとして発する語の一つ
- 歌舞伎において,役者が花道から駆け出るときなどに使うはやし
- 人々が太鼓などではやして,どんちゃん騒ぐさま
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